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■05:Victims

 今度は走って逃げられた、と報告したらやっぱり笑われたわけだが、どうせ笑われると思っていたのでダメージは少なかった。  ひとしきり笑ってひとしきり噎せたマキセは、ぜえはあと息を整えた後になんかすごい色したゼリードリンクをずるずると飲む。蛍光色はCOVERの拡張現実が見せている色だろう。  それ最近流行ってるけど、どうも俺は飲む気がしない。世の中の流行りってわかんないなぁなんて零せば、またどうせ年寄扱いされるので口を閉じ、目の前のフリットにフォークを突き立てた。  自炊というやつが死ぬほど苦手な俺とマキセは、週に三回はこのダイナーに通っている。日本人ってほんと美味けりゃ拘らない所がいいよなぁ、と心から実感できるような和洋中ごちゃまぜメニューに加え、全座席が拡張現実により個室化されている、素晴らしい飯処だ。 「はー笑った死ぬかと思った……オレがマエヤマさんの為にギンカたん周り調べ上げてる時に、本人はのうのうと逃げられてるとかやべーうける腹痛い。マエヤマさんわりと有能じゃなかったんです? オレが今まで見てきたマエヤマさんは幻想だったんです? つかあのマエヤマさんが無能にも走って逃げられるとか解釈違いすぎるんで勘弁してください」  正直俺は自分の事を有能だ、なんて微塵も思ってはいないけれど。確かに今回の俺の動き方はぐだぐだだ、という自覚くらいはあった。 「いやーどうもなんか、あの子達相手だとこう、調子出なくて。なんつーか、悪戯って感じでもないし犯罪って感じでもないし、何なんだろうなぁほんと。あといくら健康体成人男でもデザイナーズチルドレンとは張り合えない」 「まー確かに。完全に身体能力に振り切れてるデザインされてますからねギンカたん。ベジタブルガールの強さの秘密は大人のエゴの結果だったとか、ほんとキッツイ。その情報マジ知りたくなかったわ」 「最近あんまり聞かなくなったしねぇ、デザイナーズチルドレン。ホント昔の大人の負の遺産多すぎる。勘弁してほしい」 「オレもその意見には同意っすけど、とりあえず早急に奪い返してくださいよーあの顔わりとオレの中で歴代最高傑作なんすよ。丁度いいフツメン。丁度いいフツメンってすげー難しいんだから」 「丁度いいフツメン……」 「適当に左右対称に整えてくと大体は美形になっちまうんですよ。マエヤマアバターはオレ渾身の丁度いいフツメンっす。あ、こっちの資料共有しときますねーハイハイこれとこれとこれ。あとは、あー……昨日のお買い物履歴も追加で。つかなんすかねこの馬鹿でかいトランク。死体でも運ぶ気っすかね」  ぴったりと肌に沿う手袋を嵌めた鮫歯男は、俺が作った共有密室スペースにぽいぽいと画像を放り投げる。通常アバターがオフでも、素手で拡張現実データを扱う事の出来る特殊手袋だ。普通は腕輪や指輪型の端末を身に着けるものだが、マキセはどうも手袋が気に入っているらしい。  マキセが放り投げるのは、俺が取り逃した後のバンドウギンカの画像だ。  確かに彼女は馬鹿でかいトランクを引きずっていた。他にも何点か工具のようなものを購入している。  マキセが死体、などという物騒な言葉を出して来たのは、彼女の買い物の中に中型のスコップが混じっていたせいだろう。 「つーかまじギンカたん不幸が過ぎません? そもそも遺伝子操作でデザインされた身体で生まれてきて、その上両親共にArtsStageドナー被害者ってもうほんと奇跡の不幸人生でしょ。いやデザインボディがコンプレックスなのかどうかは知らんですけど。少なくとも性別に関しては不満あるみたいだし。今十九歳ってことはえーと、二〇二五年がVR死んだ年だからー……」 「今からちょうど一〇年前。九歳の時に両親が共に脳死して、その三年後にはドナーとして登録されている筈」 「うーわぁ。しんど。……正直オレだいたいのことに関して軽薄で薄情モンな自信ありますけど、ギンカたんに関してはけっこーまじで同情する」  マキセが珍しく眉を寄せる気持ちも、わからなくはない。  二〇二五年、当時世界的流行を見せていたVRシステム『Arts Stage』が突然の終わりを迎えた。理由はシステムを供給していた会社の倒産でも、ハードの不具合でもない。  VRシステム内にウイルスがばら撒かれたのだ。  拡張現実であるAR(Augmented Reality)と、仮想現実であるVR(Virtual Reality)は別物だ。  拡張現実は現実の世界の上にプログラムやアバターを映し出す。  仮想現実は世界そのものがプログラムで出来た作り物だ。現実の物質を読み取りそこにプログラムを置き、人間の動きに合わせて随時展開する拡張現実の方が高度な技術を要求される。  インターネット時代の後期、世界中の人々は完全な作り物の世界に入り込む遊びに夢中になった。  仮想現実システムArts Stageを利用した様々なゲームが発表され、第二の人生を歩めるリアルなシミュレーションゲームから宇宙や異世界を舞台にしたRPGやアクションゲームまで、世界中の大人と子供が熱狂した。  古くはヘッドセットと専用の全身スーツが必要だったVRだが、Arts Stageは特殊なチップを身体に埋め込むことで視覚以外の共有を実現させた。  いくらVRの世界が素晴らしくても、肌で触り感じる事ができなければ、それはただの立体感のある映像でしかない。チップを埋め込むことで、よりリアルに五感をフルに使ってVRの世界を体感できる。  当時すでに手の甲にICチップを埋め込み手ぶら認証で駅改札を抜けるシステムが普及していたこともあり、自分の身体にメスを入れる事にあまり抵抗がなかった、と聞いている。VR用感覚チップは非常に小型で、比較的気軽に体内に組み込むことが出来た。  Arts Stageが流行っていた当時、俺自身は学生時代真っ只中だったわけだが、出身が田舎だったこともあり、学業以外の時間はバイトに明け暮れていた記憶しかない。感覚チップ付きVRなんて、金持ちの遊びだった。  確かに金を持ってそうな同級生はVR用感覚チップの自慢をしていた、と思う。そんな金持ちの感覚チップ持ちは、後にArts Stage被害者と呼ばれる事になる。  二〇二五年、前途したようにVRシステム『Arts Stage』内にウイルスプログラムがばら撒かれた。単純で馬鹿馬鹿しいウイルスだった。少しだけデータを破壊する程度の、テロとも言い難い悪戯のようなウイルスで、実際にそれをばらまいた犯人は悪戯気分の米国の学生だった。  だがそのウイルスは重大なバグを引き起こし、Arts Stageに接続していた人間のVRチップを破壊。被害者の脳に多大な損害を与えた。  結果、日本だけでも五六〇人が死亡、五万人余りが脳死状態となる大事故となった。  ここまでがVRが衰退した理由であり、五万人の人間が植物状態となった理由だ。  恐らくバンドウギンカの両親はこの時に植物状態となった、と考えられる。この時まではまだ国はどうにか成り立っていた。借金まみれの日本だが、それでも誤魔化しながら稼働していたし、重大な事故による五万人の被害者に対する補償や支援を提案するための法案を話し合う余裕もあった。  問題はその三年後に発生した感染症だ。  二〇二八年、世界は新型の感染症に襲われる。  当時日本は何度目かの世界恐慌に巻き込まれていた。国家が崩壊しなかったのは奇跡だ、と今も語り継がれる程の危機だ。財政もやばいというのに、スキャンダルとセクハラ問題の連発で与党が倒れ、ぽっと出のタレント議員が立ち上げた若い政党が政権を握った。この年に始まったネット投票がこの悲劇を招いたとも言われている。  結果は推して知るべしだ。ほとんど国会が機能しなくなったタイミングで世界的にかなりまずい感染症が流行。アジアでアウトブレイクした致死量の高い感染症は、世界にばら撒かれていった。  有効なワクチンが見つかるまで、この感染症は地味に広がっていった。空気感染はしない。けれど、一度感染すると汚染された臓器を交換しないと健康に戻る事は出来ず、致死率が高い。  笑えるくらいの量の人間が死んでから、若い政府は周りの人間の要求をただ必死に飲んでいった。結果、とんでもない法案が国民の意思など総無視で通った。  通称、感染症被害者救済ドナー法案。  これは、VRチップ被害によって脳死状態になりただ病院で横たわる五万人の人間を、感染症に苦しむ人々のドナー――臓器の提供先とする法案だった。  安定した時代なら、裕福な時代なら、そして老獪で慎重な時代なら、こんなトンデモ法案は通らなかっただろうし、通ったとしても実行されなかっただろう。  けれど人間が死にすぎた。件の感染症の被害者は着実に増え、死亡者数は延べ十万人を超えていた。臓器を取り換えなければ確実に死ぬ病に、人々は怯えパニックになった。そして意識のない人々を犠牲者とすることを良しとした。  勿論これは酷い論争を引き起こした。社会問題として連日報道されたし、多くのArts Stage被害者を抱える病院は彼らの人権を主張して裁判を起こしたり、民衆への訴えを連日放送した。その筆頭が倉梯医療法人であったわけだ。  倉梯院長率いる医師団体がArts Stage被害者の親族に許可を得て公表したリストには、誰がどれだけの臓器を奪われたかという生々しい一覧表だ。  生きたまま臓器を強制的に提供させられたArts Stage被害者たちは、ただ生かされるだけの医術を施され次の移植適合者が出てくるまで横になり息をする。彼らは後に悪名高い法案の名を取って、ドナー被害者と呼ばれる事になる。  倉梯医療法人のリストを薄目で眺め、ギンカの両親の名前の隣に並ぶ臓器の名前を数え、暗澹たる気持ちに息を吐く。  あの子は、どれだけの苦労を強いられてきたのか。そりゃ、いきなり現れた知らない大人に『相談に乗るよ』なんて言われても信用できないよなぁ、と思う。なにせあの子は、世界に、日本の大人に、酷い仕打ちを受けているのだ。  バンドウギンカは世界にひとりぼっちだ。  ドナー被害者は臓器提供法案が設立した際に戸籍を抹消されている。要するに死んでいるから肉体は物として活用して良い、という考え方なんだろうがこの時の政府は本気でどうかしていたとしか思えない。  現在は食品メーカーとCOVERを提供するIT企業のバックアップの元、国政自体はどうにか復活はしているものの、未だにドナー被害者は戸籍を抹消された死人のままだ。 「まー、誰が悪いって話でもないんでしょーけどねー。つかそこまでして仮想現実にのめり込みたいくらい現実辛かったんすかね皆々様。オレぁCOVERの同期リングつけんのも嫌っすけどねーうざいから。チップ埋め込むとかマジかんべん」  重大な事故を招いたVRは即座に廃止され、今や視覚のみで安全に情報を管理する『COVER』が情報伝達網の筆頭となっている。何人も死んでいるのだから、今さら自分の身体に感覚チップを埋めよう、などと思う人間はいない。マキセでなくても、皆嫌がる。  故にCOVERが提供するのは、視覚情報と音声情報のみだ。  俺がサクサクとフォークでつついているフリットも、マキセが啜っているゼリードリンクも、COVERのプログラムではなく実際の料理として存在するリアルなものだ。COVERは料理を派手に見せたり色を変えたりはできるが、味自体は操作できない。所詮立体的な映像データでしかない。 「はーもーギンカたんまじすげーよオレなら人生と世界に絶望してテロとか計画してるわきっと。オレも死んでみんなも殺す。絶対やる。自信がある。よくもまー真っ当に育ってんなーくそえらいじゃん義務教育は高校までちゃんと出てるっぽいしほんとくそえらい」 「あー……いや、でも、一人なら駄目だったのかもよ?」 「んあー。マエヤマさんのフルアバター泥棒のコイツが、ギンカたんの心の支えって事っすか?」 「どういう関係かは知らないけど、随分と仲のいい友達みたいだからさ」  俺が開いた動画データの中で、カラフルなツインテールの女の子が俺のアバターと連れ立って談笑している。俺のアバターは何故か動画検索にひっかからないから、ギンカちゃんの方を主体に再検索して画像と動画を片っ端からコピーしたのだ。  恋人っていうよりは、悪友っていうか、親友って感じに近いのかもしれない。そう思うのは、二人の位置が自然と一定の距離を保っているからだ。近づいていちゃつくわけでもなく、遠巻きに顔を窺うわけでもない。隣にいるのが当たり前のような、自然な距離感に、彼らの信頼が見える。  バンドウギンカに直に会って、彼女の精神的なひっ迫を目の当たりにした。もしかしたら彼女のあの、明日にでも死んでしまいそうな緊迫感は、俺のアバターを盗んだ人間に関係しているのかもしれない。  そう思ってさっきから延々と動画を見ているものの、特別おかしなところがない。  そう、不審なところなど何もないのだ。  彼らはただ、連れ立って店を覗く。万引きをするわけでもなく、罪を犯すわけでもなく、素直に金を払って買い物をする。それも些細なものだ。ガムとか珈琲とか音楽データとかアバターカスタムアクセサリーとか。十代後半の若者なら、誰でも買いそうなものだ。  アンダーグラウンドな店に行くこともない。あまりに普通すぎて、何故この二人が危ない輩に目を付けられているのかさっぱりわからない。どう見ても十代青少年の健全なデートなのだ。 「……なんかこう、ただ、普通に過ごしてるだけなんだよねぇ……」  時折カフェやダイナーに入り、ギンカちゃんは食事をする。けれどほんの少しだけ口に放り込んだ後、彼女は大概食事をやめて店を出た。  彼女の行動をひたすら監視していたマキセが手袋に包まれた指で顎を叩く。 「ギンカたん小食なんすかねーあんま食ってなくないっすか? 精神的女子だと食う量も女子になんのかなーどうなんすかねー。オレとマエヤマさんの燃費わりーからオレの感覚おっかしーのかなー」 「マキセすげえ食うものな。お前と一緒にされるとか心外――……え、ちょ、え? ちょ、マキセ待て待てそっちの動画待て、それ、俺、何してんの?」 「……何してんすかね。オレには、マエヤマさんのフルアバターくんが、袖の中からスッとチュロス出したようにしか見えませんでしたけど。なんすかこれ、え、今構築したの? いやまあ、できなかないでしょうけどマジで? フルアバター動かしながら袖の中からチュロス構築したの? これプログラムのチュロスでしょ? いやできなかないけどマジで? チュロス屋の宣伝用チュロス拡張現実をパクって来た、とかじゃないよなマジで袖の中から出してんないきなり」 「構築してるね。たぶん、この短時間でプログラムを組んでチュロスを作っている。ほらこれ、さっきギンカちゃんが買ってたチュロスと同じ物だ」 「……バケモン? つーことはこのプログラミング能力が狙われてる理由っすかね?」 「どうかなー。確かに、とんでもない能力だと思うけど、マキセできなくはないでしょ?」 「はあ。まあ、やりたくねーしやらないっすけどできなくはないっすね。やりたくねーしやらないっすけど袖から食えないチュロス出しても面白くもなんともねーし。つかじゃあコイツ一体何をしたいんだよさっきから歩いてるだけじゃん」  男か女かもわからない俺のフルアバターの中の人。彼ないし彼女は、一体何をするつもりなんだろうか。名前も知らないギンカちゃんの友人の顔を眺めながら、俺は考える事に疲れて目を細めた。  その時、俺のPALがポン、と通知音を鳴らした。視界の端には新着テキストメッセージの表示が見える。  PALは個人で結構自由にカスタマイズできる。声色も含め、性別も変更できるし、好きな名前をつけたりもできる。学習機能付きAIを入れている人もいる、らしい。自分だけの理想の相棒としてカスタマイズするのが流行っているのは知っているが、そこらへんに関して俺はあまり興味ない。  俺のPALは完全に初期設定のままだ。声をかけてPALを起動すると、機械的な女性の声が返ってくる。 『こんにちは、Owner。ご用件をお伺いします』 「今のメッセ、誰から?」 『二〇三五年八月二十日午後八時二十二分受信テキストメッセージは、マエヤマトモノリから発信されています』 「…………俺?」  受信メッセージのCOVER登録情報を呼び出すが、確かに、送信者の名前は俺になっていた。  それは、非常に唐突な『彼』からの接触だった。

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