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第3部 20話
翌朝、マンションのエントランスに現れた翔の姿を見て、聖は絶句した。そもそも声が出ないのだからおかしな話なのだが、ともかく。
「どう? 新しいヘアスタイル」
おどけて言う彼の頭は、真っ黒に染め上げられている。
どうして、と目で問うが、理由など聞くまでもないと気付いた。
「なんかさ、急に思い立って美容師のダチんとこ電話してさぁ。閉店後だったから、すっげー文句言われたよ」
翔は必死で笑顔を作っているが、あきらかに憔悴している様子だった。
聖はどうしたら良いのかわからず、ただじっとその目をみつめる。
「良かったな」
かろうじて耳に届くような声で、翔がつぶやいた。
聖はまた泣きそうになって、肯定するふりをしてうつむく。
時間差で現れた透は、翔の頭を見るなり開口一番「誰!?」と叫んだ。
「これはまぁ、ますます男前になって」
「悪いな、お前のファン総取りだわ」
先日までの気まずさなどはどこ吹く風、といった感じで軽口を叩き合うふたりを、聖は羨ましい気持ちで眺める。
「失恋して髪を切るとか、女々しさの極みだよなぁ」
なんでもないことのように翔は言い放ち、極上の笑みを浮かべた。
昨夜からすっかり涙腺が崩壊している聖は、こぼれ落ちてくる涙を止めることができない。
隣の透が、そっとハンカチを差し出す。
「あれは、あいつなりの祝福のつもりなんだろうな」
ちいさな声に、涙をぬぐいながらうなずいた。
「あ、そうだ。悪いけどトールはバイクで行ってくんない?」
「は? なんでだよ」
翔は黙って、路肩に停めてある愛車を指差した。
助手席と後部座席の窓から、見慣れた三人が顔を出している。
「ちょ、なんでみんなまで来てんの? これから行くとこわかってる!?」
透は呆れたように叫ぶが、その顔は嬉しさを隠しきれていない。
ようやく収まってきた涙がまたあふれだしてきて、聖は慌ててハンカチを両目に押し当てた。
「おーい、はよせんと間に合わへんで」
「大きい病院ってさぁ、待ち時間超長いじゃん? ゲーム持ってきたからみんなでやろうよ」
「秋都、遊びに行くんじゃないぞ。たしかに退屈そうだけど、せめてしりとりするくらいにしとけ」
大きく手を振っている皆のもとに、翔が走り出す。
「しょーがねぇなぁ。聖、どうする? ……って、聞くまでもないか」
おどけた調子で言うと、透は聖の手を取ってマンションの駐輪場へと歩き出す。
「ほんと、最強で最高のメンバーだな」
そう言って隣で笑う透に、聖は同意を込めて繋いだ手をぎゅっ、と強く握る。
「今頃あいつら、聖が来ないって騒いでんだろーなー」
後ろを振り返った彼につられて車の方を見ると、既にエンジンをかけて待機している。
「でも、さ。お前の指定席は、もう予約済だから」
透はにっこりと笑うと、すばやく聖の頬に口付けた。
「俺のバイクの後ろだろ。普段はずっと隣で……あ、なんなら上に乗ってくれても」
ニヤニヤしながらふざけたことを言う恋人に、聖はパンチをお見舞いしてやる。
「いって〜。まったく、ゆうべはあんなに可愛かったのに……」
ぽつりとつぶやかれたセリフに、聖はかあっ、と顔が熱くなる。
ぽかぽかと透の肩を拳で叩きながら、こんなことを病院内で言われたりしたらどうしよう、と要らぬ心配をしてしまった。
まあ、いいか。その時は、きっとメンバーがボコボコにしてくれるだろうから。
そんな過激なことを考えながら、渡されたヘルメットをかぶる。
愛しい恋人の背中にしがみついて、聖は目を閉じた。
いまはもう、暗闇も怖くない。
目を開けば、そこには眩しい未来が――頼もしい仲間が、愛してやまない運命のひとが、待ってくれているから。
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