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第26話 式神紐の儀式

 零時になってすぐ、兼貞が戻ってきた。手には、黒い漆塗りの箱を持っている。  また兼貞も和服に着替えていた。  兼貞の着物姿を見るのは初めてだが、悔しいくらいに似合っていた。 「絆、布団の上に座って」 「ん? ああ」  言われた通りに、俺は素直に座りなおした。すると俺の隣に兼貞も座し、そして箱を畳の上に置く。瞬間、四方の燭台の火が勢いを増した。驚いてそちらを見ていると、箱を開ける音がした。なので視線を戻せば、中には猩々緋色の布で出来た紐が入っていた。細めの兵児帯にも見える。だが、帯というよりは、やはり布の紐という方が適切だろうか。 「それが、式神紐か?」 「うん、そう。これで縛る」 「縛るって……物理?」 「まぁ、最初はそうなる。ただし兼貞の鬼の気が練りこんである糸で出来ているから――そうだな。説明するより、とりあえず始める」  俺としては説明が欲しかったが、それを口にする前に手首を取られた。見ていると、兼貞が俺の右手首にまず紐の一方の先端を絡めて、それから結んだ。そして兼貞は俺の手の甲に口づけた。 「キスするのも儀式なのか?」 「いいや、俺がしたかっただけ」 「おい」  俺が思わず眉を顰めると、兼貞が微苦笑した。その後俺の背後に回った兼貞は、和服の上から俺を紐で縛っていった。規則性があるのかないのか判別できないが、かなりゆったりと縛られた。俺は正座をしたまま、無言で見守っていた。そうして最後に紐を引かれ、今度は左手と右手を交差させる状態で結ばれた。気分は、江戸時代の罪人である。痛みなどは全くないが、とっても不思議な気分だ。 「これで終わりか?」  兼貞が立ち上がって元の位置に座りなおした時、俺は尋ねた。すると兼貞が小さく笑った。 「まだこれは準備。でも――よく似合ってる」 「嬉しくないな!」  俺が率直に告げると、兼貞が小さく吹き出した。それから、箱の中に手を添える。そこには、何やら酒盃のようなものが入っていた。大きくて、中には液体が入っている。見れば他には急須とお猪口もある。他に、木製に見える球体が一つ入っていた。 「絆、これを」  急須からお猪口に透明な何かを注ぐと、兼貞が俺に差し出した。しかし俺の両手は、後ろで拘束されている。どうすれば良いのかと思っていたら、兼貞が俺の口元にそれを近づけた。甘い香りがする。 「飲んで」 「これは?」 「鬼哭水という、兼貞の血を引く術師の気を流し込んだ酒のようなものだよ」 「ようなものって……ん」  お猪口を近づけられたので、薄っすらと俺は口を開けた。すると、ゆっくりと兼貞がそれを俺に飲ませた。少しずつ舌が濡れ、喉を流れていくその酒らしき何かは、とても甘い味がした。日本酒と聞いていたら、そう思ったと思う。ほとんど飲んだ事は無いが。 「っ、はぁ……」  飲み終えて、俺は一息ついた。そしてちらりと腕時計を見た。四十分くらいかけて縛られたわけだが、まだ一時手前だ。二時くらいから儀式のはずだが、まだ一時間近く時間がある。準備には、そんなに時間がかかるのだろうか? 「絆」  お猪口を置くと、兼貞が端正な指先で、俺の唇をなぞった。 「その仕草こそ、儀式に必要なんだろうな?」  照れそうになって俺は抗議交じりに睨めつけた。すると兼貞が一度目を伏せ、かぶりを振った。 「儀式以外で俺に触られるのは嫌か?」 「そ、そういう事じゃ、だ、だから、そ、その……」 「違うんだ?」  すると、パァっと兼貞の表情が明るくなった。俺は殴ってやりたい心境になったが、残念ながら緩くとはいえ縛られているのでそれは出来ない。 「で? 次は何をするんだ?」 「――、さすがに絆にはすぐには効果が出ないんだな」 「は?」 「強い霊能力があるせいで、常人なら一発で落ちてるような強さでも、これだもんな」 「おい。犯罪臭がする言いぐさはやめろ!」 「雰囲気はいつも通りないし」 「俺達にいつもなんて無いだろ!」 「絆……どうして絆は、これから自分が式神にされると聞いてるのに、そんなにいつも通りなんだ? 俺が怖くないのか?」 「兼貞が怖いわけがないだろう!」  俺は兼貞には負けない。せめて、気合いと根性は! 最低限対等でありたい。  と、そう考えた瞬間だった。 「え」  ドクンと胸の奥が熱くなって震えた。思いっきりビクンと、俺の体が跳ねる。何が起きたのか分からないまま、俺は胸の中心から波紋のように広がり始めた熱に混乱した。何かが、俺の内側で蠢いている感覚がする。 「か、兼貞……お前、本当に変なものを俺に飲ませていないだろうな!?」 「誓って、俺は絆を害したりはしないよ」 「絶対だな? お前だから信じるんだからな!」 「……っ、絆。ごめんな、俺はその信頼には答えられないかもしれない」 「は!?」 「今だって欲しくてたまらないんだ。でも、我慢してる」 「どんな告白だ!」  俺は体の熱に焦りながらも、必死で強がった。その内に――指先までの全身が熱くなったと思った直後、スッとその感覚が消失した。そして代わりに、ぬるま湯のように穏やかな感覚に飲まれた。これは、知ってる。いつか、最初のロケの日に、気を流し込むと兼貞が言ったあの日にも感じた、水のような感覚だ。頭の奥がジンと痺れたようになってくる。酩酊感とも異なるが、思考と視界に霞がかかったような心地になり、俺は思わず何度か瞬きをした。 「っ……ぁ……」 「やっと聞いてきたか。絆、俺の声、聞こえる?」 「う、うん……あ……」  俺はぼんやりとしながら、兼貞を見た。するとその端正な顔が、いつも以上に惹きつける顔立ちに思えてきた。特に、黒い瞳と、艶やかな薄い唇から、俺は目が離せなくなった。兼貞に見られていると、嬉しい。あの唇が欲しい――って、俺は一体何を考えているんだ? どういう事だ? そう焦って、俺は再び現状を聞こうとしたのだが、その時、兼貞に顎を持ち上げられたら、その気力が蕩けて消えた。 「どうして欲しい?」 「キスして」 「――確かに、絆の認識だとそうなるだろうな。最初のやり方がそうだったしな」 「兼貞、ぁ、キスして」 「ああ、もう。素直な絆は俺にとって本当に理性を試してくる生き物で困りすぎる」 「早くキスして。兼貞、兼貞、ぁ」  俺は自分が何を口走っているのか、よく分からなくなってきた。痺れた頭で、ただひたすらに、『兼貞にキスされたい』と思っていた。 「キス、されるとどうなるから?」 「幸せになる」 「っく、そ、そうなんだ。それは嬉しいけどな……――概念的に説明すると、俺の気を食べると、気持ちが良い、それが式神になるって事で、俺は一度目はキス、二度目は絆の記憶が飛ぶくらいのキスで既に二度、絆に気を渡してる。絆は、キスじゃなく、それが欲しいんだ。俺を食べたいんだ。俺が絆を喰らいたいように、絆も俺が喰べたいって事。分かる?」 「分からない」 「……だよな。あー、もう。儀式の時間、早く来いよ」  兼貞がぼやいている。それは分かったが、俺の頭はただ痺れているだけだ。 「準備をしなきゃいけないから、少し開けさせてもらう」 「ん……」  兼貞はそういうと、俺の体を軽く押した。結果、俺は力の入らない体で布団の上に横たわった。そして紐をさけ、器用に兼貞が俺の下着を取り去った。僅かに残る理性が言う。なんで俺のトランクスを脱がせた? と。しかし痺れ切っている頭では、別にそれはどうでもよく思えた。 「ぁ」  その時、急に俺の体を拘束している紐が、少しきつくなった。 「こっちも、やっとか」 「あ、あ、なんで……紐、動いて……」 「ただの布紐じゃない事は説明しただろう? 俺の気自体で、絆の体を縛ってるに等しいんだ、今は。ただ玲瓏院の力が強すぎて、この式神紐でも力を吸いきれなくて、反応するまでに時間がかかったんだよ」  兼貞がそういう合間に、俺の陰茎の根元にも紐が絡まった。俺は怯えた。 「やだこれ怖い……嫌だ」 「悪いな。もう逃がさない」 「兼貞、酷い事しないって」 「そんな約束はしてない」 「兼貞、なんで。俺の事好きだって言った……ぁ……なのに、なんで」 「この儀式だけは我慢してくれ。そうしないと、絆が絆でなくなる」 「違う、なんでキスしてくれないんだ、馬鹿」 「えっ、そっち!?」  兼貞が派手に吹いた。俺は涙ぐんだ。どんどん何も考えられない割合が増えていく。 「儀式が始まったら、いっぱいするから、だから、待って。な?」 「うん、うん……」  譫言のように俺が繰り返し、そして頷くと、俺の目元の涙を兼貞がぬぐった。 「あ、早くキス。キスして」 「――それだけでは終わらない。ごめんな」 「?」 「まだ準備がある。絆、俺に任せてくれたら大丈夫だから」  兼貞はそう述べると、箱から酒盃のようなものを取り出して、こちらも畳の上に置いた。そして人差し指で、中に入る液体に触れる。俺は寝転がったままで、ぼんやりそれを見ていた。 「っ、ひぁ」  その濡れた指先で、兼貞が不意に俺の菊門に触れた。一気に俺の理性が戻った。 「何するんだよ! 何処触ってるんだよ!」 「ここで意識戻るの!? さすがは玲瓏院の……う、っていうか、やりにくい」 「兼貞、離せ。離せ! 変な事するな!」 「大丈夫、指だけだから。とりあえず」 「な――あああ!」  すると兼貞が問答無用とばかりに、ずぶりと第一関節まで指を突っ込んできた。痛みはない。液体のせいだろうか? とすると何か、ローションか、と、大混乱しかかった俺は――直後目を見開いた。 「うああああああ、や、や、やあああああ!」  思わず絶叫した。それまでぬるま湯のようになっていた体の内側が、一気に沸騰したように変わったからだ。熱い。熱くて何も考えられない。 「あ、あ、あ……あ、あ……ああああ……あああああ!」  気づいたら兼貞の人差し指が根元まで入っていた。そしてそれとほぼ同時に、ブツンと俺の理性は途切れた。 「兼貞、ぁ、あ……俺、あ……あ……ああ……うあああ」  舌を出して、俺は必至で呼吸した。息ができないくらい、全身が熱く変わった。  同時に、飢餓感としか言いようがない欲求が押し寄せてくる。  頭の中が、兼貞とキスがしたいという欲望で染まったのだが、いいや、違う、欲しい、食べたい、でも何を? 訳が分からない。 「う……」  その時、紐がより強く締まった気がした。 「あ、嘘、や、なに……う、うあぁ」  俺の着物が乱れ、紐がまるで生き物のように肌に触れては、蠢いている。ギュッと縛られると同時に、紐に肌を嬲られる。すると、その布地が触れている部分から、どんどん力が抜けていく。そしてゾクゾクと背筋に未知の感覚が這い上がってきて、そして、食べたいと感じるのだが、何が起きているのか理解できない。 「あ……ぁ……ァ、あ、兼貞。兼貞」  俺は兼貞に抱き着いて唇を奪いたくなったが、紐のせいでただ身をよじるだけの結果に終わった。 「んン――!」  その時、兼貞が二本目の指を俺に挿入した。兼貞の長い人差し指と中指が、ぬめる液体をまとって、俺の内側を暴いている。少しして、その指先の先端が、ある個所を掠めた。 「ひッ、あ!!」 「ここ?」 「あ、あああああ」  全身に快楽が響く場所へと、兼貞が液体を塗りこめるようにする。俺はすすり泣いた。その時になって、食欲と性欲が直結した。気づけば俺の陰茎は立ち上がっていて、そちら全体にも紐が絡みついていた。 「あ、あ……」  もう、意味のある言葉が、俺の口からは出てこない。今度は、果てたいという欲望で、俺の頭が染めつくされた。 「『まだ』人間の体だからな。少しほぐさないと」 「あ、やっ、ぅ……うう……ぁァ」  そこから俺にとっての、ある種の地獄が始まった。何度もぬめる液体を指に掬っては、兼貞が俺の内部をほぐし始めたのだ。何度もイきそうだと思ったのに、紐が根元を封じているせいなのか、それが叶わない。強すぎる快楽でおかしくなりそうだった。 「あ、は……っ……」  俺はびっしりと全身に汗をかいている。髪がこめかみに張り付いてくる。涙で滲んで、世界がうまく見えないのか、快楽のせいで意識が朦朧としているのかすら分からない。 「大丈夫か? 辛くないか?」 「あ、あ、辛い、だめ、早くキスしてくれ」 「チ……っ、俺もそうしたい。でも、もう少し」 「やぁ」  俺はすすり泣いた。自由になる首を何度も振る。 「まずは、絆の力、全部食べさせてもらうから。それまで、もう少し」 「ああ……っく、う……」 「そのために、この妖狐鬼珠を入れる必要がある。そろそろ入るか」 「あ、あ、あ」  兼貞が俺の中に、球体をゆっくりと押し込んできた。俺は悶えた。押し広げられる感覚は一瞬で、兼貞が二本の指でそれを俺の奥深くまで入れる。すると熱がより酷くなった。もう息が出来ない。声すら出せない。俺の全身が乾き始めた。  その後――遠くから、鐘の音が二回、どこかから響いてくるまでの間、俺は身動き一つできないでいた。

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