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第18話 合法ドラッグ

「ん……」  目眩と鈍い頭痛がすると、最初に思った。それからすぐに俺は手の違和感に気がつき、ぼんやりとしたままの視線を上げる。すると頭上に持ち上げられていて、手首が固定されていた。黒光りのする手枷が俺の両手首にはまっていて、そこからは銀の鎖が上部の滑車へと伸びている。  なんだ、ここ?  俺は、ゆっくりと瞬きをする。だが、まだ思考に霞がかかっている気がする。  続いて視線を下ろせば、俺は服を着ていなかった。首にはやはり黒く冷たい感触があり、首輪をはめられているのだと分かる。足は固定されていない。そこに、俺は白いシャツ一枚だけ着ていて、その前のボタンも全て外された状態で、何やら椅子に座っているようだった。椅子というには少し大きい。足が床につかない。  ――そうだ! 俺は、荻門司とかいうCM会社の専務に、枕営業を迫られて逃げようとしていたのではなかったか!?  そう思い出し、俺は目を見開いた。すると手首の枷がギシリと啼いた。  同時に俺は、真正面に、カメラのレンズがある事に気がついた。青褪めた俺は、己がシャツ以外何も纏っていない事を再確認し、唇を噛む。正面には、何人ものスーツ姿の男がいる。ガチャリと音がしたのはその時で、視線を向けると、荻門司が入ってきた所だった。 「やぁ、目が覚めたかね?」 「っ、こんな事は、犯罪です。すぐに解放し――」 「威勢が良いな。そんな顔もするんだねぇ」  荻門司は俺の声など気に留めた様子もなく、歩み寄ってくると、俺の顔を近づけた。非常に臭い息が俺にかかり、そのまま首筋を舐められて、俺は思わず睨めつけて、体をよじろうとした。すると荻文字が、太く丸い指と手のひらで、俺の口を抑えた。噛み付いてやろうかと思った直後――パチンと音がした。  甘い匂いが、俺の正面で蓋を開けられたプラスティックのボトルの中から広がっていく。 「安心して良い。これは『合法ドラッグ』だ。今回は初めてだからねぇ、決定打をもらうためのテストでもあるし、これで許してあげよう」 「!」  吸い込んでしまった俺は、その言葉に目を見開いた。  嫌な汗が浮かんでくる。冷や汗だ。  俺の前で屈んでいた背を起こした荻門司は、腕時計を一瞥している。 「カメラは回しているのだろうな?」 「完璧です」 「そうか」  そんなやりとりを聞き俺は何か言おうとしたのだが――すぐに、そんな思考が消し飛んだ。 「ぁ」  思わず、俺はポツリと声を漏らした。 「あああああああああああ」  それから続いて絶叫した。体が沸騰したように熱くなったのだ。体が熱くて呼吸が出来ない。必死で舌を出し、俺は酸素を求めた。瞳が自然と潤んでくる。体が完全に弛緩し、手首にも体重がかかる。 「さて、どの玩具にしようかねぇ」 「専務、こちらのバイブなどいかがですか?」 「いやいやこちらのエネマグラなど」 「んー、尿道責めはどうでしょうか?」 「乳首にピアス、きっと映えますよ」  荻門司の周囲に、スーツ姿の男達が歩み寄ってくる。俺は泣きながら吐息し、黒いアタッシュケースの中を覗き込んでいる彼らを見ていた。何が起こっているのか、全く分からない。体が熱くて辛くて、何も考えられなくなっていく。 「あまりいじめては可哀想だろう。最初は、この小ぶりのローターに、たっぷりローションをつけて挿れてあげようねぇ」  白い球体を持ち上げた荻門司が、俺の顔の正面にそれを見せた。  ――枕営業。  俺は漸くその言葉を思い出し、これから何をされるのか察した。全身が恐怖で震える。 「や、いやだ……」 「それはそうだろうねぇ。君のように純真無垢で天使のような、こういう事を何も知らなそうな者を汚すのが何より楽しいのだからねぇ。もっと嫌がってごらん?」 「やめ……」 「すぐに欲しいと懇願する体に変わる。実際もう、今も体が熱いんじゃないのかねぇ?」  それは事実だったが、こんなのは酷すぎる。絶対に嫌だ。  ただ、抵抗したいのに、熱もあるが、元々体から力が抜けていたみたいで、指先を動かすのが精一杯だ。 「勃っているよ。自覚はあるかな?」 「!」 「綺麗な色のペニスだねぇ。ほら、もう蜜が垂れてる」  じっと陰茎を見据えられて、俺はギュッと目を閉じた。 「カメラさん、もっと撮ってあげてくれ。そうだな、絆君が、出したいと懇願するまでの間は、ずっと撮影会としようかねぇ」  ――こうして、俺の地獄が始まった。  一度熱を意識すると、それがどんどん酷くなっていった。  兎に角……出したい。けれど手は自由にならない。かろうじて自由になる太ももを俺がこすり合わせるようにすれば、周囲から馬鹿にするような忍び笑いが漏れる。思考がグラグラしてきて、俺の頬は涙で乾かない。みんながそんな俺を見て、笑っている。 「や……っ、ぁ……」 「――中々我慢強いんだねぇ。すぐに快楽堕ちする者が多数だ。何も恥ずかしがる事は無いのだよ?」 「っく……」 「次点で多いのは、助けて欲しい相手の名前を叫ぶ者。安心して良い、週刊誌に売ったりはしない。誰かの名前を呼んでも良いのだよ? すぐにそうした相手よりも、私の事しか考えられなくしてあげるからねぇ」  曖昧になってしまった思考で、俺はそれを聞いた。こんな姿、絶対に家族には見られたくない。それに相坂さん達には、迷惑をかけたくない。これは、迂闊だった俺のミスだ。では、誰に? 誰が俺を助けてくれるというのだ? いつも作り笑いばかりの俺には、本心を吐露できるような友達はいない――……ああ。いいや、そうだ、一人、いるではないか。俺が天使の上辺を取り去っても、気にしない人間が。 「……か」  兼貞。  俺は無意識にその名前を呼びかけた。けれど。  ――奴は、俺のライバルだ。俺のこんな姿を見たら、喜ぶ……事は、ないか。俺は存外あいつが良い奴だと、既に知っている。  本当は、最初から分かっていた。俺が一方的にライバル視していただけで、兼貞は俺に冷たかった事なんて一度もない。意地悪だった事はあったが。  脳裏に兼貞の笑顔が浮かんで消えない。  奴もまた、『食事』なんて理由で俺にキスをしたりしたけれど――今のような嫌悪感は無かった。兼貞はいつだって、考えてみたら、優しかった。 「……っ、ぁ……」  どうしてこんな事になってしまったのだろう。  俺はこれから、どうなるのだろう。  こんな事なら――兼貞にだって、キスの一つや二つ、してやれば良かった。  体の辛さとは違う方向性の、後悔や絶望みたいな名前をした色の涙が、俺の瞳を潤ませ始める。だが、それとせめぎ合うように、体の熱は酷くなっていく。既に俺の陰茎は、射精を求めて、反り返っている。出したい、果てたい。 「……やだ、いやだ……う、ぁ……助けて」  俺はボロボロと涙を流しながら、背中に力を込めた。全身が震えている。体が兎に角熱いのだ。もう、何も考えられない、こんなのは、本当に嫌なのに。たった一言、『助けて』と口にした途端、俺の中で何かが砕け散り、俺の涙腺は崩壊した。

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