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第2話

 ――この王国の人間は、基本的に、全員が魔力を持っている。なので、魔術師は全然珍しくない。一方の、剣や槍、斧の使い手というのは、訓練やある種の才能も必要だとされ、尊敬されているし、地位も高い。  なお世界は平和であり、大陸内部で、人間同士の戦争などもう三百年は発生していない。王立騎士団が討伐する相手というのは、基本的に魔獣であるし、活躍する場はそういった魔獣や自然災害への対応となる。  僕が採用試験を受けようと考えているのは、王立騎士団の中の、第五騎士団である。第五騎士団は、魔術師のみが所属する。主に裏方任務が多くて、華々しく魔獣討伐をする第一から第三の騎士団や、王都の警備専門の第四騎士団、国境沿いの警備をする第五騎士団、災害対応の専門家の集まりである第六から第八騎士団の全てに対して、人手が足りない時は助っ人として向かうが、平時は一番規律が緩い事で評判の――何でも屋的な存在が、第五騎士団だと聞いている。  一ヶ月の間に、僕は一度だけ職場見学に向かい、その場で第五騎士団のロルフ団長に、直接そのように聞いてきた。曰く――『一番楽だぞ!』との事だった。その言葉に惹かれ、僕はその場で履歴書を提出してきた。なんでも『第一騎士団のシュヴァーベン団長なんて鬼だからな? 俺のように優しい団長がいる騎士団は最高だぞ?』と、自分でいうタイプで、ロルフ団長は明るそうな人物だった。シュヴァーベンという名はどこかで聞いたなと思ったものの、まぁ第一騎士団は有名だし、新聞で見かけたのかなぁと漠然と思った。  このようにして一ヶ月が過ぎ、三月末が訪れた。  お祖父ちゃんの腰はだいぶ良くなってきたようではあったが、長く歩くのはまだ辛い様子であるし、僕が今月も家賃の回収を代行する事になった。今回は手紙が届いていて、ロベルトさんは仕事の都合で、月末の十五時頃が良いと事前に申告してくれた為、助かった。  お見舞い品のお礼というのも変かもしれないが、僕は冬梨という果物を用意した。お祖父ちゃんも、持って行けと言って笑っていた。 「こんにちはー! 家賃の回収に参りましたー!」  指定された日時に僕が邸宅に向かうと、前回同様青年が顔を出した。今度はすぐに出てきた。僕を見ると、細く長く吐息してから、彼は麻袋を取り出した。 「確かに。それとこれ、雪苺のお礼です。それと祖父もお礼を伝えて欲しいとの事でした! 本当に有難うございました!」  僕がカゴを渡すと、青年が緩慢に瞬きをしてから、唇の片端をごく小さく持ち上げた。 「こちらこそ礼を言う。逆に気を遣わせてしまったようだな」 「いえいえ! それでは、失礼します」 「ああ――っ、く」  その時、不意にロベルトさんが、右手で左の二の腕を押さえた。辛そうに吐息したのを見て、帰ろうとしていた僕は、目を丸くした。 「どうかなさったんですか?」 「少し、仕事でミスをしてしまってな」 「え?」 「この程度問題は無い」 「だ、大丈夫ですか? お怪我ですか?」 「ああ、どうという事は無い切り傷なんだが……」 「痛み止めの魔法薬、医療院から貰ってきます?」    咄嗟に僕が提案すると、思案するような瞳をした後、ロベルトさんがじっと僕を見た。 「頼めるか? 丁度、魔法薬が切れてしまったんだ」 「ええ。待っていて下さいね!」  こうして僕は、急いで王都の医療院へと向かい、市販の魔法薬を購入した。そうして戻ると、ロベルトさんが僕に言った。 「有難う」 「いえいえ! お大事に! 困った事があれば、いつでもご連絡下さい。それが、大家の仕事でもありますから!」 「――そうか、仕事か。助かる」 「いえいえ。それでは、また!」  僕は元気にそう告げ、その場を後にした。こうして、三月末も、無事に家賃を回収した。  だが、怪我というのは、やはり気になる。  そこで、魔法薬の瓶が空になると考えられる三日後に、一応訪ねてみる事に決めた。切り傷ができる仕事という事は、刃物を扱う職人さんか何かなのだろうかと考えつつ、お見舞い用にクリームスープと、念のため魔法薬を持参した。 「こんにちはー!」  そして邸宅の前に立ち、声をかけてから呼び鈴を鳴らした。  不在だろうかと考えながら、僕はまだ庭に残っている雪を見る。だが、今月中にはすべて消えるだろう。この王国は雪が深いのだが、だからこそ一瞬の春がより際立って美しい。 「――君は……」 「あ、ロベルトさん! お怪我は大丈夫ですか? これ、念のための魔法薬と、あとはお見舞いのスープです」  僕が持参した品を一瞥してから顔をあげると、ロベルトさんが目を瞠った。それから、ちょっと目を惹く柔和な笑みを浮かべた。 「有難う。上がってくれ」 「いえ、そこまでは! 大丈夫かなぁって思って見に来ただけなので」 「仕事、か?」 「まぁ、そうですね。祖父の代わりに、頑張ります」 「そうか」 「お大事にして下さいね!」  笑顔で告げてから、僕は見舞いの品を渡した。すると優しい眼差しに代わったロベルトさんが、受け取ってから、僕に言った。 「ああ。もうほとんど俺も癒えているんだ。だが、心配した周囲が、完全に傷が塞がるまで休めと煩くてな」 「僕も休んだ方がいいと思うけどなぁ」 「しかし常日頃多忙だと、不意の休みが暇でならない」 「あ、それはすっごく分かります」 「だから、少し話し相手になってくれないか? これは――仕事として、ではなく。ただの俺個人の願いだ」 「僕で良ければ、いくらでも! そういう事なら、お邪魔します」  採用試験やその結果が分かって働き始めるまで暇なのは、僕も同じだ。こうしてこの日、僕は初めて邸宅の中へと入った。まずはスープが入った鍋を厨房に置かせてもらった後、案内された応接間で向かい合ってソファに座った。 「ジル、だったか?」 「はい」 「君は、何歳だ?」 「二十三歳です。ロベルトさんは?」 「敬語でなくて構わないし、『さん』も不要だ。俺は、二十七歳だ」 「意外とフランク! 僕より四歳年上ですね」  僕が両頬を持ち上げると、ロベルトが喉で笑った。  この日は、その後夕食時になるまで、二人でずっと雑談をしていた。 「明日も来てくれるか?」 「僕で良ければ喜んで」  丁度暇をしているのは同じなので、親近感を抱いてしまったし、ロベルトの話は面白かった。こうして、以降僕は、ロベルトの家に日参して、雑談をするようになった。  毎日、沢山の事を話した。趣味や、好きな料理、嫌いな食べ物、動物について。専ら僕が話す事が多くて、ロベルトは質問を投げた後、笑顔で話を聞いてくれた。その内に、一ヶ月があっという間に経過し、四月末が訪れた。 「ロベルト、今日は家賃の日だよ」 「ああ、そうだったな」 「僕が家賃を受け取るのも、今日が最後かぁ」  何気なく呟くと、ロベルトが驚いたような顔をした。 「最後? どういう意味だ?」 「うん? ああ、お祖父ちゃんももう全快したから、今月からは自分で家賃を貰う仕事を半分は再開してるんだ」 「……それは喜ばしいが、この邸宅はジルの管轄外となるという事か?」 「ううん。僕も来月からは、別の仕事をする予定だしね」 「――ジルは、フリッツさんの跡を継いで、大家をするのかと思っていた。そうか……」「ロベルトも、来月から仕事に復帰すると話していたよね?」 「ああ……」 「そうなると、これからは会えないね。でも! お休みの日とか、タイミングがあったら、また話そうね!」 別れは寂しいが、いつまでも暇というのも困るものだ。それに僕らは、もう良い友人になったと思うので、会おうと思えば会えるはずだ。 「約束だ。必ず会おう。休日は、全部会いたいほどだ」 「大げさだなぁ。うん、約束しよ!」 「ところで、ジルは来月採用試験とすると、仕事は騎士団か?」 「うん」 「どの騎士団の試験を受けるんだ?」 「第五騎士団だよ」 「そうか」  頷いたロベルトは、それからそっと僕の頬に触れた。 「ジルならば、きっと大丈夫だと信じている。だが、無理はしないようにな」 「有難う」  こうして、その後家賃を受け取り、僕はロベルトの家を後にした。  ただ正直、あんなにも外見が端正で性格も良く、優しいロベルトと、平凡を絵にかいたような僕では、それこそ暇という共通点が消失したら、今後人生で交わる事は無いようにも感じていた。寂しいが、仕方のない事である。実は最近の僕は、このまま一緒にいたらロベルトに惚れてしまいそうで怖いというのもあったので、その部分では少し安堵もしていた。優しいロベルトのそばにいて、惚れない人なんて、絶対いないと僕は思う。だが、フラれたらもう友人としてすら話せなくなってしまうので、それが怖かったし、きっとこういう終わりで良いのだろう。 「そういえば、結局ロベルトの仕事の話って一回も聞かなかったなぁ。怪我をしたみたいだったから、職人さんかなとは思ったけど、あんまり聞いても悪いかなって思って忘れてたんだった……次に、またもし本当に会えたら、聞いてみようかな?」  そんな事を一人呟きながら、僕は帰宅した。  そして祖父に家賃の入った麻袋を渡してから、この夜はじっくりと眠った。  その数日後に受けた採用試験の結果は無事に合格――僕が、五月の半ばから、第五騎士団の一員となる事が決まったのだった。

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