30 / 40

第30話

「お前を(ここ)から出してやろう。無論、人間(ひと)の姿で、だ」 「なんだって……?」  グルゥっと軽く唸って、牙を剥き出す。 「どうした? 嬉しくはないか? 弟──今は、あんな幼子の姿だが」  くくっと嗤う。 「傍にいられるんだぞ。そうだ──父親として、なんていうのはどうだ? お前もそれが望みだったのでは……?」  酷薄そうな薄い唇が、にたりと弧を描く。 「それがあの男を見捨てた理由だとでも……っ!」  怒りに身体が震える。  しかし。  全くなかったかと言われれば、どうなのか。心の片隅にあったのではないかという己への不信感に、黙り込んだ。  宙に浮くその神の、冷たく美し過ぎる顔を見つめる。  神は地に足をつけた。  ゆったりと獅子に近づいてくる。  それだけなのに、萎縮して身体が動かない。   「人の世に生きるには、お前の力は強すぎる。封じておこう」  神は獅子の右の──銀の瞳に掌を当てた。  そこから白い光が広がり、二人を覆いつくす。  その光りは徐々に消えていき、そこにはもう、獅子の姿はなかった。  男は──自分の手を見た。もう忘れてしまうくらい永いこと見ていない人間(ひと)の手だ。  彼は後ろを振り返り、水鏡に自分の顔を映す。 「これは……」  金色の髪。青い瞳。  しかし、右眼はくっついたように(ひら)かない。  その顔は、前世のものに似ている気もするが、もう余りよく覚えていなかったし、眼前の神の顔にも何処か似ているような気がした。 「どうして……?」 「どうしてとは?」 「貴方が親切心でこんなことをするとは思えない」  訝しげに神を見る。 「──生まれ変わった弟といるのは、果たして幸せかな? ──いつまでその姿でいられるだろう。それまでに弟の記憶は甦るのか……」  ふふっと楽しげに笑う。 「なるべく長く私を楽しませておくれよ」  謎めいた言葉を残し、神は消えた。 ★ ★ 「お前の真実(ほんとう)の父親は、この谷で眠っている」  その場所がその方向にあるのか、遠くを見つめる。 「すまない、トール」  トールは何も言えず、ゆっくりと(かぶり)を振った。 「──お前の父親として、お前の成長を見守ってきた。成長してくるとお前は何故かのお前に似てきたような気がして、少し苦しかった……。記憶はないのに……。その名を呼ぶのも……。トールとイオは、今のお前の名でもお前の父親の名でもなく、の私たちの名だ」 「そうですね。兄さん……」    その口調は、のものだった。

ともだちにシェアしよう!