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第4話

     2  朝起きると男の姿がなかった。  心のどこかで昨日起きたことは全て夢だったのではと、いつもの目覚めを期待していたが、やはり夢ではなかった。  ここは病院のベッドでも自宅のベッドでもない。ぽわんぽわんしているベッドの上で、自分は石造りのドームの中にいる。  チワワのペコちゃんを助けてトラックに轢かれたことも、青い飛竜に攫われたことも、美しい男に出会ったことも全部、事実のようだ。  ――ああ……。  碧人は喉の渇きを覚えて外へ出た。  建屋の傍に手押し式の井戸が見えた。近づいて金属の持ち手を上下させると、シリンダー内のピストンが往復して水が出た。それをごくごく飲む。冷たくて美味しい。 「あー、生き返るな」  軽く顔を洗ってドームの中へ戻った。自分の着ていた服を見つけて、それに着替える。下着はあの男が洗ってくれたのだろうか。やっぱりこっちの方がしっくりくる。長い布は落ち着かない。  周囲を散策してみようと思い、もう一度、外へ出た。  ドームは森の開けた場所にあり、細い小道が木立の奥へと続いていた。そこをしばらく歩く。途中、綺麗な羽をした小鳥とすれ違って、その鳥の声に耳を澄ました。 「……ゾク……サマヨイゾク」  言葉は聞こえるが意味が分からない。  しばらく歩いているとドームに似た建造物が見えた。あのドームと同じように積み上げられた石でできている。  中を覗いてみようと近づいた時、入り口から猛スピードで何かが飛び出してきた。 「……いたいよう、いたいよう」  動物の声。しかも、かなり子どもだ。  痛がっているのが分かる。  ぱっと見たところカエルの置物(オブジェ)が転がり出たように思えたが、目を凝らすとカエルではなく黄緑色をした小さな竜だった。  ――ベビー……ドラゴンか?  短い手足でよちよち歩く姿が可愛い。けれど、その子竜は痛い痛いと泣きながら、後ろ足を引きずっていた。よく見ると片足に水ぶくれのようなものができている。  続いてもう一匹、その子竜を追いかけるように建屋の陰から飛び出してきた。最初の子と皮膚の色が違う。橙色をしたその竜は口からボウッと火を噴いた。すぐにさっきの子竜の水ぶくれはこの火竜が吐いた炎のせいだと分かった。 「わーん、いたいよう」  子竜は半ばパニック状態だ。火傷なら急いで冷やさないといけない。時間との戦いだ。  碧人は逃げ惑う子竜を追いかけた。すると、道の奥に綺麗な小川が見えた。  ――よし、あそこで冷やそう。  碧人は泣いている子竜に追いつき、抱き上げて川まで急いだ。  川岸まで行くと、せせらぎの奥に小さな滝つぼが見えた。水しぶきに太陽の光が当たって綺麗な虹ができている。川の水は冷たく、透明度が高かった。 「ほら、もう大丈夫だぞ」  子竜は碧人の腕の中でキュウキュウと鳴き続けている。抱いたまま川の水で足を冷やすと、徐々にその鳴き声が小さくなった。 「痛かったな。可哀相に……」  優しく話しかけると、子竜は目に涙を溜めながら碧人の顔を見た。  ――ああ、可愛いな。  つるりとしたフォルム、ぽこんと出たお腹、短い手足と尻尾、そのどれもが愛おしい。  子竜の皮膚はふよふよ、すべすべしていて、抱くと心地のよい重さがあった。重心がしっかりとしていて、将来大きくなる生き物なのだと分かる。背中の翼はまだ未熟なのか、瘤のような突起があるだけだ。 「まだ痛むか?」  その体を支えつつ、もう片方の手で頭を撫でてやると、子竜は涙をこぼしながらキュウと鳴いた。  辛かったのだろう。酷い目に遭ったと必死で訴えてくる。  慰めるように軽く抱擁すると、碧人の脚にぎゅっと抱きついてきた。膝に額をぐりぐりと押しつける、その仕草が一途でたまらなく可愛い。 「あの火竜にやられたのか?」  子竜はキュウと返事のような声を出した。  碧人の言葉がきちんと通じているかは微妙だが、ニュアンスは伝わっているようだ。 「小さいのにずいぶん激しい火を吐くんだな」 「わうい、ひりゅう」 「おまえは火を吐かないのか?」 「ぼく、いいこ……キュウゥ……」  黄緑色の竜と橙色の竜は種類が違うのだろうか。  もしかするとこの子竜は将来、碧人を攫った飛竜のようになるのかもしれない。それとも恐竜でいうところの、ティラノザウルスやイグアノドンのような歩行タイプの翼竜になるのだろうか。考えても分からない。  しばらく川の水で冷やしていると、水ぶくれ周辺の炎症が落ち着いた。早めに冷やしたことが功を奏したようで、大事に至らずホッとする。 「おまえの名前はなんていうんだ?」 「キュ…………ュ」 「皆に呼ばれている名前だ。分かるか?」 「……なまえ……せと」 「セト?」 「うん、せと」  子竜は嬉しそうな顔で碧人を見た。 「まだ痛むか?」 「いたいの……なくなた」 「そうか。もう大丈夫だ。よかったな」 「うん」  セトは碧人を見上げると、ふにゃっとはにかむような表情をした。竜の笑顔なのだろうか。透き通った黄金色の瞳が可愛い。 「……にいたん、ありがと」  にいたんが自分のことだと分かり、胸がキュンとする。  何よりも、酷い目に遭ったにもかかわらず、素直に感謝の気持ちを伝えてくる子竜の純真さに碧人は心を打たれた。  子竜が落ち着いたのを見て、碧人は元の場所へ戻った。  きちんと手当てできる状況ならしてやりたい。そう思って建屋の中へ入ろうとすると、体の大きな生き物が二体飛び出してきた。その姿を見て、息が止まる。  二足歩行だったため、あの美しい男のような生き物かと思ったら違った。  ――頭が……ドラゴン?  恐竜のような頭に筋肉質の体、鱗の出た手足と鋭く長い爪を持っている。身に着けているのは戦闘服のようで腰に長い剣を差していた。出で立ちはローマ時代の剣闘士(グラディエーター)のようにも見える。何よりも印象的だったのは、その赤い目だ。  獣人だろうか。  竜が人型を取ったらこうなるのかもしれない。背中にはブルーグレーの翼があり、臀部に硬そうな尻尾が生えている。それがビタンと地面を叩いた。本能剥き出しの荒々しさが見て取れる。 「おまえはここで何をしている?」 「彷徨(サマヨ)い族(ゾク)か?」  獣人は同時に口を開いた。  言葉が分かる。やはりこの生き物は人間ではなく獣のようだ。 「妙な見た目だな、子どもか?」 「ガレス、気を抜くな。何か特別な能力があるかもしれぬ」  二人は話をしながら徐々に距離を詰めてきた。その威圧感と視線の強さに思わず身震いする。 「キュクロ、見てみろ。角も牙も翼も尻尾もないぞ」 「やはり、彷徨い族だな」 「こいつらは俺たちの世界を壊す生き物だ」  竜の獣人なら、竜人――ドラゴニュートなのだろうか。  竜人はそれぞれ名前で呼び合い、キュクロと呼ばれた方は体が大きく、ガレスと呼ばれた方は細身で耳の上にある角が短かった。どちらもブルーグレーの鱗に覆われ、目が赤かった。 「セト、こっちへ来い」 「……どして」 「そいつは彷徨い族だ。俺たちに悪さをする」 「わうさ、しない。にいたん、いいこ」 「いいからこっちへ来るんだ」 「わういのはひりゅう。けるくが、ぼくに、ひをふいた」 「おまえから喧嘩を吹っかけたんだろう。ケルクと同罪だ」 「ちがう、ぼく、いいこ。にいたんも、いいこ!」  セトはこれまでの状況をなんとか説明しようと言葉を繋いだが、近づいたガレスに体ごと奪われてしまった。その隙にキュクロが碧人の方へ近づいてくる。 「彷徨い族は俺たちの世界に迷い込む害虫だ。ここで俺が消してやる!」  顔を近づけられて睨まれる。赤い目が一瞬だけ溶岩のようにパッと明るくなった。  怖い。恐怖で体が痺れて、一歩も動けない……。 「ん? こいつよく見ると……目が青いな……」 「キュクロ、どうかしたのか?」 「目が青い……おまえまさか、誰かに召喚されてここに来たのか?」 「…………」 「希人(マレビト)か」  キュクロが碧人の顎に手をかけようとしたその時、地面に黒い影ができた。雨雲かと空を仰ぐ。すると、大きな竜が飛んでいた。  飛竜だ。  青くて神々しい。  飛竜は一度だけ竜人たちを威嚇するように咆哮した。  ――うわっ……。  耳をつんざくような音に碧人は固まった。両手で耳を押さえてその場に蹲る。風圧が凄い。  セトは目を見開いて飛び上がると、ぴょんぴょん跳ねながら建屋の中へ消えた。  竜人二人は、何か叫びながらお互いを指差して、逃げるようにドームの中へ駆け込んだ。  広い原っぱで一人きりになる。  またあの飛竜に攫われるのかと思い、碧人は目を閉じた。  ――くそ、これまでか。  覚悟を決める。けれど、どれだけ待っても連れ去られることはなかった。  ふと顔を上げると青空に大きな太陽が見えた。

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