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第3話

 イオの右眼は、もうずっと長いこと物を見てはいなかった。いつでも長い前髪で隠していた。  トールが母親似なのか、顔立ちは余り似ていないが、髪色だけは同じ金色。その前髪を搔き上げると、何の傷もない滑らかな肌が現れる。  しかし、その瞳だけがどういう理由(わけ)かひらかない。 「どうして、その()は開かないの?」  まだトールが今よりずっと子どもだった頃、何度も何度も父親にそう訊ねた。すると、彼は息子を膝の上に載せて、その顔を覗き込む。 「お前と一緒にいたいからさ。いつまでも、一緒にいたいから──神様にこの()をくれてやったのさ」  残った瞳だけで彼は微笑む。宝石のように、綺麗な青い瞳だった。  イオの言葉の真実(ほんとう)の意味は、今でさえも解らない。けれどもその話を聞くと、トールは決まって切なくなった。 「ずっと、いっしょにいるっ」  泣きながら言っては、イオのひらかない瞳にそっと口づけていたのだ。  岩の上に座り込んでいる少年は、幼い頃を思い出して、ため息をひとつついた。 「もうっ、いいやっ」  全てを振り切るように、力いっぱい伸びをした。くるんとした、大きな瞳に生気が戻る。 「もう、どうだっていいじゃんか、そんなこと」  そう──どうだっていい。何があろうと、父さん(イオ)父さん(イオ)であることに、変わりはないんだから。  トールはすくっと立ち上がった。そして、イオに向かって元気良く手を振る。 「お~いっ、イオ~~!」  遠くでイオが、軽く片手をあげているのが見えた。と、その途端、トールはバランスを崩した。  ばっしゃんっっ。  穏やかだった川面に、もの凄いしぶきが上がった。  トールの姿が、一瞬見えなくなった。 「トール!!」  彼がようやく岸に上がった時には、遠くにいた筈のイオがもうすぐ傍まで来ていた。獲物も何もかも放り投げてきたらしい。  浅瀬だと思っていた場所は、以外に深かった。 「……って、いてっ」 「トール!大丈夫かっ?!」  急いで駆け寄る。 「へーき、へーき」  トールは軽い調子で答えた。岸にへたりこんではいるが元気そうだ。  しかし、よく見ると、身体のあちこちに傷があり、血が滲み出ている。水のなかの、ごつごつした岩にでもぶつけたのだろう。  イオは無言で傷だらけの息子の前に、膝をついた。そして、一番酷いと思われる、右足首に手を伸ばした。  トールはぎょっとした。 「あっ、大丈夫だって、父さんっ。へーきだから、ほんとにっ」  慌てて止めたが、イオは無視した。そっと足首を持ち上げて、その傷に唇を寄せた。自分の舌で流れる血を拭う。 「つ……っ」  傷口を少し強く吸われて、トールは呻いた。  心臓が高鳴る。身体中が熱くなってくるのを、彼は感じていた。  イオは昔から、どんな怪我であっても、傷口を嘗めて治そうとする。怪我をしたのが自分でも、トールでも、だ。  まるで、獣のようだ……。  傷口を吸い上げる形の良い唇。伏し目がちの青い瞳。いつからだろうか、それらに甘い想い(もの)をいだき始めたのは……。  変だよな……ボク……。  トールは、すっかり自分の気持ちをもて余していた。

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