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第16話 口止め

 帰宅した俺は、高速で自室に戻ると、へたりこんだ。  ……兼貞に、また触らせてしまった。キスも口でも……と、いう動揺がまず襲ってきて、俺は両手で顔を抑えた。我ながら真っ赤だろうと分かるのは、頬が熱いからだ。続いて、記憶が飛んだ事に青褪めた。 「なんなんだよ、本当……」  訳が分からない。 「……俺で美味いんなら、紬に会わせたらご馳走か? 絶対に会わせられないな……」  そう、そうなのである。  俺には性的な接触に思えたが、兼貞からすれば、恐らく食事のはずなのだ。 「……」  何故なのか、そう考えると、胸がズキリとした。俺は決して食べ物では無い……から、だよな? うんうん。別に俺は、兼貞を意識したりしまってなんかいない。ライバルという意味合い以外では。  ……本当、なんで俺が赤くならなければならないというのだ。  鼻までを両掌で覆いながら、俺は一人内心で悶えた。 「寝よう……」  こういう日は、寝逃げに限る。そう決意し、俺は寝台へと向かった。そして深々と体を預けて、抱き枕を抱いた。ギューギュー抱きしめながら嘆息する。まだ頬が熱い。全部悪いのは兼貞である。  ――次に兼貞と顔を合わせる事になったのは、例の心霊番組の撮影での事だった。俺達がMCを務める番組だ。なお、初回の視聴率……そして再生回数……かなり高評価だったらしい……。 「頑張ってね!」  その報告を相坂さんから聞いていると、プロデューサーも歩み寄ってきた。 「期待してるぞ!」  ……期待には答えなければならないだろう……。難点を言うならば、それはただ一つ。兼貞がそこにいるという事、ただそれのみである。 「おはよー、絆!」  兼貞はといえば、ごくごくいつも通りである。俺は、天使のような笑みを心がけた。内心は非常に荒れていたが、表情だけは笑顔だ。 「今日もよろしくお願いします」  俺が社交辞令を述べると、兼貞が俺に歩み寄ってきた。そしてすっと屈むと、俺の耳元で囁いた。 「この前、大丈夫だった?」 「!」  思い出したくもない事を言われて、俺は――反射的に思わずカッと頬が熱くなった。思わず兼貞を睨んでしまった。天使の笑みが崩れてしまった……! 「大丈夫そうだな」 「兼貞……さん。あの、今日の収録の後、お時間はありますか?」 「ん? ああ、俺はいつも絆と同じ撮影の後は、暇にしてるよ」 「……ちょっと先日の『打ち合わせ』の事でお話があるんですが」 「お。絆からのお誘い? 大歓迎なんだけど」  兼貞が笑顔になった。  決してお誘いではない。俺は抗議と口止めをするつもりなのである。しかし人目があるので、頷くにとどめた。  この日の収録は、ゲストの女優の卵さんが、廃マンションで撮影をした映像について感想を述べて終わった。 「それで? どこに行く? 俺の家?」 「……この前のお店で」 「またタクシー呼ぶけど良い?」 「良いわけがないだろ!」  俺は小声で、ツッコミを入れてしまった。表情こそ引きつらせつつも作り笑いを保っていたから、おそらく周囲にはバレていないだろうが。  その後俺達は、今回も相坂さんに送ってもらった。すると「遅くなる時は、連絡必!」と、釘を刺された。今日は遅くなる予定は皆無だ。そもそも俺と兼貞は親しいわけではないのである。本当、プライベートでまで一緒にいるなんて願い下げだ。 「それで?」  本日は生グレープフルーツサワーを注文した兼貞が、俺を見た。俺はといえば、今回もチャイナブルーだ。俺はグラスを傾けながら、兼貞を睨んだ。 「話が二つある」 「――俺としては、絆の恋人になっても良いと思ってるし、式神にするのは本意じゃないけど?」 「は?」  俺の話は、『二度とするな』と『口止め』である。コイツは何を言っているんだ……。 「あれ、違うの?」 「違う。まず一つ。二度と、そ、その、俺に……俺から……気を取ったりするな! 俺を食べるな!」 「ほう。もう一つは?」 「――これまでのキスの事とか、そういうの、絶対に誰にも言うなよ? 俺もお前も芸能人としての活動が危うくなるだろ?」  俺が告げると、兼貞が腕を組み、目を細めた。 「意外と平和な悩みだったな」 「へ?」 「恋人というのは兎も角として、てっきり、式神化の話だと思ってた」  それを聞いて、俺はそういえば前回、おぼろげにそんな話を聞いたなという記憶を掘り返した。だが、あの前後の事は、やっぱり今でも曖昧になってしまっているのだ。 「玲瓏院家で気づかれたんだとばかり」 「? 式神化って、どういう事なんだ?」 「簡単に言うと、絆が俺の言いなりになっちゃうって事だな」 「え」 「正式に契約したら、俺は絆を使役できる」 「俺は人間だぞ?」 「人間であっても可能なんだよ。俺の家では――陰陽道を主流にしているのは寧ろ分家で、俺の家には秘密があるからな」 「秘密?」 「秘密は言えないから秘密なんだ。絆にも内緒」 「……別に聞かなくて良い。そ、それより! とにかく誰にも言うなよ!」  俺が念のため、再度釘を刺すと、兼貞が吹き出した。 「二人っきりの秘密の方が特別感があるし、な。言わない」 「特別感って……」 「それよりさ、式神についてが問題じゃないなら、そうだな……もう一つの俺が挙げた事柄に関しては?」 「事柄?」 「恋人」 「言ってろ。俺達は男同士だぞ? 俺がお前と付き合うなんてありえない」  からかわれているのだと確信して、俺はチャイナブルーを煽った。すると兼貞が退屈そうな顔をした。 「俺、愛に性別は関係ないと思うんだよな」 「そうか。マイノリティの道で生きていったら良い」 「一緒にどうだ?」 「お断りだ! 大体、愛ってなんだ! お前の場合、ただの食事だろうが!」  俺は揚げ出し豆腐を食べながら、兼貞を睨んだ。すると兼貞が不服そうな顔をした。 「俺にだって好みってもんがある」 「そりゃ俺にもある」 「絆の中で俺は好みには入らないんだ?」 「男は範疇外だ」 「狭いなぁ、世間が」 「良いんだよ、俺はこれで!」 「――俺は、最初に見た時から、絆の事好みだったけどな。美味しそうだから惹かれたのは勿論あるけど」 「言ってろ」  パクパクと食べながら、俺は目を細めた。兼貞はそんな俺を見ると――何故なのか、心なしか、傷ついたような顔をした。 「ま、絆の理解は普通かもな。特異的ではないな」 「俺の感性は真っ当だ」 「ちょっと古いけどな」 「煩い」  そんなやりとりをしながら食事を終えて、この日は無事に、俺は玲瓏院家の車で帰宅できた。兼貞も、俺を無理には引き止めなかったのだった。

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