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【子作り編】82.本当に欲しかったもの*
森を駆け抜け、たどり着いた先でーー
ユキは慎重に扉を押し開き、ぐったりとしたハルを抱えたまま、新居へと足を踏み入れた。
ここは、ユキが幼い頃に母と共に暮らした家を増築し、改装した場所だ。
城の喧騒からは離れ、しかし決して遠すぎることはなく、ふたりの家族が安心して暮らせるようにと整えられている。
ユキは木の香りが優しく漂う寝室へ向かい、大きなベッドの上にハルを横たえた。
──その瞬間だった。
「……ッ……ぁ……」
微かに震えるまつげが揺らぎ、閉じられていた瞳がゆっくりと開かれる。
「……ここ……どこ……?」
焦点の定まらない瞳で天井を見つめながら、ハルはかすれた声を漏らした。
だが、次の瞬間、全身にまとわりつく熱が引かないことに気付き、微かに身じろぐ。
下腹部には、じんわりと広がる濡れた感触。
熱に浮かされながら気絶していた間にも、幾度も絶頂に達していたのだろう。
びくりと震える太腿を閉じようとするが、それすらもままならないほど、身体は敏感に反応していた。
「ハル、起きたんだね」
低く優しい声が降る。
ユキは暖炉に薪をくべ、火を灯していた。ぱち、ぱち、と乾いた薪が爆ぜる音が室内に響き、淡い炎が揺らめく。
「ここは、俺たちの新居だよ」
「新居……?」
呆然としたまま、ハルはゆっくりと瞬きを繰り返す。
その言葉の意味をすぐには理解できなかったが、部屋の穏やかな雰囲気が、戦場の緊迫感とはまるで異なることを教えてくれる。
「……ふたりだけの、安全な場所だ。誰にも邪魔されず、ゆっくりと子育てができるようにね」
ユキの声は安堵をもたらすような優しい響きを持っていた。しかし、その余韻を楽しむ余裕は、今のハルにはなかった。
「……ッ、あ……ん……」
息を整えようとしても、喉が震える。
何よりも、身体がまだ火照ったままで、鎮まる気配がない。
──フェロモンが、止まらない。
発情期を迎えたオメガの香りは、番いの契約を交わした今もなお、むせ返るほど濃厚に漂っていた。
アルファであるユキにとって、それを浴び続けることがどれほどの負担か──。
「ハル……」
ベッドの傍らに来たユキの表情が苦しげに歪む。理性を保とうと、必死なのだった。
「ここが新居なのは……ありがたいし、っ……助けに来てくれて嬉しかった……でも……っ……」
掠れた声が震え、言葉が途切れる。
ユキを見上げる瞳は涙で潤み、熱に浮かされた頬は上気していた。
「……今すぐ……『お前』をちょうだい……!」
震える手がユキのマントを掴む。
縋るような仕草に、理性を繋ぎ止めていたユキの喉が、かすかに鳴った。
「……悪いけど、優しくできないよ?」
「いいっ…!いいから……!」
ハルの頬を伝う涙は、神聖で、それでいてあまりにも淫らだった。
懇願するようにユキのマントを引き寄せーーはっと気付いた。
ハルより一回り大きい手は、ささくれ立ち、皮がまくれ、爪が割れていた。いつものユキであれば、綺麗に磨かれた爪が桜の花びらのように並んでいるのにーーそれは、ユキが蛇の国からハルの元へ、星々を追い越すようなスピードで駆けつけた証だった。
「ユキーーお前、手が……!」
「こんなの、どうってことないよ。ハルの苦しみに比べたら、何でもない」
そのまま唇を重ねる。
くちゅり、と湿った音が響き、舌が絡む。
ハルは一瞬目を見開いたものの、すぐに夢中になった。
深くキスを交わしながら、ユキはハルの身体をベッドへと沈めていく。
「ふ、……んっ……!」
唇を離すと、ユキはハルの首筋にそっと口づける。
うなじ、鎖骨――熱を持った肌を舌でなぞるたびに、ハルの肩がびくりと震えた。
時折、我慢できないとでも言うように犬歯が触れる。
その微かな痛みですら、今のハルには甘い快楽だった。
「あ、っ……ふぅ……っ……!!ぁ……ああっ……!」
発情した身体にとって、愛しい番いから与えられる『痛み』は、快楽と同じ。
熱に浮かされ、快楽に溺れながら、ハルは髪を振り乱して嬌声をあげる。
「……食べちゃったら、ごめんね?」
ユキの口調はおどけていたが、抑えきれない本能を映すように、その瞳は金色に輝いていた。
(そうだ、俺……ずっと、ユキに噛まれたかった)
(この瞬間を待ち望んでいたーー)
(骨の髄まで蕩けるほど愛してーー)
「……いいよ、お前なら」
涙を溢しながら、ハルは微笑んだ。
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