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第34話 反応

 視察の二日目が無事に終わる頃には、俺はあくまでも『前世』は『前世』だと割り切ろうと決意していた。正直恐怖はあるが、少なくとも現在のシュトルフと作中のシュトルフは違って見える。ち、違うよな?  僅かな怯えも残しつつ、俺は視察の三日目を迎えた。  本日は、領地内に引退後の新居を構えてそちらに滞在中だったリュゼル叔父上と、そちらに乳母と共にいたのだというシュトルフの実子、アスマと対面する。本日は同時に、爵位の継承を宣言し、俺との婚約を領民の前で報告するらしい。  俺もまた正装に着替え、シュトルフと共に街の中央部へと向かった。 「ち、ち、うえ!」  馬車から降りるとすぐに、声が聞こえた。俺が顔を向けた時には、走り寄ってきたアスマがシュトルフに抱きついていて、シュトルフもまた受け止めていた。  アスマはシュトルフによく似た色彩をしている。黒髪に紫の瞳だ。まだ三歳、俺は過去に子供とはそれほど触れ合った事が無いので、小さな手を見るだけでドキリとしてしまう。壊れそうで怖い。だが、とても可愛い。 「良い子にしていたか?」 「うん!」  シュトルフの問いかけに、アスマが威勢良く頷いた。シュトルフは優しげな顔で頷いてから、俺を見た。 「改めて紹介する、アスマだ」 「おはつに、おめに、かかります! ツァイアー公爵家のアスマです!」  本当は赤子だった頃に、王宮に来た事があるので初めてではないが、俺は思わず笑顔を返した。 「はじめまして。クラウスだ」 「クラウスでんか! でんかはとても、きれいです!」 「その年から世辞が言えるのか。将来が楽しみだな」  思わず俺が吹き出すと、シュトルフが苦笑した。ただリュゼル叔父上だけが腕を組んだ。 「好みが似ているんだよね」  それを聞くと、シュトルフが咽せた。 「アスマ。クラウスは、父上のものだからな? 覚えておくように」 「はい!」  子供に対して独占欲を出してどうするんだろうかと、俺はシュトルフを見て笑ってしまった。そのようなやり取りをした後、俺達は演説の会場入りを果たした。  今は、アクアゲート王国歴で五の月の初旬なのだが、来月、六の月の終わり頃に公爵位をシュトルフが継承し、リュゼル叔父上は大公となる事が宣言された。また後継者として、次の公爵はアスマである事も宣言された。頷きながら俺はそれを見守っていた。聴衆達も静かに聞いている。だが、皆どこか明るい顔だ。 「その後、夏にクラウス殿下を迎える」  シュトルフが婚約と結婚予定を述べると、ついにその場の人々から歓声が上がった。既に新聞報道で皆知ってはいた様子だが、多くの人びとが歓迎する姿を見せてくれて、俺はホッとしてしまった。  そんなこんなで、無事に視察の三日目も終了した。  今回の合計六泊七日のツァイアー公爵領地での予定は、これで一区切りだ。リュゼル叔父上とアスマも、この夜は、ツァイアー城で一緒に食事をする事になったので、俺達は四人で城へと戻った。  最後の夜の晩餐が始まると、俺は少しだけ肩の力が抜けた。どこかで、気を張っていたのかもしれない。幽閉場所を見てしまった衝撃もあるが、どちらかといえば、本日の件への領民の反応が、ずっと無意識だったのか気にかかっていたらしい。  そう思いながらグラスに手を伸ばしつつ、シュトルフとリュゼル叔父上の間に座っているアスマを見る。笑顔のアスマを見て、俺を怖がる様子が無い事にも安心してしまった。  アスマは、普段はこの領地の、リュゼル叔父上の新居で、乳母に育てられているらしい。本格的にシュトルフが拠点をこちらに移し、俺が降嫁してからは、このツァイアー城で暮らす予定だと聞いた。ただ、公爵として王都で王宮関連の仕事も担うので、暫くは領地と王都の行ったり来たりになるらしい。俺も引き続き外交などは担当する場面があるようだ。  ――このようにして視察を終え、翌朝俺は城の人々や、もう少し領地に残るというリュゼル叔父上、そしてアスマと別れ、シュトルフと馬車に乗り込んだ。  帰りの旅路は、行きの旅路で少し慣れていたからなのか、来た時よりも早く感じた。今回も馬車では二度眠り、それ以外は宿を取るという、同じ道筋を引き返しただけだったのだけれど、不思議なものだ。  旅の中では、数度、シュトルフに触れられた。だが、最後まではしなかった。 「王都に帰ったら、覚悟してもらいたい」 「ちゃんと加減を考えてくれるんだろうな?」  そんなやりとりを、薄い壁の宿屋でしながら、俺は何度か声をこらえつつ、シュトルフにイかせてもらった。シュトルフは俺の物を飲み込んでくれたので、幸いシーツは汚れなかった……。  そのようにして、帰りの馬車での旅も順調に過ごしつつ、俺はシュトルフと――天気の話をした。天気以外に共有出来る思い出も増えてきたのだが、癖というのは怖い。 「今日中には王都につくな」  紅茶のカップを傾けながらシュトルフが述べた時、窓の外を見ていた俺は、大きく頷いた。 「これだけ晴れていれば、丁度星が輝く頃に着くな」 「そうだな。今日は雲もない。風も気持ち良いな」  シュトルフも俺と同じくらい天候の話を繰り返していた。馬車のテーブルの上のカップに俺も手を伸ばし、紅茶を味わう。旅が終わってしまうのが少しだけ寂しい。こんなに密にシュトルフと時間を共にした事はほとんど無い。もっと一緒にいたいと、現在の俺は考えている。結婚したら、それが叶うのだろうか?  色々と考えている内に、馬車は王都に入り、真っ直ぐに王宮へと向かった。  正門の前で馬車が停ると、王宮に残っていた俺担当の近衛騎士が出迎えてくれた。旅に同行してくれた近衛騎士のジークがそちらに加わる。 「あとは陛下に報告するだけだな」 「ああ。このまま俺も一緒に行く」  シュトルフと共に、馬車から降りて、そんなやり取りをした。  こうして俺達は、謁見の間へと向かった。長旅だったが、無性に王宮が懐かしい場所に思えた。帰ってきたという気持ちが強くて、もうすぐ自分がここから離れるというのが、不思議な気持ちになる。だが、滞在したツァイアー城も嫌いではない。怖い塔には近づきたくないが……。

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