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■04:Vegetable Girl

 目を覚ましますように、と祈っていたら、隣の子が目を覚ました。  その事実を受け入れてそれが最善だったんだ、と納得するまでに一年くらいかかった。その間、スノにはすごく迷惑をかけたと思う。酷い言葉を死ぬほど吐いた。その時の自分は、両親が得るべき生をスノが奪ったと思い込んでいたからだ。  でもそんな事はない。これは運の問題だ、と受け入れてから、スノと私は親友になった。  スノはなんというか、とてもフラットな奴だった。本人は世界に絶望しているからだ、と思い込んでいるみたいだけど、たぶん元々そういう冷静な性格なだけだと思う。  スノは、平らな冷たい砂みたいだ。何が起こっても揺らがないし、何を与えられても当たり前のように吸収する。熱い水みたいにいつでもすぐに沸騰して揺れ動く私とは対照的だ。  私が受け入れるまでに五年かかった性別の問題も、スノは五秒で飲み込んだ。一瞬だけ不思議そうな顔をしたけれど、すぐに私を女として認識してくれた。  なんであの時一瞬固まったのか後々訊いたら、『異性間同士の友情について一瞬考えたけど僕とおまえなら成立するな、と思ったから』と言われて私は何とも言い難い顔を晒してしまった。  私はほとんどアバター機能をオンにしているけれど、感情表現機能を最大値で設定しているので、大体生身と同じくらいの感情表現が顔に出る。ビジネスとかにアバターを使う人はこの機能結構切ってるらしいけど。薄ら寒い笑いを貼り付けた自分の顔は好きじゃない。  今朝家を出る時は、流石に少し緊張した。何食わぬ顔を装って歩くのは疲れる。  感情表現機能切っておけばよかったじゃん、と気が付いたのは目的のディスカウントショップが見えてきてからだった。気づいたときにはCOVERの適用範囲外に居た。感情表現機能もなにも、今の私はツインテールの痩せた女じゃなくて、冴えないインドアなオタク男みたいな見た目だろう。  駅周辺は大体COVER適用内だけど、ちょっと郊外や住宅街に入るとCOVERの範囲から外れたりする。視線を落とすといつもの赤いショートブーツじゃなくて、古びたスニーカーが見える。  私は頭が悪い。本当にそう思う。ちょっと走ったり動いたりすることが得意なだけで、本当に頭が悪い。だからスノが居ないと困るし、スノと一緒だととても安心する。  本当はBODY&BRAINの試合にもスノと一緒に出たい。口を出されるのはウザい、だなんて言ったのは嘘だ。  あのゲームは自分の身体を動かすことでアバターを操りながら、同時に追加効果のコマンドコードを打ち込む。身体能力が高いだけじゃ勝てないし、頭がいいだけじゃ勝てない。頭と体を同時に使うからBODY&BRAINなんていう安直な名前のVR型格闘ゲーム。  きっとスノならめちゃくちゃ綺麗ですごいコードを打ち込んでくれる。でも、スノが興味ないものに貴重な時間を費やすのは嫌だ。  半月の自由を、スノは結構楽しんだと言うけど。絶対に嘘だ、と私は思う。  半月間って要するに二週間だ。たったの二週間。そんなもので、スノの二十二年の人生を補えるわけがない。  文句言わないでもっと死ぬほど食っときゃよかった、と思う。  言い訳しないでドレスコードのレストランにも入ってさ。片っ端からメニュー頼んでさ。一口ずつ食べて後はいらないって言って、イヤな顔で叩き出されてゲラゲラ笑って、そんでその後に二人でゆっくりとレストランの『再現』をするんだ。私は嬉しそうに高い肉を頬張るスノを見ながら、そこらへんで適当に買ったゼリードリンクをずるずる飲む。あまりにも素晴らしい妄想すぎて、歩いているだけなのに泣きそうになった。  でも、もうそんな妄想が現実になる事はない。あのセキュリティガードの男に見つかってしまったからだ。  だから、あのフルアバターは止めようって言ったのに。スノは頭がいいのにこの件に関しては馬鹿で、それは私とは別方向の馬鹿さだ。ていうかスノが馬鹿になったのを、私は初めて見た。いつもあんなに冷静なのに。いつもあんなに世界に絶望しているのに。  恋なんかするからだ。スノは、恋をして馬鹿になった。  私はそれが信じられなくて、私はそれに納得できなくて、でも私はそれが死ぬほど嬉しくてスノが居ない所で、スノに感知されない映像記録媒体のない個室で声を上げて泣いた。  いつも天井を見上げて僕なんか早く死ねばいいのにと言ってたスノは、ほんの少しだけ浮足立ったテンションであの男の話をするようになった。  スノは、病室から動けない。スノが動かせるのは両手と顔くらいのもので、だから基本的にはCOVERの機能をフル活用してあの男のストーカーをしていた。  正直あんなふわっとした男のどこがいいのかわからない。それにたぶんあいつは異性愛者だ。三年前に離婚歴があるし相手は女性だった。  スノはあいつのアバターを違法に利用している犯罪者だし、あいつはC25内のCOVER不正利用を摘発するセキュリティガードだ。どう考えてもうまく行くわけない。そもそも出会ったらアウトだし。ていうか昨日出会っちゃったからもう実質アウトだし。  もっとリスクの少ない手段を選べた筈なのに、馬鹿になったスノは馬鹿な選択肢を選んで結局追い詰められた。でもスノがそれでいいなら、私は口出しなんてできないし、したくない。  本当はもう少し先延ばしにしたかった。でも、仕方がない。私はもう覚悟を決めていたし、今さら泣き言なんて言わないと決めている。  息を吐いて、気合を入れる。必要なものはリストにしなかった。データが残るのは嫌だ。私はCOVERの中で好きな性別を選択して生きることができるけど、COVERのシステムをそれ程信用していない。スノにはアナログだって笑われるけどそれでもいい。私は馬鹿で、アナログでいい。私の隣には頭のいい親友が居るからそれでいい。  目的のショップまであと数百メートル。  スノに、通話を入れようか。そう思ったところで、私はやっと目の前に待ち構える人物に気が付いた。  寂れた商店街だった。この細い路地を抜ければ、少し古いタイプのショッピングモールに出る。エントランスでCOVERコード認識をしない、老人向けの旧式店舗。  別にスノはそこまで神経質にならなくてもいいと言っていたけど、念には念を入れて、なるべく個人コード認証を求められないルートを選んだ、……つもりだったのに。  目の前には、ひょろりと背の高い、眼鏡をかけた男がいる。  近所のばあさんに絡まれたのかそれとも自分からお節介を焼いたのか、電気バスに乗り込む老人に、軽やかに手を振っていた。そのうちに足を止めた私に気づき、こちらに顔を向ける。  その生ぬるいふわっとした顔を、私は知っている。 「やぁ、バンドウさん。ええとー……俺の事、わかるかな?」 「…………すいません、人違いじゃないですか?」 「またまた。バンドウギンカさん、で間違いないでしょ? 確かにキミはいつものカラフルな格好じゃないけど、俺は昨日キミを見てるよ、ほら――」  カチリ、と音が鳴る。その瞬間私の周りの景色は一変した。古びた商店街の生活音が急激に遠のく。音が、空間が遮断される。  携帯型ARモデムだ、と気が付いたときには目の前の男も自分もがらりと見た目が変わっていた。  しまった。私はいつもアバターの機能をオンにしているから、COVERがオンになる場所では否応なく『ベジタブルガール』になってしまう。……切っときゃよかった。でも、どうせ個人認識コードでバレるに違いないけど。  しかもこれはプライベートモードだ。私達がスラングで『密室』と呼ぶプライベートモードは要するに鍵付きの小部屋だ。この中での会話、操作はすべて暗号化されプライバシーを保証される。  本来お互いの承認があって初めて密室は共有されるが、この男は何かしらの裏技を使って無理矢理私を引っ張り込んだ。恐らくセキュリティガードの権限か何かに違いない。  キャスケットを深くかぶった見慣れた顔のアバターは、見慣れない表情で笑う。  見た目はスノが不正使用しているフルアバターとほとんど同じだが、スノはそんな風にアバターを笑わせない。 「やっぱり、キミだ。ベジタブルガールだっけ。そっちの名前の方がいいかな?」 「……ギンカでいい。適当に決めたANだし、苗字は好きじゃない」 「おっけーギンカさん。えっと、じゃあ単刀直入に要件だけ言うけど、キミたち……キミと、俺のアバターを勝手に使ってるもう一人の友達は、俺のアバターで一体何をしているの?」 「………………」  答えるつもりはない。勿論この男も、私が喋らない事なんて予想の範囲内だろう。  男はふわっと息を吐く。今のはため息だったのか、それともただの呼吸だったのか、判別がつかない柔らかい息だ。 「いや、正直俺的にはフルアバター返してもらえればそれでいいし、まぁ盗まれた経路はきちんと暴かなきゃだけどそれは置いといて、不正利用っていっても今のところ犯罪に使われてるわけでもないからさ。不良少年たちの悪戯で片付けるくらいの気持ちでいたんだよ。昨日までは。……でもちょっとまずい事が判明しちゃって、そうもいかなくなってきた」 「まずい、こと」 「そう。まずいこと。湾岸三区警察の方の友人から昨日、俺宛にメッセージが入った。なんでも詐欺で摘発した暴力団系チンピラ連中の所持していた監視リストに、俺のフルアバターが入っていたらしい。不審に思って検索かけるとなんでか俺のフルアバターが先週あたりから賞金首レベルでいろんな悪人にマークされている、なんつー訳の分からない状態が発覚した。なんでなのか俺はさっぱりわからんけど、要するにこれだけは確定している。キミたちは、狙われている。……あれ、もしかして、心当たりない?」  私があまりにも不審な顔をしていたせいだろうか。途中まで朗々と話していた男は、目を丸くして首を傾げる。けれど私は、考えることで手一杯で、男の顔など見ていない。  不正アクセスが増えた、と、スノが零したのはいつの事だ?  あの時はついセキュリティガードの手が迫っているのだと思ったが、もしかしてアレは、別の人間からのハッキングだったのだろうか。  何故? 理由は? 狙われているのはどっち? どうして私とスノは注目されている?  ……だめだ私は馬鹿だから、そんなこと一人で考えてもさっぱりわからない。  考え込む私の方に、男が一歩踏み出す。  反射で一歩後退する私に、マエヤマという名前の男はやはり柔和に笑いかけた。 「キミたちが何をしようとしているのか、俺のアバターで一体何をしたのかはわかんないけど、もし不安な事があるなら一緒に解決する、という手段もある。一番ありがたいのはアバターを即刻返してもらって、そんで今どういう状況で何が起こっていて何が起こり得るのか、みんなで考えることだけど……アバター、返してくれたりしない、よね?」 「………………」 「まあ、だよね。多分、俺のアバター使ってるの、キミじゃないしね……とりあえずそのー、俺の中の人の名前かヒントとか、そういうのを教えてもらえたりは……しないよなぁ。まあ、でも、とりあえず連絡先渡しておくから、何か困った事があったら連絡してください。俺はC25セキュリティガード前山智紀です」  マエヤマトモノリ、と記載してある名刺データを投げられる。うっかり避けるのを忘れて目の前に表示されたそれを、私は読み取りもせずゴミ箱ツールにつっこんだ。  私は大人が嫌いだ。スノは誰も悪くないなんて言うけれど、スノが歩けなくなったのも、私の両親が目を覚まさないのも、全部当時の大人のせいだと思っているから。  今まで何度も助けてと声を上げた。その度に近づいてくる奴はみんな殺したい程の屑で、その他の大半は私の叫びを徹底的に無視した。  助けてなんて叫んでも、誰も助けてくれない。自分でどうにかするしかない。  幸い私には健康な身体と体力がある。そして親友には、冷静で素晴らしい頭脳と才能がある。  私達だけで生きていける、などと驕った事は思っていない。けれど私達だけで、決着を付けられる事はある。 「……全部終わったら、返す」  私はそれだけ言って、COVERの接続を切る。途端に耳に音が戻り、景色は古い商店街に戻った。データ上の密室は、本体の電源を切ってしまえば消えてしまう。私の目の前にいるのは、肩を竦めた眼鏡の男だ。  踵を返す。走り出す。運動能力ならば、平均の上を行く事を知っている。私はそういう身体の作りをしている事を、知っている。  背中から声だけが追いかけてくる。何を言っているのかはわからない。私はCOVERをオフにしていたから、自分の耳に入ってくる情報を、自分の脳みそだけで処理しなければいけない。走る事に全スキルを突っ込んでいる今は、男の言葉なんか気にしている暇はなかった。  何度も何度も、助けて、と声を上げた。  それでも誰も、助けてはくれなかった。

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