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第2話
行きつけのバーは、勤め帰りの客でそこそこ賑わっていた。
いつもの場所である一番奥のボックス席に目をやると、こちらに気付いたエイジが大きく手を振っている。
隣に座っている人物に気付き、透は嫌な方の予感が当たったな、と思った。
オーバーサイズ気味のグレーのパーカーというカジュアルな服装だが、一見したところの印象は完全に女性だ。
「すみません遅くなって」
エイジの方が年上ということもあるので、透は一応形だけ謝罪をしておいた。
「いいっていいって。こっちが急に呼び出したんだし。とりあえず座れよ」
にこにこ笑顔でなんだか機嫌の良さそうなエイジは、自分の前に座るよう勧めてくる。
会わせたい子、であろう女性は、なぜか店の中であるにもかかわらずフードを目深にかぶっていて、表情が読めない。
「大変だったな。突然のことで俺もビックリしたよ」
「元カノのところにいるらしい、ってことまでは掴んだんですけど……二度目だし、戻るのは難しいでしょうね」
自分で言っておきながら絶望的な気持ちになり、透はふたたびため息をつく。
「まぁまぁ、今日は良い知らせがあって呼んだんだよ。この子、藤原聖 ちゃん。滅茶苦茶ギター上手いよ」
「へ?」
突然のことに、透は間抜けな声を出してしまう。
目の前の人物が、長めの袖からのぞく長い指をフードにかけた。そのまま、素早くうしろにおろす。
一瞬、薄暗い店内が発光したかのように錯覚して、透は瞬きを繰り返した。
現れたのは、神々しいばかりの美少女だ。
さらさらの黒髪。長い睫毛に縁取られた大きな瞳。透明感のある白い肌。
化粧っ気はないのに妙に赤いくちびるは、いかにもやわらかそうだった。
しかし、だ。さきほどエイジは何と言っていただろう。
「ギターが上手い、って……まさか、新しいメンバーにどうかってことですか? え、だって女の子ですよね」
驚いて訊ねると、こころなしか聖に睨まれたような気がした。
そして次の瞬間、戸惑う透を尻目に、満面の笑みを浮かべたエイジが耳を疑うようなセリフを言い放つ。
「うんうん、気持ちはわかる。でも、戸籍上はれっきとした男の子なんだよこれが」
「はい!?」
意外な言葉に、透は思わずまじまじと聖の姿を見た。
そう言われてみれば、確かに女性にしては手が骨ばっていて、男らしいように思わなくもない。
「まぁ、これだけ可愛かったら勘違いしてもしょうがないよねぇ~」
すっかりご機嫌なエイジは、そう言って聖の肩を抱いた。彼は特に嫌がる様子もなく、相変わらず黙りこくっている。
「あ、あと言っておかないといけないことがあってさ」
もったいぶった調子でエイジが切り出した。
「聖ちゃん、ちょっと事情があって、声を出すことができないんだよね」
「はぁ……」
それでずっと黙っているのか。怒ってるわけではない……んだよな?
どうにも最初に比べて目つきが鋭くなっているように思うのだが、透はとりあえず気にしないことにした。
「まぁ、ヴォーカルやリーダー以外は喋らない設定のバンドとかあるしさ。そこはそんなに問題ないと思うんだけど」
「う~ん。コミュニケーションが取りづらいのは、バンドとしてどうかなとも」
難色を示す透の眼前に、エイジは携帯電話を掲げた。
「そんな時は文明の利器に頼りなさいよ。筆談っていうか、文字でやり取りすりゃいいじゃない」
「う~~ん」
妙に推してくるエイジに対して、透は気乗りしなかった。
曲のアレンジなど、メンバー間の意思疎通が大事な場では、会話のレスポンスが早い方がいいに決まっている。
「とにかく、演奏を聴いてみてよ。聖ちゃん、音源よろしく」
言われた聖は、テーブルの上に置いてあった音楽プレーヤーを手に取った。最近発売されたばかりのポータブルアンプが繋いであるのを見て、透は嬉しくなる。
「そのアンプ、俺も欲しいと思ってるんだよね」
話しかけると、聖が大きな瞳をさらに丸くした。そして、ふわっと花がほころぶように笑う。
その顔を見て、透は心臓を撃ち抜かれたような錯覚に陥った。
なんか今、めちゃくちゃ可愛いとか思ったんだけどどうしよう。
相手は男のはずなのだが、なぜかドキドキしてしまう。
顔を赤くしている透には気付かない様子で、聖はいつの間にか接続したらしいヘッドフォンを差し出した。
受け取るときに手が触れてしまい、余計に心臓が暴れだす。
なんとか気を鎮めてヘッドフォンを装着すると、ギターのリフが鳴り響いた。
「嘘だろ……」
自分では意識しないまま、透は思わずつぶやく。
流れてきた音は、とても目の前の華奢な身体が演奏しているとは思えないほどパワフルだった。
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