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第49話 近衛騎士
その後もダニエルがシュトルフの近辺から離れる気配は無かった為、それを見ていたくないというのもあって、俺はヴォルフ殿下に告げた。
「そろそろ俺は退出する。友情に感謝する」
ヴォルフが頷いたのを見てから、少し離れた位置にいた近衛騎士のジークに目配せをした。すると一礼してから、ジークが歩み寄ってきた。
最後にもう一度チラリとシュトルフの方を見ると、なんとダニエルと目が合った。そして――また唇の端を持ち上げられた。内心がささくれだったが、俺は平静を装い、ジークを伴って会場を後にした。
シュトルフって、案外鈍いのだろうか? 正直イライラした。もっときっぱり、今度くぎを刺しておくべきか? 俺ではなくお前が浮気をするなよ、と。そんな事を考えながら無言で歩き、俺は私室のある階に進んだ。
等間隔に銀色の甲冑が並んでいる。オブジェだ。近衛騎士の正装でもあるが、普段は布製の服を着用しているのが常だ。それを見て、ふと思い立ち、俺は何気なく振り返った。思えば、ジークは良く仕えてくれた。結婚後は、俺に近衛騎士がつく事もなくなるから、会う事も無い。
「ジーク」
立ち止まり、俺は振り返った。静かな回廊には、俺達二人しかいない。
「お前にも世話になったな」
俺は唇の両端を僅かに持ち上げた。すると立ち止まったジークが驚いたように息を呑んだ。
「これまでの間、守ってくれた事、感謝する。ジーク、有難う」
自己満足かもしれないが、俺はこれまでよくしてくれた周囲には、きちんとお礼を述べたいと感じていた。これも前世を思い出した効果なのだろうか。
「クラウス殿下……礼など不要です」
「そうか。お前にとっては仕事だしな」
「いえ……それよりも……私めの名を覚えていて下さったなんて……」
感極まったような声で、ジークが言った。別段ジークは俺の前世の記憶にも出てこないし、確かに過去の俺であったならば、数多いる近衛の内の一人という認識だったかもしれないが、その時であっても、覚えていたのは事実だ。逆に、覚えていないと思われていた事の方が悲しい。俺の記憶力は、良いとは言えないが、そこまで悪くもないはずだ。
「勿論覚えている。これまで、本当に有難う」
俺がそう繰り返すと、ジークがまじまじと俺を見た。そして――不意に俺を抱きしめた。え? 何が起こったのか分からないまま、俺は気づくと抱きすくめられていた。
「ずっとお慕いしておりました」
ポカンとした俺は、何を言われたのか、最初分からなかった。とりあえず逃れようと、ジークの胸板を押し返そうとしたのだが、力が強く、びくともしない。
「いつも見ておりました」
「っ」
「お守り出来た事、光栄でなりません。愛しております」
「な……」
唖然とするなという方が無理だった。大混乱した俺は、身動きが出来ない為、ダラダラと冷や汗をかくしかない。俺もそれなりに護身術は学ばせられたが、さすがに鍛え上げている騎士を押しのける腕力はない。
足音がしたのはその時の事だった。
「――クラウス殿下の幸せをお祈りしております」
「……」
「参りましょう」
人の気配がした直後、あっさりと俺を腕から解放し、ジークが先を促した。俺は小刻みに頷いてから、慌てて私室の扉を見る。幾度か背後を見たが、誰が来たのかは丁度階段脇の角だった為確認できなかった。それよりも動揺から心拍数が酷い状態だったので、室内に入り、引きつった笑顔で扉を閉めてから、俺はへたり込んだ。
気持ちが迷惑だといった事は無い。俺も恋をしている身だから、拒絶されたら苦しいと思う。だが考えてもいなかった事態に、思考が追い付かなかった。
この夜俺は、眠れぬ夜を過ごしたのだった。
――シュトルフに会いたいと言われたのは、夜会から三日後の事だった。幸いこの間、ジークの姿を目にする事は無かったので、俺はちょっとホッとしていた。何せ、どんな顔をして会えば良いか分からないからな……。
なんでもシュトルフが領地の視察等でツァイアー公爵領地に行くそうで、今回俺はこちらに公務の都合で残るが、その前に会いたいとの事だった。俺も会いたいので、即座に同意した。
私室で待っていると、昼食後にシュトルフが俺の部屋へと訪れた。顔を見ただけで安堵してしまう。
「クラウス殿下、二人で話がしたい」
箱を二つ持参したシュトルフは、片方を侍従に渡してから俺に言った。俺も二人きりになりたかったので、大きく頷く。
「二人にしてくれ」
すると心得たというように侍従が出ていった。扉が閉まったのを見ながら、俺は魔法薬茶の入ったカップを傾ける。そうしてからシュトルフをチラリと見た。なんだか今日のシュトルフは表情が硬く見える。以前は無表情だとしか思わなかったが、最近ではそのかんばせの中の感情を読み取れるようになっただけ、俺は進歩したと思う。
「クラウス殿下」
「ん? 今日は、空が青いな」
「……そうだな」
俺が笑顔で答えると、シュトルフがどこか冷たい色を瞳に宿した。
「暫くは夏の青が空を染めるだろう。夕立ちはあるかもしれないがな」
シュトルフは興味が無さそうにそういうと、実に珍しい事に膝を組んだ。腕も組んでいる。あまり行儀が良い仕草ではないので、俺はシュトルフがこういった姿勢をしている姿を見た記憶が無かった。よく見れば、眉間には皴が刻まれている。明らかに不機嫌そうだ。
「シュトルフ、どうかしたのか?」
「……何故?」
「見るからに怒っているだろう? 俺は何かしたか?」
不安になって尋ねると、シュトルフが溜息をついた。
「逆に問う。俺が怒るような心当たりは?」
声こそ冷静ではあるが、やはり怒っているらしい。右手を頬に添えた俺は、その肘を左手で持ちながら、じっくりと考えてみた。だが、特に思いつかない。寧ろダニエルの件で俺が怒りたいほどだ。
「具体的に言ってくれ。どうして怒っているんだ?」
「……そういえば、ここへ来る前に、宰相府に立ち寄ってきた。宰相閣下に降嫁時の持参品についての相談を受けていてな。こちらに否は無かった」
「持参品の事で不愉快な事があったのか?」
「いいや? 宰相府では、俺は雑談交じりに、婚姻までと降嫁後の、クラウス殿下の護衛について話をしてきただけだが?」
「? そうか」
シュトルフが何を言いたいのかさっぱり分からない。回りくどすぎるだろう……! こちらはただでさえシュトルフを怒らせたら断罪される恐怖があるというのに。
「クラウス」
「だから何だ?」
「――ジークという名に心当たりは?」
それを聞いて、俺は思わず目を見開いた。
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