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第20話 優しさ
「ん……っ」
目を開けた時、俺は見た事のない天井を視界に捉えた。気怠い体で左手を見れば、点滴のチューブが伸びている。
「絆、目が覚めたのか?」
兼貞の声がしたから緩慢に視線を向ければ、そこにはホッとしたように吐息し、微苦笑している兼貞の顔があった。俺は――その形の良い唇から、何故なのか目が離せない。
「安心していい。今、薬の中和剤を、俺の叔父の一人が医者だから個人的に頼んで、点滴してもらってるんだ。すぐに薬は抜ける」
「……」
「――そんな蕩けた顔をされると、俺の自制心が試されるな……あのな、絆。いいか? 今はまだ薬が抜けきっていないのと、俺がここへと運ぶ時に、お前に気を流し込んだから、それで俺が欲しくなってるだけだ」
兼貞の声に俺は小さく頷いた。頭の芯が痺れたようになっていて、まだぼんやりする。
「絆の家族と相坂さんには、俺が待ち合わせ時刻を間違えていて、今夜は泊りがけで一緒だから心配はないと伝えてある。だから、露見する事はない。これで良いだろ?」
俺は不甲斐ない気持ちになった。兼貞は何も悪くないのに、間違えたなんて話してくれたのか……。
「それと撮影されていた映像の方は、俺の分家も兼貞の現当主も簡単に言えば情報系だから、全部潰してある。本当に何も心配はいらないからな」
兼貞の声が無性に優しく聞こえる。実際、優しいと思う。声も、中身も。
「兼貞……」
「ん? どうした?」
「怖かった」
「ああ、怖かったな。でも、もう大丈夫だ。俺がついてる」
「手を繋いでくれ」
無意識に考えていた言葉が、ポロポロとこぼれ落ちていく。普段の俺であれば、絶対口から衝いては出てこないような言葉ばかりだ。頭がぼんやりしていて、兼貞を見ると、俺はもう兼貞の事以外、何も考えられなくなっていく。
「絆……ほら」
その時、横になったままの俺の手を、兼貞がそっと握った。その温度も感触も、やはり優しい。静かに目を伏せ、俺はその感覚に浸る。すると静かに髪を撫でられた。
「ずっとここにいるよ。だから、もう少し眠れ」
――そう聞いたのを最後に、そのまま俺は眠ってしまったようだった。
兼貞の声に従うように、体が深く微睡んだからだ。
「ん……」
白い陽光が顔を照らしだした時、俺はうっすらと目を開けた。朝特有の眠気はあるが、既に意識は清明で――直後、握られている左手を自覚し、息を呑んだ。俺は慌てて上半身を起こした。
「あ」
「――ん、起きたか。おはよ、絆」
「兼貞……」
両手でギュッと俺の片手を握っている兼貞を目にした瞬間、俺は思わず赤面した。謝らなければとそう思うのに、こちらを見た、どこか眠そうな兼貞があんまりにも格好良く見えたのだ。
「……悪かったな」
「絆は何も悪くない。ただし煩悩を抑えた俺は偉い」
冗談めかしてそう言われ、俺は何とか苦笑を浮かべた。様々な感情が浮かんできて、どんな表情をすれば良いのか分からなくなる。
「助けてくれて、有難う」
「うん。謝罪よりは、感謝の方が良い。ま、気にするな」
「どうやって俺の居場所を見つけたんだ?」
「俺は絆の気を覚えていたから、それを式神に辿らせたんだ」
「そうか……そ、その! 今度、何かお礼を――」
俺が言いかけると、兼貞が俺の手を引いた。
「俺は常日頃から、絆に対しては下心しかないけどな、俺は何かを期待してお前を助けたいと思ったわけじゃない。強いて言うなら、俺自身のためだ。だからお礼なんて不要だよ」
そのまま腕を引かれ、俺は兼貞に抱きしめられた。
「だから本当に、何も心配しなくていい」
「兼貞……」
もう頭がぼんやりしていないから、俺の素直な気持ちは、口から出てこなくなっていた。しかし、素直な気持ちってなんだろう。
「まぁ……ただ――真に受けていいなら、ひとつ頼みたい事はあるけどな」
「なんだ?」
「今度、クリスマス頃なんだけどな、俺の実家に一緒に来てくれないか?」
「クリスマス? 映画のロケの旅行の予定じゃ――」
「俺の実家の近所で撮影だからな、その後にでも寄ってくれたら嬉しい」
「そのくらいなら」
本音を言えば、もっと無理難題を押し付けられる可能性を考えていた。今では兼貞がそんな悪人では無い事は理解しているが。
「――『そのくらい』か」
「え?」
「俺はさ、今回の件で、いよいよ絆を手放したくなくなったし、その気は失せたという事は伝えておく。もう何を敵に回しても構わない。それが、例えば玲瓏院でもな」
「兼貞?」
つらつらと兼貞が述べた声は小さかったし、俺には上手く意味合いが理解出来なかった。何故、俺の実家の名前が出てきたのかもよく分からない。
「絆、俺はお前の事が――」
コンコンとノックの音がしたのは、その時の事だった。慌てて俺は距離を取ろうとした。すると片目を細めた兼貞が、脱力したように吐息した。
「ま、今伝えるのは卑怯か」
俺が顔を向けた時、扉が開いた。見れば、白衣姿の――兼貞に似た顔をした人物が立っていた。
「ああ、目が覚めたみたいで、良かったです」
「お世話になりました、泰斗 さん」
誰だろうかと考えていると、入ってきた人物が、俺に歩み寄り、点滴器具を一瞥した。
「俺の叔父で、新南津市で研修中のお医者さん。泰斗さん」
「あ、ああ……その、有難うございました」
兼貞の紹介に、慌てて俺は天使のような笑顔を咄嗟に顔に貼り付けた。すると泰斗先生という人物が、微笑した。
「もう大丈夫そうだけど、万が一何か辛くなったら言うようにね」
俺から点滴器具を外した泰人先生は、それから兼貞に視線を戻した。
「薬はもう抜けているようだけど――……遥斗君。気のせいでなければなんだけど、こちらは人間であるし、本気ならば早めに式神紐を」
「……今度、兼貞の家に招く事にしました」
「そうなんだ」
俺には二人のやりとりの意味は分からなかったので、その場を見守っていた。
その後俺は、兼貞にタクシーを拾ってもらい、家へと帰宅したのだった。
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