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第5話

 ドームに戻って一人で考え事をする。  これまで起きたことを整理しつつ、これからどうしようかと思いあぐねる。  自分はドラゴンがいる世界――飛竜や火竜、竜人が生活している異世界に迷い込んだようだ。この世界に人間はおらず、竜ではない生き物は〝彷徨い族〟と呼ばれて忌み嫌われている。どうやら碧人はその彷徨い族と呼ばれる生き物に該当するらしい。  このままだと、あの竜人に殺されるかもしれない。  なんとかして元の世界に戻りたいが、その方法が分からない。戻れるのかどうかも分からない。  ――せっかく異世界に転移したのに……魔力が使えるとかチート状態でもないのか。  今のところ、己のステータスに振り分けられるものが何もない。しいて言うなら「丸腰」に全振り状態だ。  ――やばいな。  嫌な予感がする。  これまで自分が目にしてきた異世界ファンタジーの中では、元の世界に戻れないことがほとんどだった。  自分も戻れずにここで死ぬのだろうか――。  想像してぶるっと身震いしていると男が帰ってきた。碧人を見つけて嬉しそうな顔をする。碧人がいるベッドまで駆け足で近づくと、碧人の体を抱き上げて宙に放り投げた。 「ちょっ……わあっ――何するんだよっ!」  抵抗も虚しく両手で受け止められて、また宙に投げられる。  これはあれだな。自分が知っているところの「たかい、たかい」だ。  全然、楽しくない。  むしろ怖い。  碧人の戸惑いを知ってか知らずか、男は満足いくまで碧人を宙に投げた後、守るようにして両腕の中に抱え込んだ。頭を下げてすりすりと頬ずりしてくる。 「ンー、カワイイネ」  男は片言だった。  いや、違う。  碧人は相手が動物なら話す言葉が分かり、ある程度の意思疎通が図れる。だが、人間となると日本語を話す相手としか会話できなかった。自分の知らない言語――例えばスペイン語やフランス語を喋る相手とはコミュニケーションが取れなかったのだ。  ということは――  この男は半分獣なのか?  そうは見えない。獣というよりは、妖精や位の高い神様に見える。違うのだろうか。 「ンー、コッチヘオイデ、ベイビィチャン」  なんとなくその話し方に引く。見た目と違いすぎるのだ。  男は気にする様子もなく碧人を抱き上げると、胡坐をかいた自分の膝の上に碧人を座らせた。手に何か持っている。よく見ると木製の器の中に緑色のペーストが入っていた。男はスプーンでその物体をねりねりした。  ――うわっ、気持ち悪っ……。  青虫をすり潰したような凶悪な見た目だ。 「アーン、デスヨ」 「……やめろって」 「アーン」  物体がなんなのか分からない以上、食べられない。けれど、碧人はこの世界に転移してから水しか飲んでおらず、確かに空腹だった。  ぐうと腹が鳴る。すると、男がグゥと声を出して笑った。  ――くそう。  意味もなく殴りかかりたくなる。けれど、男が冗談や悪戯ではなく愛情を持って接してくれているのが分かって、露骨に反抗できなかった。  一匙食べてみようと思い、やっぱり躊躇する。勇気が出ない。  碧人が頭を左右に振って抵抗していると、男は諦めたのか自分で一匙食べた。 「フン、オイシーノニネ」 「それ、なんだよ。気持ち悪ぃな」 「オイシイ、タベモノダヨ」 「だから、何か説明してくれ」 「ホッペノウロコガ、オチルヨ」 「ウロコって……俺は気分が落ちた……。頼むから、それがなんなのか説明してくれ」 「タベナイト、オオキクナレナイヨ」 「もう充分、大きいから」 「コマッタネ、ベイビィチャン!」 「だから、俺は赤ちゃんじゃない! れっきとした二十五歳、大人の男だ!」  碧人がキレても男は平然としていた。  碧人が怒りで両手の拳を上げて固まっている隙に、一匙、口の中へ入れようとする。 「くそ、隙を狙うんじゃねぇ。無理だから」 「……ムリダ?」 「無理」 「ムリダ……ムリ……」  男はぶつぶつ言いながら碧人を膝から下ろすと、建屋の奥へ消えた。すぐに戻ってくる。  あの古くて分厚い洋書を手に持っていた。  男は妖精のページを開いて碧人に見せた。  碧人はそこに書かれている絵を眺めた。妖精の傍に果物のような絵がある。碧人はそれを差して、これが食べたいと訴えた。 「ムリダム! コレネ、ワカッタ」 「オレンジだろ、それ?」 「アシタ、トッテクルカラ、キョウハ、ミルクノンデ」  男はそう言うとミルクを用意してくれた。細長い皮袋の端っこに穴が開いており、その穴を碧人の口元へ近づけてくる。匂いを嗅ぐと牛乳ではなかったがミルクの香りがした。 「ノンデ」 「…………」  一口飲むと山羊のミルクに近い味がした。癖は強いが飲める。ごくごくと一気に飲み干した。 「ンー、オリコウサンネ」  男は碧人の体を立てると背中をトントンと叩いてきた。馬鹿馬鹿しい。ゲップなんかしてやるもんかと思った瞬間、ケプと可愛いゲップが出た。  ――ああ、もう。 「ジョウズニデキマシタ」  男はそう言うと満足そうな顔で笑った。  その後も男は甲斐甲斐しく碧人の世話を焼き、寝るための服とベッドを整えてくれた。  続けてキラキラしたモビールを枕の上にセットしてくれる。竜が翼を広げて飛んでいる玩具だ。全てを終えると、碧人を後ろ向きの体勢で膝の上に乗せた。 「サテサテ」 「え?」  男の手元に数冊の本があった。  どうやら絵本を読んでくれるようだ。  俺は赤ちゃんじゃないと言おうとしたが、自分の意図が伝わっていないことを考えると、この世界の言葉を覚えた方が近道だと思索する。絵本で言葉が学べるかもしれない。  碧人がおとなしくしていると読み聞かせが始まった。 「ドンナオハナシデショウ」  絵本といっても自分が子どもの頃に読んでいたものとは違う。  豪華な革装本で、中の紙はクラフト紙のように茶色く、独特の質感があった。エッチングに似たモノクロの絵の横に、小さな文字が書かれている。男の言葉と照らし合わせると文字数が足りず、男の語りはほぼ創作なのだと分かった。 「ニヒキハ、シアワセニクラシマシタ。オシマイ」  うーん。竜人が森でホットケーキを焼く話で、どこか既視感があった。他の絵本も牧歌的な話ばかりで聞いているだけで眠くなる。いや、これは多分、寝かしつけの一環だからそれで正解なのか……。  ふと床を見ると、他より分厚い本が見えた。背表紙に竹の節のような凸凹がある。表紙が金属の留め具で綴じられるようになっていて、その四隅に金の飾り鋲がついていた。なんか凄そうだ。  読んでとせがむと、男は少し迷うような表情を見せた後、おもむろに読み始めた。  その絵本は不思議な内容だった。  竜人が住む世界に妖精の赤ちゃんが現れる。その妖精は美しい飛竜に助けられて大事に育てられ、立派な神様へと成長する。神様には特別な能力があり、竜人の世界で起こっている災いや戦いを沈め、人々から崇められる。同時に、悪い竜人にその能力を利用されそうになってしまう。やがて神の国から使者が来て、元の世界に帰る日が来る。最後に、神様は審判の泉と呼ばれる月面が映る泉に身を投げて、お話が終わる。  うーん。これまた強烈なバッドエンドだなと無の境地になったが、かぐや姫的なあれかと納得する。どの時代、どの世界であっても、ウケるお話の型が存在するようだ。神様ネタはどんな世界線でも鉄板なのだろう。  あくびが出る。  目尻にじわりと涙が滲んだ。  そうだ。明日、男が消えた場所に行ってみよう。多分、書庫のような場所があるんだろう。そこに行けば、この世界の言葉や地図、文化や歴史についても学べるかもしれない。  意識が遠のく。  知らないうちにベッドに寝かされて、布をかけられた。  ――なんか……気持ちいいな。  眠りの底に沈みながら、男が頭を優しく撫でてくれたことだけは覚えていた。

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