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第17話
翌朝、雪は積もらなかったらしく、溶けたそれはあちこちを凍らせていた。
部屋の中でも白い息が確認でき、今日も寒いな、と悠は心の中でため息をつく。
清盛は悠が目を覚ますまで、ずっと抱きしめて眠っていた。
ずっと同じ体勢でいたせいか身体が痛く、なかなか放してくれない清盛を追いやりベッドから出た。
小さい頃から変わらないこの清盛の部屋は、もう数え切れないほど遊びに来たな、としみじみ思う。
ベッドと、勉強机と、本棚とテレビ。
清盛はゲームが好きで、ソフトはサッカー関連のものが多い。
どこまでサッカー馬鹿なんだ、と小さく吹き出すと、そのソフトの山から、ぺらりと紙が出て
いるのに気付く。
ゲーム関連のものではないみたいで、近付いてみると新聞記事だと分かった。
サッカー選手の切り抜きか、とも思ったが、見えた見出しの一部に「逮捕」とあったので思わず引き抜いた。
『園児に暴行、保育士の女(三十四)逮捕』
悠はそれを見たことを後悔した。
しかし、見出しだけで気分が悪くなる記事だって分かっているのに手も目も離せない。
紙の変色具合からして随分前のものだろう、何故こんな記事を清盛が持っているのか、記事を読み進めてみた。
『七月十四日午後、××保育園勤務の容疑者は、同保育園に通う園児(四)に性的暴行を加えたとして逮捕された。容疑者は、可愛がっていただけ、と犯行を認めておらず、警察に任意同行の上、事情を聞くことにしている。尚、被害者の園児は精神的ショックが酷いようで、現在も入院中』
「この保育園……近所じゃないか」
そう呟いた瞬間、突然吐き気が悠を襲った。
自分でもビックリして、何度かえずいたが涙と荒い息しか出ず、目を閉じたら薄暗い教室が見えた。
どこかで見た風景だと、遠くから冷静に考える自分が言った。
そこにはおもちゃやピアノがあり、通っていた保育園の風景だと思い出す。
昼間なのにカーテンが引かれているのは、みんなでお昼寝の時間だったからだ。
(そうだ、あの時……)
悠は身体を折り、胸と口を押さえた。
どうして今まで忘れていたのだろう。
これこそ悠が女性を嫌いになった原因なのに。
勝手にフラッシュバックする脳を恨みながら、現実と過去を行き来し、ショートしそうだった。
先生と一緒にねんねしよっか、そう言われて付いていったその部屋。
訳が分からないまま強引に触らされた女の身体、おっぱい飲んで、とせがんだ先生の歪んだ顔、嫌がる顔に押し付けられた、ねっとりと濡れた性器。
とたんに喉がヒュッと鳴った。
激しく咳き込むと、清盛がそれに気付いて起き上がる。
「どうしたっ?」
近くに落とした記事を見つけて、清盛は背中をさすりながら抱きしめてくる。
その瞬間、悠は現実に戻り、視界には清盛の部屋が映る。
「ああバカ、これ読んだのかよ……っ」
「……っ、キ、ヨ……」
「大丈夫、俺がいる。……大丈夫」
助けて、とすがりつくと、悠の脳内はまた過去に遡ってしまう。
この頃からやんちゃぶりを発揮していた清盛は、お昼寝の時間も寝付けず、勝手に教室を飛び出していた。
こら、待ちなさい清盛君っ、と他の先生の声がして、悠たちがいる教室のドアが開いた。
薄暗い中、悠の手を掴み、性器へ入れていた女は悠を突き飛ばし、悠は木製のロッカーに頭を
打ちつける。
中に入ってきた清盛は、その異様な光景を見て大声を出した。
「先生! 悠が突き飛ばされた!」
清盛は何をされていたか分からなくても、それが良くないことだと察したらしい。
大声で他の先生を呼び、清盛を追いかけていた先生がすぐに教室に入ってきた。
ロッカーにもたれてうずくまっていた悠は、女の臭いに吐き気がした。
しかし、口を押さえようとしても、手も顔も汚れており、その事実が一層血の気をなくさせる。
「悠!」
近くに清盛が走ってきた。それでも声も出せないほど怖がっていた悠は、震えるばかりで清盛を見つめていた。
「もう大丈夫だから」
ベタベタの悠を気にせず抱きしめた清盛は、その言葉を繰り返した。
悠にいたずらをしていた保育士は乱れた服を直そうとしていたところを、他の保育士に見られ、うなだれたまま動かなかった。
「き、よ……」
「そう、俺がついてる。大丈夫」
魔法のように効いたその言葉は、現実のものと重なり、悠はまた現実へ引き戻された。
呼吸も正常に戻り、うるさくなっていた心臓の音がだんだん治まっていく。
少し眩暈がして清盛の胸に額を押し付けると、抱きしめる力が強くなった。
「あの記事、悠がこうやって取り乱すたび、どう対処したらいいかを忘れないように持っていただけなんだ」
ただ、お前は忘れてたみたいだから、と付け加える。
今まで無理矢理押し込んでいたのもが溢れ出るように、悠の記憶は次々とつながっていった。
あの事件は、その後のほうが大変だった。ショックで高熱を出した悠は病院に入院し、熱が引いたと思ったら、今度は言葉が出なくなってしまった。
園児への性的暴行というショッキングな事件に、地元のマスコミは食いつき、悠の当時の容姿を話題にしようと無遠慮に近付いてきた。
それでますます人が嫌いになったというわけだ。
当然ながらその保育園には通えなくなり、退園することになったのだが、その後忌まわしい事件を忘れることによって、精神のバランスを取った悠は、言葉も戻った。
それに二年かかった悠は、小学校に上がる頃には非常に大人しい子になっていた。
「ホント小さい頃のお前は、人形みたいに可愛くて……母さんに、側にいるだけで、守ってあげられることもある、って聞いて」
だからずっと一緒にいたのか、と悠は納得した。
邪険にしない悠につけこんで、我儘放題やってきたのだとばかり思っていた。
いじめの対象になりやすかった悠は、清盛が側にいることで、それから守られていたのだ。
「守ってやるって決めたのに、そのうち面倒を見られる関係になったのは否めないけど」
清盛は苦笑しながら悠の頭を撫でた。
いつか、形が良いから撫でたくなる、と言っていたらしいことを思い出す。
「ごめんな。こんな形で思い出したくなかったはずなのに」
否定の言葉を言おうと思ったら、引き攣れた声しか出ず、首を振った。
無理するな、と頭を撫で続けてくれる。
そのあまりの心地よさに、好きな人からしか与えられない感触があることを知った。
そして、初めて清盛も同じように感じて欲しいと願った。
全てが満たされるこの幸せを、触れることによって与えることができるなら、悠はそうしたいと思った。
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