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第4話

「トール。トール?」  イオの訝しげな声が聞こえてきた。  ぼおっと彼を見ている間に、傷の手当ては終わっていたらしい。足に白い布が巻かれていた。  イオの片袖がなくなっている……。自分の袖を足に巻いたのだ。  イオ…………。  心のなかで呼ぶ名には、どこか熱さがあった。   「どうした?立てるか?」 「あっ、うん。立てるよ」  イオに抱いた想いを誤魔化すように、殊更元気そうに立ち上がる。しかし、その途端に激痛が走った。 「……ってぇ!」  つい叫んでしまう。よろめいた身体を、イオに抱き止められた。 「やっぱり、無理か」  ふうと、イオがため息をつく。 「あっ、そんなこと……っ、え?!?」  そんなことない、そう言いかけたトールの身体が、ふわっと空中に浮かび上がった。 「わっ、イオっ。なななっっなんでっっ」  イオの腕のなかで少年が踠く。一瞬この状況を把握できなかった。 「そんな足じゃ、歩けんだろ」 「歩けるっ歩けるっ。歩けますぅ~~っっ。だって、そんな。ね、重いし、さ。だからっ、父さん!ねっ」  真っ赤になって叫ぶ。頭が爆発しそうで、自分でも何を言っているのか分からない。  じたばたする息子をがっちりホールドしながら、イオは声を立てて笑った。 「お前なんざ、ちっとも重かないね。それに、いちいちコケられちゃ、(こっち)が迷惑なんだよ」  口調はぶっきらぼう。しかし、声は酷く優しい。その瞳は、愛おしげに息子を見つめている。  ほわんと、心が温かくなった。  ボクは大事にされてる。愛されてる。  イオの全てから伝わってくる。 「……うん」  大人しくなったトールが小さく答える。彼は、イオの首の後ろに手を回した。そして、耳許で囁く。 「ボク……背中の方がいいな。……こんなの……女の子みたいで、やだ……」  ──イオの背中は広くて、温かだ。  幼い頃もよく背負って貰ったっけ。  好きだよ……イオ。大好きだ。  背が高くて、格好良くて。  綺麗な青い瞳。もうひとつの瞳も見てみたい。  それから……ボクにだけ優しく微笑むところも……。  ゆらゆらと背が揺れる度に、イオの髪が頬に触れる。  ボクと同じ金色の髪……。  このリボン……ボクがあげた……。そうだ……あの時……。  肩よりも長い金色の髪を、銀色の細身のリボンで結っている。  今思うと、センスないなぁ……。  …………。  …………。  大きな温かい背で眠るトールの顔には、柔らかな笑みが浮かんでいた。 「トール……?寝たのか……?」  イオは、母親が赤ん坊にそうするように、ポンポンと背中を叩きながら、ゆっくりと歩いている。 「……トール。早く……大きくなれ。いや……そのままで…………。思い出してくれ……思い出すな…………。になったら、お前は…………」  低いその声は、子守唄のようにトールの耳に届いていた。しかし、その言葉を口にしているイオの、その瞳が複雑な感情で揺れていることに、彼が気づく筈もなかった。  ★ ★  今日は十日に一度の、“市”が立つ日だ。  村人たちや、外から来る行商人たちの並べる店で、広場は賑わっている。  トールは、粉や調味料などイオに頼まれたものを買い終えたところだった。彼が一人で買い物をできるようになってからは、これは彼の仕事になった。イオは余り人の多いところには、来たがらない。  イオはいつでも、余分にお金を持たせてくれる。余ったお金で、トールは自分の好きなものを買っていた。   「トール!」  可愛らしい少女の声がトールを呼ぶ。 「フィン」 「もうっ、トールったら。最近ちっとも来てくれないんだもん。私、つまんなかったわ」  ちょっと拗ねたように口を尖らせる。緩やかなウェーブのかかった金色の髪が、そよ風に揺れる。瞳は優しい菫色で、その顔立ちはトールにやや似ている。ふたりがいとこ同士だからだろう。 「ごめん、フィン」 「まあ、いいわ。許してあげる」  うふっと可愛らしく笑う。トールも笑い返した。 「いい匂いだね。これ、ケーキ?」  トールは、少女の手にしていた籠をちょんと指先で触れた。布を被せてあるが、そこからはシナモンの香りがしてくる。 「うん、胡桃のケーキよ。“市”に出そうと思って」

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