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■10:Hello Owner, I will ask what your business is.

 正規のルートで倉梯総合医療法人のB病棟に入る為に費やした時間は、なんと三週間だ。 「久しぶり、っていうか初めまして。本物のスノくん」  ザ・無菌室って感じの部屋だ。ここはスノくんがいつも横になっている病室ではない。  ガラガラとベッドのまま移動させられたスノくんとの面会は、何もない個室でセッティングされた。まあ、そうだよね、と思う。俺の素性がそれなりにしっかりしていたとしても、やはり他の患者のど真ん中で楽しくお喋りさせるわけにはいかないだろう。  ドナー被害者は意思を無視され臓器を摘出される。それは最早『新鮮な状態で生かされている臓器』みたいなものだ。必要なのは移植に必要な内蔵と、そして体を生かす為の脳と心臓。それ以外の部位、特に筋肉や骨や筋はいらないものとみなされることもある、らしい。単純に環境が悪く壊死することもあるだろう。  ベッドに横たわる青年の白い身体には、軽くシーツがかけられている。しかし布の盛り上がりは、肋骨の下あたりから急にぺたりと平らになった。内臓がないせいで肉がへこんでいるのではない。そこにあるべき身体そのものが、骨が肉が足が、存在していない。  そう、何もないのだ。スノくんには下半身はおろか、腹部も存在しない。肺と心臓と両腕と頭だけが、彼の全てだ。  億劫そうに首を少しだけ動かし俺を見たスノくんは、すぐに視線を天井に戻してしまう。……怒っているのではなくて、元々こういう表情のない子なのだと信じたいところだ。何しろ三週間、俺は彼にテキストメッセージの一つも送れていない。 「もっと早く、ここに来る前に連絡したかったんだけど、実は謹慎くらってて」  まずは言い訳と謝罪から、俺たちの会話はスタートする。 「ちゃんと逐一所長に報告はしてたんだけど、最後の方は突っ走っちゃったからね。ギンカちゃんも思いっきり巻き込んじゃったし。えーと、でも、とりあえず生身で会えて嬉しいよ」  少し高めのスツールに腰掛けた俺は、渾身の普通の顔でにっこり笑う。でも天井を見つめたままのスノくんは、この世の終わりみたいな顔のままだ。  俺が見た戸籍資料よりも勿論随分と成長している。それでも二十二歳には見えないのは筋力がなく成長が中途半端に止まっているからだろう。  真っ白い陶器の人形みたいな青年は、色のない唇をゆっくりと少しずつ動かす。 「……アバターは、お返ししました。お話すべきことも、全て、警察の方にお話ししました。……でも、僕の行動が、貴方の経歴に傷をつけて、しまっていたら、……謝りたい、と思っていたので。今日は、こんなところまで、ご足労いただいて……ありがとう、ございます」  声は割と低めだ。肺はあるけど腹筋が物理的に存在していないから、スノくんの声はものすごく小さいし少し掠れている。でも、この部屋はスノくんを生かしておく機械の音以外の雑音はしないし、俺とスノくんしかいないから別に問題はない。だから俺はふははと笑う。 「真面目だねー真面目だなースノくんは。キミはただ、俺のフルアバターを違法オークションサイトで買って、ちょっと乗り回して遊んでただけだよ。今回の事件だって。アヤコボシが勝手に拉致を企てただけで、スノくんに落ち度はない」  ニュースにはなってないけど、アヤコボシの開発課はほぼ逮捕された。上の方の人間は知らなかったとか開発課が勝手にやったとか抜かしてるけど、まあその辺はもう俺達セキュリティガードの管轄外だから、どうしようもない。管轄外とはいえ今後のスノくんの自衛の為に、情報は回してもらうつもりだ。 「キミの罪は闇オークションでの違法売買だけ。フルアバターは若干改造してあったけど、『フルアバターに味覚プログラムを搭載しないこと』なんていう規定、COVERにはないからね。――ギンカちゃんの方は、ちょっとどうなるかわからないけど」  その名前を口にすると、スノくんは目に見えて細い眉を寄せる。本の少しの変化でも、基本が無表情だからすごくダイレクトに感情が表現されているように見えてしまう。  バンドウギンカは三週間前の騒動の後、C25セキュリティガードから都内の警察に引き渡された。  彼女が運んでいたトランクの中から、男女の遺体が発見されたからだ。この上半身だけの女性と頭から大腿部までしかない男性の遺体には、内臓がほとんどなかった。彼らはバンドウギンカの両親と判明。ドナー被害者だった両名はすでに死人となっていたものの、彼らの命を奪った事に関してどういう罪になるのか、まだわかっていない。立件はこれからで、ギンカちゃんは今自宅謹慎中だ。  最悪殺人、良くても死体遺棄じゃないかというのが俺とマキセの考えだ。裁判が開かれた際の求刑に関しては未知だし、情状酌量も十分あり得る。世間はデザイナーズチルドレンとドナー被害者に同情的だ。まあ、悪いようにはならないと思う。無駄に頭のいいマキセがあれこれ手を回していたから、俺は過度に心配する事を止めた。  ギンカちゃんはきちんと反省している様子だったし、割合俺達の言葉に素直に従っている。  どちらかと言えば俺は、今目の前で横たわる上半身だけの青年の方が心配だった。 「……キミは、俺にフルアバターを返した後、どうするつもりだったの?」  ずっと、気になっていた事だ。  C25ゲート近くの公園に呼び出されたあの夜、スノくんは『明日の夜フルアバターを返す』と言った。彼の最後の仕事はきっと、ギンカちゃんの両親を土の下に埋めることだったんだと思うけど、でもあの時のスノくんはとても刹那的で、すぐにでも世界が終わるような感じだった。  だから俺とマキセは、もしかしてこの子自殺するつもりなんじゃ? とまで考えた。実際はそんな事なかったわけだけど、じゃあ、俺のフルアバターを返して寝たきりの病院患者に戻った後、スノくんはどうするつもりだったのだろう。 「別に、どうするつもりも、ありませんでした、けど……」  俺の疑問に、当の絶望少年はさっぱりと答える。 「どうするつもりも、なかった? え、ってことは、ええと、変わらず病院で生きるつもりだったってこと?」 「……他に、僕の生き方は、ありません。ちょっとだけ、歩いて、食べてみたかっただけだったから。何がしたいとか、特に、思いつかないし。だから僕は普通に、今まで通り、眠ったままの不格好な肉塊に囲まれながら、ギンカと一緒にくだらないことを話したり、天井を眺めたり、COVERネットを弄ったり、……ちょっとだけ、貴方の生活を覗き見したりしながら、生きるつもりで……」 「あ、俺のストーカーは継続するつもりだったんだ」 「…………ライフワークみたいに、なってるんですだって……もう、その、事情聴取の時に、他の人に言ったから、バレてると思いますけど、……僕は貴方の顔が好きだから」  顔だけ? と喉から出かかったけど大人として飲み込む。今日は彼を困らせる為に来たわけじゃない。そういう話は後でゆっくりしたらいい。 「えーと、いやでもキミがまだ俺のことストーキングするつもりで良かった。正直三週間もCOVERクローズ状態にさせられてたし、キミも暫くCOVERネット取り上げられてただろうし、忘れられたり飽きられてたらちょっと困るなーって思ってて」 「……こまる?」 「うん、そう、困る。俺はキミに、頼みたいことっていうか、提案したいことがあるから。というわけでスノくん、うちの子になりませんか?」 「――――は?」  わりといい感じの低い声が返ってきてしまった。さっきまで微塵も変わらなかったスノくんの顔が見るからに不快そうというか、『何言ってんだコイツ』みたいな表情を作っている。  スノくんはやっぱり素直だ。 「……すいません。略さずに説明していただいていいですか……僕が、マエヤマさんの、……何に、」 「スノくんでもパニックになると支離滅裂になるんだねぇ、なんかほっこりするな。キミはいつも完璧だったから。最初から説明するとちょっと長いけど、要するに俺はキミの力になりたい。そして俺はキミに力になってほしい。でもキミを保護することも、キミを雇うこともできない。……遺憾ながらキミには今戸籍がないからだ」  スノくんの能力は折り紙付きだ。マキセが舌を巻いていたように、彼のアバターやCOVERコードに関する能力は、俺の頭では理解できないほど素晴らしい。  我がC25セキュリティガードは一応警察の亜種だけど、技術面での外部スタッフの雇用もなくはない。というかスノくんはまだ二十二歳なんだからこれから勉強してもらって試験受けてもらって数年計画で引きずり込む――のが本当は理想なんだけど、何と言ってもスノくんには戸籍がない。現状彼は死人だ。  一応調べてみたけれどドナー被害者の戸籍復帰はやはりかなり難しいらしい。まず前例がない。この国にとって前例がない、という事は最早不可能と同意語だ。  スノくんは、現在『物』と同じ扱いをされている。人間ではないので、警察機関で雇う訳にいかない。 「というわけでスノくんには、俺のPALになってほしい」  出来るだけさらっと言ったつもりだ。けれど、口にするまでに結構な勇気が必要だった。何と言っても、最高に非人道的な提案だからだ。  割と予想通りに口を半開きにしたスノくんは、予想通りに眉を寄せて戸惑う。マキセもギンカちゃんも、俺が最初に相談した時同じ顔をした。 「……すいません、もう一度言ってください。……貴方の、ええと……」 「PAL。COVER-CONTROL-PAL。俺のCOVER内の情報管理を、キミに任せたい。そうしたら、キミと一緒に仕事をすることができるし、俺はキミのサポートもできる。普通の生活上でもPALとして最低限口出してもらうことになるけど。ほら最近はPALにAI入れたりもするし――」 「僕に、貴方のPALのAIになれ、と?」  その通りなんだけど、そうやって言葉にされるとちょっと怯む。俺は彼に、酷い選択を迫っている。  人権と自由、どちらを選択するか。このまま病院に横たわる生活を続けるか、それとも人間である事を捨ててPALとして存在するか。本当に酷い選択だ。  だからマキセは呆れたし、ギンカちゃんは一回切れた。スノくんにも怒られる覚悟は、一応できている。 「酷い事言っている自覚は一応あるよ。勿論断ってくれてもいい。キミが俺と仕事をしてくれなくても、俺はキミを出来る限りサポートしたいと思う。たまに面会に来るつもりだし、ギンカちゃんの件もできる限りフォローするつもりだ」 「それ、三週間の手続きが必要な面会、ですよね。……会うの、我慢してるうちに狂いそう」  急にそんなかわいい事を言うものだから俺はうっかりにやけそうになったけど、内頬を噛んでどうにか我慢する。 「……俺の相棒になってくれる?」  スノくんの細い手を握って口説きたかったけど、病院関係者には彼に触れる事を許されていない。渾身の笑顔で首を傾げた効果はあったのかなかったのか、少し瞬きを繰り返したスノくんは小さく頷いたように見えた。  俺は、非人道的すぎる方法でほしいものを手に入れた。勿論、彼の事をただのAIとして扱うつもりなんて毛頭ない。彼には、フルアバターを自由に動かせる素晴らしい能力がある。 「よかった。断られたら三週間後にどんな賄賂が必要か考えなきゃいけなかったからね。じゃあ新しい相棒くんに、俺からひとつプレゼントだ」  マキセ、と声をあげる。割合俺に忠実な鮫歯の男は、へいへいと面倒くさそうに口を開きながら予定通りに個室の扉を開けた。  マキセが明けたドアから部屋に入ってきたのは、一人の青年だった。自動プログラムで歩きぴったり五歩で止まったそれは、フルアバターだ。  白すぎる陶器みたいな肌に、白に近い銀と青が混じったショートカットの髪。瞳はちょっとだけ本人より大きい気がするけれど、モデリングに協力してくれたギンカちゃんの希望なのか基本デザインしたマキセの趣味なのか微妙なところだ。まあ、でも、雰囲気あってかっこいい顔だし、実際わりと似ていると思う。  身長はよくわからなかったから、三人で話し合って百六十六センチくらいにした。ギンカちゃんの方が少し高い。俺もマキセもでかいから見下ろしてしまう。怒るかな? と俺は訊いたけれどギンカちゃんは『そんな小さい事で怒る奴じゃない』と言った。  身体にぴったりと吸いつくような技術部署用のボディスーツ。その上から、旧式の白衣を羽織らせたのはマキセだな。さっきまでそんなの羽織ってなかったし。まあ、うん、いいや似合ってるし、白くてひらひらした白衣はなんていうか、とても『らしい』。  スノくんは、少し口を開けていた。もしかしたらそれが彼の口の可動域の限界なのかもしれない。精いっぱいの驚愕を動かない表情で表したスノくんは、たっぷり十秒は黙った後に、震える息を吐いた。 「…………僕、だ」  そう、これはスノくんをモデルにしたフルアバターだ。いやモデルにしたっていうのは語弊があるかもしれない。実際はスノくんが俺に返してくれたフルアバターを、マキセがスノくんっぽく外見改造したものだ。  良かった、わりと感動してくれているらしい。気持ち悪いとか勝手にモデルにするなとか怒られたらどうする? とビビっていた俺とマキセは、胸をなでおろす気持ちで視線を合わせた。 「キミは俺のPALだ。ってことは、俺のこのフルアバターも、キミの管轄下だ。勿論俺が必要な時は返してもらうこともあると思うけど、俺あんまフルアバター使わないからね。基本的にはスノくんが使ってもらっていいよ」 「いいんですか、こんな……ああ、いや、いいのか、僕は、セキュリティガードの持ち物に、なったんだから……」 「いやースノっちその言い方オレの心臓に来るからよくないよくない。重い話向いてないんだっつの。そこんとこは『マエヤマさんのモノ☆』くらいにしとこスノっち。つかマエヤマさんさっさとスノっちにPAL権限譲ってくださいよ時間ないんすよわかってんすかこの無茶苦茶野郎」 「わかってる、わかってるってば、今やるよ」  アバターのパスワードを鳥にして泳がせる能力は俺には無かったので、普通にテキストメッセージを密室通信で送った。ついでに俺のPALをスノくんに繋ぎ、権限移行の契約書を丸ごと投げる。  AI代わりに人間丸ごとPALにつっこむなんて事例聞いたことないし、たぶん後々面倒くさい事山ほどあるだろうけどまあいい。処理能力に関しては、スノくんの頭脳を信じている。とりあえずは共有PALみたいな状態でも問題ない筈だ。  しばらく天井を見て指先を動かしていたスノくんは、ふっと目を閉じた。  そして俺の隣のフルアバターが、両手を上げて左右にぐわっと開いた。瞬間、目の前の空間が透明な壁になり、全面にぎっしりと文字列が浮かぶ。  先ほど俺が丸投げした書類だ。なんとすべて必要事項が記入してある。 「……有能秘書かよ。え、すご、きも……」 「五分でアバター整形できるマキセさんに言われたくないです。いただいた書類は全て揃えましたが、あと三通程申請が必要かと思いますので手配しておきます。あの、マエヤマさんこれ相当無茶していませんか。書類の形式がテンプレートではない物が存在しますが」 「大丈夫大丈夫。所長が大丈夫って言ったからきっと大丈夫。スノくんは! 俺が管理する! 大切な備品です!」  普通こんなこと言われたら腹立つんじゃないかと思うけど、スノくんはアバターの頬をちょっと赤らめて目を逸らした。  流石マキセ芸が細かい。感情のバイタルを表情に直結させているところが憎い。スノくん本体は無表情なのにフルアバターの方は可愛い顔をしているのは、感覚チップの脳波読み取りシステムを応用している……とマキセは解説した。インターネットほじくり返してArts Stageのコードを勉強したらしい。相変わらず変なところだけ職人気質だ。 「それとクロキヤヒコ氏から鬼のように着信がありますが……」 「あ、それは無視していいでーす」 「え、先輩クロキさんの電話無視っていいんすか。あの人湾岸警察のちょっと偉い人じゃないっすか?」 「元親類。今回俺のアバターがなんかアレやべーよって教えてくれた人だけどスノくんの所有権に関して正直バトってて、いやあの人真面目だからさ、こう、人権的な意味で云々、ほら、なんかわかるでしょとにかく後で向こうの頭冷えてから連絡するよ。緊急の連絡なら個人の通信網なんか使わない人だから無視して平気平気。いやーそんなことよりすごいねスノくん、期待通りで期待以上。あとそのアバターかっこいいね、似合ってる」 「……どうも。立って歩く時はずっと貴方のアバターだったので、視線が低いのが、少し不思議な感じです。十二センチも違うんですね。いえ、不満はありません。……あの、すいませんつい普通に仕事を初めてしまいました。最初からやり直した方がいいでしょうか?」 「最初?」 「僕は、貴方のPALだということなので」  ポン、と電子音が鳴る。PALが起動したときの音だ。 『こんにちは、Owner。ご用件を伺います』  いつもの無機質な女性の声ではなく、電子音に加工されたスノくんの声が響く。少し低くて掠れて、でも腹筋に力が入っているプログラムの声だ。実際のスノくん本体も、スノくんのアバターも一言もしゃべっている様子はない。すっかりPALの顔をしたスノくんに、俺は苦笑いを返した。  こういうところ、わりと可愛い、本当に。 「……えーと、とりあえず俺の名前登録して。マエヤマで」 『了解いたしました。Owner:マエヤマ、登録。こんにちは、マエヤマさん。ご用件を伺います』 「いや、普通に喋って普通にアバター使っていいからね? あーでも、スノくんちょっと検索だけして。検索ワードは『キスしやすい身長差』」 『……………検出しました』  俺の目の前には検索結果の『キスをしやすい身長は一般的には十二センチと言われています』というテキストが表示される。なんとも言い難い微妙な無表情を貼り付けたスノくんが少し嫌そうに口を開く。 「あの……これは、一体、どういう意味でしょう」 「実は俺、キミの事随分好きなんだけどなって話、そう言えばしてなかったから、そういうイミ」  ずっと見てたからねと笑うと、俺より十二センチ低い青年は暫く固まった後にじわっと赤面していった。頭の後ろに刺さるマキセの視線が割と痛いが、今日だけは知るかと思う事にする。俺は今日、久しぶりに欲しいと思った人を手に入れたのだ。ちょっとくらい浮かれさせろ。 「ま、とりあえずは落ち着いたところで色々今後の事話そうか。ギンカちゃんのフォローどうするって話も必要だし、あと俺の家のご案内と設備の話と」 「――実は先ほどからこの輸送用救急車の手配と病院の手続きの書類、気にはなっていたんですがやっぱり僕の本体はC25内に移動になるんですね」 「え、うん。俺のだからねキミ。前例ないとか言ってめっちゃ大変だったんだけど転院っていうか引っ越し手続き。月に一回検診を受ける事って条件と他にも死ぬほど条件飲んでどうにかなりました。ってことでまずは引っ越し!」 「……今日引っ越すんですね……」 「あんまり驚かなくなったね?」 「なんだか慣れてきました。マエヤマさんは、さらっとした顔で、本当に突拍子もない事をいきなりやろうとしますね。マキセさんの心労たるや察し……っ、う、わ!?」  俺は自分のアバターをオンにして、さくっとスノくんを抱き上げた。軽い、というか重さなんて感じない。でも慌てたようにスノくんは俺の首に抱き着く。 「お、すごい持てた。でもやっぱ重さとかはないんだねー。当たり前かーこっちのスノくんは拡張現実だもんなー」 「あの、ていうか、感覚プログラムそのままなんですか!?」 「あ、うん。別にそのプログラム生きてても誰も損しないし、なんならチップ内蔵のスノくんにしか効果ないし、誰にもバレやしないかなーと思って。触れて食べれた方が楽しいでしょ?」 「ば、馬鹿じゃ、な……」 「ふはは、マキセと同じ事言う!」  笑った俺の後ろと頭の上から、呆れすぎてどうしようもない、って感じのため息が同時に聞こえた。仲が良くて素晴らしい事だ。そう思う事にする。 「改めてよろしく、スノくん。C25セキュリティガードにようこそ」  明日にでも死にそうな顔をしていた青年は、俺たちが作ったアバターで少しだけ笑顔を作った、ような気がした。  俺は、キミを閉ざされた箱庭から救い上げたわけじゃない。結局俺の箱庭にポン、と移動させただけだ。それでもその庭の中で、キミが少しでも羽を伸ばして笑ってくれたらいいと思う。  大丈夫。何かあってもどうにでもなる。俺はまあ、度胸だけはあるし、マキセは無駄に手先が器用だし、ギンカちゃんの回し蹴りは素晴らしい。そしてスノくんは誰よりも頭がいい。絶対に、誰よりも、キミの脳みそは最強だ。  俺達がついてる。そして俺たちには、キミがついている。  生きていて良かったとキミが笑える明日の為に、俺はほんのちょっとだけ腹に力を入れて質量のないプログラムの身体を抱きしめた。  COVERの下の箱庭にだって、きっと幸福はある筈だ。 end

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