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第17話 CMの話
――こうして、新南津市には冬が訪れた。他の地域よりも、寒くなるのが少しばかり早いのだ。
忌々しい事に、秋の二時間ドラマで主演を努めた兼貞のドラマは大ヒットで――まぁ、元々企画として決まっていたのだろうが、続編の収録が開始されているらしい。どうして俺がそれを知っているかといえば、別段親しくなって聞いたからだとかではない。断じて違う。
……俺に、CMの話が来たのだ。本日は、その話し合いの為にあるビルへと訪れたのだが、その下のフロアが兼貞のドラマの撮影スタジオとなっているそうで、相坂さんがさっき話していたのだ。
『あのドラマ面白かったわよね!』
俺のマネージャーである相坂さんは、俺と兼貞が親しい事を、今では微塵も疑っていない様子である。変にマイノリティへの道を勘繰られるよりは良いので、俺は笑顔で濁しておいた。
「……」
現在俺は、案内されたオフィスの応接スペースで、一人座っている。
スポンサーの秘書さんがお茶を俺の前においてから、既に二十分ほどは経過しているだろうか。それにしても、このお茶は薄いのに苦いんだけど、どう言う淹れ方をしたんだろうか。なんでも、新しいのど飴のCMらしい。CMの経験がゼロという事はないが、オカルト以外の大きな仕事は、今でもそう多い方では無いため、緊張しないといえばうそだ。何でも先方は、俺と二人で話がしたいとの事らしく、相坂さんは外で待機――しつつ、兼貞の方に挨拶に言ったらしい。
ギシと音がしたのは、その時の事だった。咄嗟に天使のような微笑を顔に貼り付けてから、俺は顔を上げて視線を向ける。
入ってきたのは禿頭の人物で、恰幅が良い。ボタンがはち切れんばかりのシャツとスーツを一瞬ガン見しそうになったものの、それは天使らしくないので、俺は笑顔のまま立ち上がった。
「本日は、ご挨拶する機会を頂戴し、誠に有難うございます。KIZUNAと申します」
俺はそう述べ、用意していた名刺を取り出した。すると俺を見て、でっぷりとした唇の両端を持ち上げた、六十代手前くらいのスポンサーとなる会社の専務だというらしき人物が、大仰に頷いた。
「専務の、荻門司 だよ。よろしくね、君がKIZUNAか。本名は?」
名刺を片手でひょいと受け取った相手には、ビジネスマナーの欠片も見えない。馬鹿にされているというか、見下されているというか、最初からそんな印象だ。しかしそこで怒るようでは、天使の上辺が廃る。とはいえ、いきなり不躾に本名を聞かれるとも思わなかった。
「本名も絆と言います。スカウトして頂きこの道に入ったため、思いつかなかったんです」
俺は必死にはにかんだ。なお、これは嘘ではない。読モから俳優になる際は俺が自分でオーディションを受けたが、読者モデルになったのは本当にスカウトされたのだ。最初からコンテストに出ていた兼貞と違って俺は選ばれたのである。うん。なお奴は、『親戚が勝手に応募してしまって』とインタビューで述べていたが、誰もそんな文言は信じていないはずだ……と、俺は願っている。
「君ほど麗しければ、そうかもしれないねぇ」
すると荻門司さんが俺を見て、にたりと笑った。おだてられているのだろうが、ねっとりと頭の上からつま先までをも観察されるような視線に、居心地の悪さを感じる。
俺の正面にどっしりと座った荻門司さんは、それからたるんだ両頬を持ち上げた。
「さて、それで?」
「……CMの契約が正式に決まりましたら、精一杯頑張らせて頂きます」
何がそれでなのか、分からなくて一瞬戸惑った。だが、ここで黙っていて仕事を逃すのは得策ではない。
「決まってから、ねぇ。分かっているとは思うがね、それじゃぁ、『遅い』」
「――え?」
「決める決定打が、こちらとしては欲しいのだよ」
「決定打……ですか?」
「まずは、脱いでもらおうか」
俺は最初、何を言われたのか、全く分からなかった。だから目を丸くして正面を見る。すると相変わらず荻門司さんは笑っていた。
「みんなしている事だよ」
「何をでしょうか?」
「察しが悪いねぇ。いくら若い子とはいえ、こう言ったら聞き覚えくらいはあるんじゃないか、『枕営業』」
「!」
その言葉を耳にした瞬間、俺は目を見開いた。そしてテーブルの陰で、思わず拳を握る。俺の事務所は、枕営業などは絶対にしないようにと契約書に記されている。俳優が率先して行うのもダメであるし、無論事務所がやらせるなんていうのもありえない。よって相坂さんの同意があるとは考え難いし、あの人はそういう事柄の盾にもなってきてくれた信頼できる人だ。俺は――引き離されたのだ。
「お断り致します」
もう笑っている場合ではないので、俺は表情を消して、きっぱりと断言してから立ち上がった。一刻も早くここから去るべきだ。
「――最初は、みんなそう言うんだよ」
最初も何も、永遠に俺には枕営業をするなんて未来はない。そんな予定は皆無だ。思わず荻門司さんを睨めつけようと振り返ろうとした――その時の事だった。
「っ」
視界が二重にぶれた。ぐらりときて、俺はそのまま、先程まで座っていたソファに倒れ込んだ。
「この睡眠導入剤は、即効性があって非常に良く効くんだ。ああ、心配しなくて良い。君のマネージャーさんには、既にこちらの会談は終えていて、所要で先に『KIZUNAは帰った』と、伝えておいたからね」
その言葉を理解した直後、俺の意識は暗転した。
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