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第36話 バルテル侯爵家

「ようこそおいで下さいましたな、クラウス殿下」  邸宅に着くと、ドロフェイお祖父様がそう述べた。左右に、伯父と従兄が立っている。 「それにシュトルフ卿」  六十代の祖父は、まだ若々しい。  そのまま中へと促されて、俺とシュトルフは、応接間へと案内された。正面にバルテル侯爵家の人々が三人、テーブルを挟んで長椅子に俺とシュトルフが並んで座っている。侍女達が紅茶を並べていき、壁際に下がってから、シュトルフが手土産の品を取り出した。 「ツァイアー公爵領地の名産の黄花蜂蜜です。よろしければ」 「お気遣い感謝する」  微笑したお祖父様は、家令に視線を向ける。すると歩み寄ってきた家令がそれを受取った。非常に人当たりの良さそうな顔をしている祖父で、俺は実際に良い人物だとしか考えずにこれまで育ってきたが……考えてみると、俺の母の父だ。生粋のバルテルの人間である。本当にただ人が良くて笑っているのか、俺にはちょっと分からない。 「王宮から降嫁予定の知らせが届いた時は、本当に驚いた」  くつくつと祖父が笑っている。 「祖父として、恐れ多くも孫である、クラウス殿下の伴侶となるお方――シュトルフ卿とは一度二人きりでじっくりと話がしたいものだが」 「同じ気持ちです、父上」 「ドロフェイ卿、バルテル侯爵、とても嬉しいです」  シュトルフが卒なく返した。すると祖父と伯父が笑顔になった。よく似ている。俺の母にも似ている。いいや母の側が似ているのか。今ならば、そうは感じさせないが作り笑いなのだろうと俺にも分かる。 「僕も従兄としてクラウス殿下のお話が聞きたいなぁ」  そこへデニスが言葉を挟んだ。俺は、年上だが俺よりも背が低い上、とても若く見えるデニスに向かい、大きく頷いた。デニスは昔から、小柄だ。人形のように愛らしい顔をしている。 「俺も嬉しい」  そんなやり取りを経て、祖父と伯父が、シュトルフを伴い出て行った。現状、俺の方が身分が上だから、俺が応接間に残された形だ。紅茶を頂いていると、それまで微笑していたデニスが――普段通りの表情になった。デニスは身内の前では、作り笑いがいつも剥がれる。これは俺も知っていた。 「クラウス」  俺に対しても、別段謙らない。 「なんだ?」 「君さ、紅茶を飲んでいる場合なの?」 「え?」  何を言われたのか分からず、俺は首を傾げる。すると、嘆息したデニスが侍従を見た。すると心得たというように、侍従が箱を運んできた。 「開けて」  その言葉に、侍従がふたを開ける。 「クラウス、中を見て」 「これは?」  言われた通りに中身を見れば、小瓶が大量に入っていた。 「魔法薬茶が無い場合、服用する魔法薬だよ」 「?」 「もし魔法薬茶を振舞われない時は、自分で持参したこういうものを一緒に飲んでおくべきだよ。降嫁するんだから。しかも婿になるわけじゃないんだから、そういう事でしょう? というか、基本的に今後飲み物は魔法薬茶とすべきだし。ちゃんと飲んでるの?」  飲んでいなかった。俺は目の前に自然と出てこなければ、魔法薬茶を飲んだ事はない。 「もうシュトルフ卿とは寝た?」 「っ、そ、そういう事は……」 「大事な事だよ。心変わりされたり、降嫁後に離縁なんて事態、めったにないとはいえ、絶対に回避すべきだからね」 「そ、そうだな」 「何よりクラウスは自覚を持つべきだよ。今後君は、『公爵家の人間』『新ツァイアー公爵の配偶者』となるんだから、貴族の派閥争いにだって巻き込まれるかもしれないし、様々な困難があったり、敵が待ち受けているかもしれない。王位を争っていた王宮とはまた違った魔窟に降りるんだからね?」  無表情で、つらつらとデニスが述べる。  そこまで深く考えていなかった俺は、若干冷や汗をかいてしまった。 「心配だなぁ、やっていけるの?」 「努力はする」 「努力だけじゃ知謀策略はどうにもならないし、王位争いとは方向性が違うよ?」  デニスは俺の事を思ってくれているのだろうが、鳩尾あたりが重くなってしまった。 「今後は王家から離れるわけだし、バルテル侯爵家との関わりの方が何かと増えると思うから、同時に、クラウスにはバルテルの縁者としての自覚も持ってほしいなぁ」 「迷惑はかけないようにする」 「逆だよ、沢山頼ってくれて良い。僕達は従兄弟なんだし」 「デニス……有難う」  素直にお礼を告げて、俺は唇の両端を持ち上げた。心配してくれる親戚とは、有難い存在だと思う。 「そこで結婚祝いというか、バルテル侯爵家から推薦する一人付き人をと考えているんだよ」 「付き人?」 「降嫁後の、クラウスの侍従として。それが、今箱を持っている、エニラ男爵子息のマーク」  その言葉に俺は驚いた。  なお、母から名前だけは聞いた事があった。エニラ男爵家は、代々バルテル侯爵家に仕える家柄だ。使用人や護衛を輩出している、という意味合いもなくはないが、一番は、『情報収集』などに当たる密偵だとされている。 「護衛は王宮からも公爵家独自に雇う者も沢山いるだろうから、武力面では選ばなかったんだけれど、マークは情報収集に長けているから、きっとクラウスを助けてくれるよ」 「デニス……」  有難い心遣いだが、本当に良いのだろうか?  チラリとマークに視線を向ければ、薄い茶色い髪の青年が、静かに頭を下げた所だった。デニスと同世代に見えるから、二十代前半だろう。 「よろしく頼む、クラウスだ」 「もったいないお言葉です、クラウス殿下。マーク=エニラと申します。今後、誠心誠意を込めてお仕えさせて頂きます」  先ほど怖い話を聞かされた分、心強いなと考えてしまった。 「降嫁と同時に、クラウス専属の侍従になるように、シュトルフ卿やツァイアー公爵家にはこちらで根回しをしておくから安心して。それまでは、基本的に王宮にいると思うし、自力で頑張ってね」  デニスは淡々とそう述べた。俺は大きく頷く。  その後、お祖父様や伯父上が、シュトルフを連れて戻ってくるまでの間は、貴族の怖さについてデニスから聞いていた。俺の顔は多分ひきつっていたと思う。どうやらドロドロした派閥争いやマウントの取り合いがあるようだったが、なるべく関わりたくはない。だが、そうも言っていられないのかもしれない。 「クラウス、元気で過ごすように」  バルテル侯爵家から帰還する時、玄関まで見送りに出てくれた祖父に、肩をそっと叩かれた。伯父やデニスも微笑している。デニスは、シュトルフの前では笑顔を貫いていた。 「有難うございます」  俺はそう答え、シュトルフと共に馬車へと乗り込んだ。それから気になってシュトルフを見た。 「何を話したんだ?」 「基本的には、幼少期にバルテル侯爵家へと遊びに来たクラウスの思い出話を聞かせられていて、特に俺は口を開かなかった」  シュトルフは俺を見ると、どこか楽しそうな瞳をした。シュトルフには、作り笑い対応をずっと続けていたのだろうか? 俺には分からない。  その後は天気の話をしつつ、俺とシュトルフは王宮へと戻った。  そしてシュトルフは、そこに来ていたツァイアー公爵家の馬車で帰っていった。

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