───それから暫く経った。 αのみを侵すウイルスは半年以上の時間をかけ、完全とは言えないまでも、徐々に収束傾向へと向かっていた。 その間も店は無理矢理営業を続けたが、幸い系列を含めた従業員の中にαが俺しかいなかったお陰で 店内で感染者を出すような事態にはならず、難を逃れた。 …俺自身、一度は死を覚悟した身ではあるものの、当時不動のエースと謳われたΩキャストによりこうして今も変わらず生きている。 あの日以降、黒服として店に顔を出さなくなった俺に ──何人か勘の鋭い奴らがあれこれ噂を流したようだが、そんな何処にも証拠の存在しない噂などウイルスの収束よりも早く皆の記憶から消え去った。 そう。 黒服の俺はもういない…… 「お邪魔しま〜す！健太君今日休み？ この時間家いるの珍しいね！」 「いらっしゃい………アリスさん」 「も〜、俺いつまでアリスやってればいいわけ？」 番を結んで半年。 どうにも呼び名は癖付いてしまったらしく、やっぱり今日も本当の名が呼べなくて。 言葉なんかがなくても、命を救い、救われてしまった時点で互いの気持ちは嘘偽りのない事実なのだが、 考えてみればあのときの俺はアリスさん自身をあまりにも知らなさすぎたようだ。 ──それ故今の俺があるのだが。 「…別に間違ってはないでしょう」 「それも！踏まえて言ってるんだけどね！」 あれから本名だとか出身だとか、あとアリスという店の名が実は“有栖”という洒落た苗字だった事くらいは聞いた。 けれど、親がαだという事もあり、もう少し世間が落ち着いたら、なんて理由を作って未だに籍は入れていない。 俗に言う半同棲中というものだ。 アリスさんの新しい仕事はもちろん昼職で、早番の日や次の日が休みの日はよく俺の家に泊まりに来るようになった。 新しいアリスさんの生活は応援したいし、俺も可能な限りは一緒にいたいと思う。 過去のアリスさんを知らない代わりに、今のアリスさんを俺は知っている。 しかし、これまでの俺のを知っている代わりに、アリスさんは今の俺を知らない。 今も俺は、あの店で働いている。 それは嘘ではない。 けれど。 ……言えるかよ。 ついさっきまで見知らぬ男に突っ込まれていたなんて。 それも、1人や2人じゃない。 もう何人もに。何度も、何度も。 まだ痛む下半身を庇うようにベッドに腰かけた。 無邪気に笑うアリスさんの笑顔を見れば、痛みなどどうでも良くなる。 この身体が、精神が、限界を迎えない一番の理由は、今日も俺に優しく笑いかけてくれるこの人が居てくれるからだ。 どうか、こんな俺を 嫌わないでいてほしい。