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第2話

   ★ ★  朝の光の眩しさに、トールは眼を覚ました。   寝台の上に半身を起こすと、彼は大きく伸びをした。すぐ横の窓が少し開いている。朝の少し冷たい風が、柔らかそうな金色の髪をさらりと揺らす。 「今日もいい天気だな」  窓から見える青い空を見ながら、大きな独り言を言う。  ふと気づくと、寝台の傍らに、腕を組んだ男が渋い顔をして、立っていた。 「あ、おはよ、イオ」  トールは、この爽やかな朝に負けないくらい、爽やかに笑った。しかし、イオの眼は冷たい。 「な……っにが、おはよ、イオ、だ」  言葉も冷たい。 「いったい、何度起こしたと思ってんだ」 「あ」  少年は、小さく声を上げた。  そう言えば……浅い眠りのなかで、誰かが呼んでいたような……。  ぺろっと、悪戯っぽく舌を出す。 「ごめん」 「まあ、いいさ」  イオの表情が優しくなった。  先程の冷たい顔は、これっぽっちも本気でないことくらい、トールには分かり切っていた。  きつい印象を与えがちのその美貌は、微笑めば思いの外、優しい。息子であるトールでさえ、どきんっとする程だ。 「どうした?」  なかなか寝台を下りない息子を、父親は不思議に思った。  少年は、何処か遠くを見るような眼差しをする。 「夢……見たんだ」 「夢?」 「うん、前にも見たことがある、夢──銀色の獅子が出てくるんだ……」 「銀色の……獅子……」  イオが口のなかで繰り返す。  彼がほんの僅か表情を変えたことに、少年は気づかない。 「余り覚えてないけどね」  と明るく言って、寝台を飛び降りた。  ★ ★ 「明日は、“谷”に行くぞ」  そう言った昨夜のイオの予告通り、朝食を済ませた後、彼はトールを連れて“谷”へと向かった。  そこは、“瑠璃の谷”と呼ばれる場所だった。  柔らかな土の上は勿論のこと、岩肌と言わず、水中と言わず──見渡す限り一面に、瑠璃色の小さな可愛らしい花が咲いている。それはまるで、谷、それ自体が、瑠璃色に輝いているかのような美しさだ。その輝きの片鱗は近隣の村々からも臨むことができる。  そして、その花は凍てつく冬の日であろうとも咲き続ける。  いや……この“瑠璃の谷”には、冬など来ないのだ。この谷だけは、まるで時が止まってしまったかのように、一年中が穏やかな季節。  “瑠()()谷”は、そんな、不可思議な谷だ。  しかし、ここが“瑠璃の谷”となったのは、ほんの十数年前から。その前までは、周りを取り囲む森よりも更に、昼なお暗いところであった。  それ故、近隣の村人の間では“悪魔の谷”と呼ばれ、若い者の中には“聖地”とも呼ぶ者もいる。  恐れられ、また崇められ、足を踏み入れる者はいない。そして、“瑠()()谷”自身が受け入れない。  そう、鳥や獣、そして、ふたりの人間以外は──。 ★ ★  イオは、狩りの名人だ。数か月に一度、谷に来ては、鳥や獣を持ち帰る。  二年程前、十三歳になってやっと、トールも連れてきて貰えるようになった。  弓矢を手にして獲物を追う、ひどく年若く見える父親を、トールは川から突き出た岩の上に座り込んで、じっと見つめていた。先程までやっていた魚取りには、もう飽きていた。今日の収穫はほとんどない。  瑠璃の谷は、何故父さん(イオ)を受け入れるのだろうか。彼は“狩る”人間だ。  それなのに、瑠()()谷は、彼に優しい……。  トールが見つめている間に、彼はまた獲物を捕らえた。立派な角を持った男鹿だ。  イオが狩りをする時、獣たちは、自らその身を彼の前に差しだしている。  そんな風に見えるのは、ボクの気のせいだろうか、とトールは思う。左眼だけで、少しも狂うことなく、動く標的(えもの)を射ることができるというのか。

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