2 / 34

第2話

その日の帰り、三人は予定通りコンビニへ寄って飲み物とお菓子を買い込み、清盛の家で遊ぶことになった。時刻的には夕方に差し掛かったところだが、まだまだ日は長い。しかし少し風も出てきて、昼間よりはほんの少し過ごしやすくなっている。 悠は制服で胸元を扇いでいると、藤本がじっとこちらを見ていることに気付いた。 「何?」 「いや、お前また痩せたんじゃないかと思って。毎日登校してるのに俺らみたいに日焼けしないし」 その言葉に、悠は内心胸が痛む。悠の身長は高校一年生のとき、あと二センチで一七〇になるというところで完全に止まってしまった。その上体格も細く、色白で日に焼けると赤くなるタイプで、良いことなんてまるでない、とコンプレックスを持っている。 容姿に関しても、母親譲りの童顔で、年下、酷いときは性別まで間違われることもしばしばある。 普通の男子なら当然の反応だが、その上悠には、あまり人に知られたくない理由があった。 三人は清盛の家に着くと、家で一番広いリビングとキッチンが一緒になった部屋に移動した。 清盛の家は悠の自宅からすぐ近くの一軒屋だ。住人は清盛とその母親のみ。二人で住むにしては少し広く感じる上に、ライターの母親は生活が不規則で、日中はほとんど家に帰ってこない。 なので、寂しがり屋の清盛は、よく友達を家に呼んで、騒いだり、ご飯を食べたりするのだ。 「夏は苦手なんだ」 何でかという理由は言わない。リビングのソファーに座ると、それぞれ買ったものを開けていく。藤本もその後深くは聞いてこなかった。 「夜メシどうする?」 「キヨ、お菓子食べながらよくそんな台詞言えるな」 「春名に一票」 今日は清盛の母から、明日の昼までのご飯係を頼まれているため、悠はカウンター続きのキッチンに向かう。春名家と木全家は母親同士仲良く、こうしてお互いの家に行ってご飯をご馳走するということも多々あった。 しかし最近は悠の料理の味に木全家がとりこになってしまい、頼まれるうちに清盛の世話もするようになってしまったのだ。 「悠の作るオムライス、超ウマイの! 俺それ食いたい」 無邪気に笑う清盛はいつも自然体だ。顔は女子が騒ぐほどかっこいいのに、背だって悠より十五センチほど高いのに、幼稚園児ほどにしか見えないのは、清盛のお世話係として側にいたせいだからだろうか、と思う。 「材料はあるから、それ作るか。あとは? 弁当にしやすいものならから揚げ、筑前煮、枝豆……どうする?」 「全部!」 「……はいはい」 少しは作る側のことも考えろよ、と怒鳴りたくなるが、笑顔でそう言われると反論する気も失せる。 「春名、オカンみたいだな」 清盛との会話を聞いていた藤本は、ニヤニヤしながらこちらを見ている。 「マジで俺のオカンみたいだよ。コイツ、料理はめちゃめちゃ上手いから」 清盛が余計なことを口走る前に、と悠は口を開いた。藤本が浮かべている笑顔が怖い。 「お前が何もやらないから、絵美さん諦めて俺に泣きついてきたんだよ。俺が上手いんじゃなくて、お前が壊滅的に不器用だから、そうならざるを得なかったんだ」 ニヤニヤ笑いをやめない藤本の視線を痛いくらいに感じながら、フライパンを取り出す。 十何年使ってきたキッチンも、自分の家と変わらないくらい使い勝手を知ってしまっている。少し乱暴にコンロに置くと、材料を次々と出していった。 「照れるな、春名」 「照れてない」 「悠は照れるとよくしゃべるから」 藤本に続いて清盛までも悠をからかいだす。二人とも、ソファーの背もたれに肘を突いて 悠の行動を見ている。 特に清盛は悠が料理しているところを眺めるのが好きだ。小さい子のように目を輝かせているから、自然と気合が入ってしまう。そうやって、天性の甘え上手に上手く乗せられ、甘やかしてきた自覚はあるが、かといって清盛に家事をやらせたら、大変なことになるのでどうしようもない。 この間なんて、洗濯洗剤と間違えて漂白剤を、しかも一本まるっと入れた時にはどうしようかと思った。 掃除用に悠が買った重曹を、塩と間違えて料理に使おうとするし、目が離せないったらない。 基本的に作り置きできる料理を、と手際よく作っていると、清盛がつまらなそうにため息をつ いた。 「あーあ、遊びに行きたいなぁ」 「受験生が何言ってんだ」 「今度は清盛に一票。せっかくの夏休み、終わる前にどこかに行きたいよなー」 自分に同意してくれる人がいると知ったとたん、清盛の目が輝いた。身を乗り出したそのお尻には、大きな尻尾が見えるようだ。 「じゃあ、遊園地いこ!」 「あ、そういえば三浦たちがお前らと一度遊びたいって。ついでに呼ぶ?」 藤本の口から女の子の名前が出たとたん、悠はサッと血の気が引いた。 「いいね! 大勢いたら楽しそうだし」 清盛は無邪気にはしゃいでいるが、とてもじゃないけどそれは賛成できない、と悠は拳を握る。どうか冗談でありますように、と料理をする手を動かしながら祈る。 「なぁ、悠も行くだろ?」 また目をキラキラさせて尋ねてくる清盛に、悠は申し訳ない思いでいっぱいになった。 でも、ここで断ればきっと理由も尋ねられるだろう。どうするべきか、迷った。 「俺はいいよ、二人で行ってきて」 行っても迷惑をかけるだけだ、とどうしても賛成できず断ると、思いがけず藤本が食い下がってきた。 「何でだよ、せっかく高校最後の夏休みなのに。卒業したら、みんな別の道に行くかもしれないんだぞ? 思い出くらい作りたいだろ?」 「藤本、俺ら志望大学は一緒だろ? 思い出なんて、これからいくらでも作れるじゃないか」 悠は冷蔵庫から出した材料をそれぞれ手際よく切っていきながら、内心舌打ちをした。さっきは突っ込んでこなかったくせに、と包丁を持つ手に力を入れる。 「あー、悠も幸太も、やめろよ。幸太、コイツ実は人ごみとかスゲー苦手で。酷いときには調子が悪くなって動けなくなるんだ。だから俺たち二人と女子で行こう。な?」 清盛がフォローしてくれるが、きちんと理由も言えない自分が気まずくて顔を逸らした。人酔いするのは事実だけど、清盛が知っているとは思っていなかったので、顔が熱くなる。 この反応は、隠したかった事実を露呈されたからでもなく、フォローされた自分が恥ずかしいのでもなく、それを清盛が知っていたことが嬉しいからだった。 そんなことで一喜一憂できるのは、ある感情が悠のなかに住んでいるからで、中学生のときに自覚してからは、ずっと心の中に押しとどめてきた。 敵わないな、と密かにため息をつくと、またしても藤本の視線に気付いて、ごまかすために咳払いをした。彼は時々こうして何もかも見透かすような視線をくれるので、気が抜けない。 (この気持ちだけは、絶対に知られてはいけない) 四年前、清盛に初めての彼女ができて知った、彼への淡い気持ち。 それは、幼馴染だからという執着でもなく、自分より先に恋人ができたという嫉妬や羨望でもなく、ただただ大切にしたいという、恋心だったのだ。 それに気付いたときには自分でも愕然として、それから呆れた。 そして妙に納得した。女の子には過剰なほど拒否反応を示すし、清盛以外の同性に触れられるのも、気分が悪くなるからだ。 決してモテない訳でもない悠だが、どの告白も嫌悪以外与えてはくれなかった。 そして、そんな気持ちは、自覚と同時に諦めなければならなかった。清盛は決して同性に食指は向かない。十八年付き合ってきて、今までも、これからも、それは変わらないと知っている。 「というか、春名に気晴らしさせたかったんだけど、意味ねぇじゃん」 藤本は諦めたようにため息をつくと、そんなことを言い出した。 「さっきも言ったけど、お前ちょっと痩せすぎ。時々思いつめた顔してるしさ」 心配なんだよ、と照れもせず真っ直ぐに伝えてくる藤本は、やはり鋭いところがあるなと思うのと、普段は人のことからかってるくせに、根はいい奴なんだと思わせる。 しかし、夏の女の子の服装は、悠にとって本当の意味で目に毒なのだ、一緒に行っても迷惑になるだけだろう。 「やっぱ受験が心配だからさ。この時期いくら勉強しても上手くいく気しないし……ありがとな」 もっともらしいことを言うと、藤本は一瞬顔をしかめたが、それ以上は突っ込んでこなかった。 清盛たちは悠が女性嫌いだということを知らないし、話す気もない。そして、この三人で最も学力がある悠が、勉強について心配しているなど、どう考えても嘘だ。敢えて分かりやすい嘘をつけば、察しのいい藤本は踏み込んで来ないことも悠は知っている。 「かーっ、嫌味かよそれ」 何も知らない清盛は、素直に受け取ってふてくされている。手足を投げ出し、ズルズルとソファーから落ちていった。 「そんなんじゃないけど、キヨたちとは学部が違うから、色々不安なんだよ。……ほら、料理もうできるよ、机の上片付けて」 はーい、と片づけを始める二人に、ごめん、と心の中で呟いた。清盛の心が自分に向かないのと同じように、自分も本当のことを言うつもりはないのも、これからも変わらないのだと。

ともだちにシェアしよう!