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第6話

 ――夜。 規則正しいキースは既に就寝し、トーマもまた二の客間へと戻り暫くが経過した深夜。  月が雲の輪郭を際立たせている。窓から夜空を一瞥してから、ユーグは正面に向き直った。そこにいるファルレは、二枚の羊皮紙に記されている、未確認の魔獣の情報を、淡々としたいつもの声で、ユーグに説明をしている。  多くの場合、魔獣討伐はユーグの仕事であるが、珍しいものに限り、ファルレは率先して行きたいと望む。これほど熱心に説明しているのだから、自分が強く行くと言う必要はないと考えながら、ユーグは半分ほど聞き流していた。  するとファルレが、二枚の羊皮紙をテーブルの上に、いつもよりは乱暴に投げた。 「なぁ、ファルレ」 「――僕は彼を弟子にするつもりは無いよ」  ユーグがいかにも提案しそうだと考えた事柄を、牽制するようにファルレが口にした。確かに、トーマをファルレが弟子にしたならば、第十三代が不在となる事もなく、継承は楽だろう。実際の弟子の育成もユーグが肩代わりしてくれるとファルレは分かっていたが、名目上であっても誰かの師となるなど、面倒に思えたし、何よりトーマという名の人間自体に今の所興味を持てないでいる。  するとユーグが苦笑した。 「違う。異世界人の存在が確認された」  続いて響いた予想外の言葉に、ファルレは刮目し身動きを止める。それから無意識に、両腕で体を抱いた。ユーグは再び窓の外へと視線を向ける。そこに広がる風景は、何ら変わり無くいつもと同じような表情をしていたが、世界は常に流動的だ。 「それも集団だ」 「何人ぐらい?」 「――マゼリア帝国の第二騎士団と同じくらいの人数は、確実に居る」 「二百三十五名?」 「意外とお前って、地上の知識、実はあるよな」 「僕に地上の知識がある事を、キースに教える必要が無いというだけで、相応に大陸の情勢や各国の基本情報の収集は怠らないよ。それが僕の師の教えでもあったからね」  冷静な表情に戻ったファルレは、銀糸の髪を揺らしながら、緑色の瞳を瞬かせる。それを見ながら、紫闇色の瞳をスっと細めたユーグは、暗い金色の前髪を指で摘む。 「懐かしいな、第九代」 「今は追想している場合じゃないと思うけど。異世界人は、危険だ」  ファルレの言葉に、しっかりとユーグは頷いた。キースは知らないが、暗黒魔導師となった者だけが受け継ぐ知識が存在し、その中に異世界人についての情報がある。それを知る世界でたった二人の暗黒魔導師達は、視線を合わせた。  過去にも幾度か、並行異世界と呼ばれる別の世界から、魔力膜を通り抜けて、異世界人と呼ばれる存在が、このグリモアーゼ――この場合は大陸名ではなく、世界としてのグリモアーゼへとやって来た事がある。  彼らは、この世界には存在しない知識を有する。現在でも、異世界人から得た知識の一部が、グリモアーゼにも根付いている。例えば調味料。味噌やマヨネーズは、異世界人がもたらしたものの中で、大陸全土に浸透していった品だ。  黒塔でも、過去に異世界人と接触した記録はある。第三代暗黒魔導師の発明とされている生活密着魔術や料理の内のいくつかは、当時来訪していた異世界人から得た知識を魔術により再現したものだとされているが、これは黒塔の機密だ。他の機密としては、欠番とされている第四代暗黒魔導師は、存在しなかったのではなく、公表されなかっただけであるというような、暗黒魔導師となった者のみが知る話は数多ある。  様々な並行異世界が存在する。共通点も多い。特に、『人間』という括りが大きい。人族と呼ばれ、獣人の方が多い世界もある。異世界から異世界への界渡りは、グリモアーゼでいう魔術を用いる場合もあれば、科学技術を用いる場合もあるし、何らかの事故や、偶発的な自然現象でも起きえる。よって関知していないだけで、グリモアーゼから他の並行異世界に転移している場合も、当然あるという推察はなされている。  この異世界人であるが――グリモアーゼに来た場合、例外なく膨大な魔力を保持した状態になる事が確認されている。この世界では、常軌を逸するような魔力の持ち主は黒塔に迎え入れられるものであるが、異世界人はその黒塔関係者と同等あるいはそれ以上の魔力を保持している場合が多々あるという研究結果が、黒塔のこれまでの知見として集積されている。ただし、並行異世界毎に、どの程度の魔力量になるかは変化する。黒塔には、いくつかの並行異世界の知識があり、名前も判明している。 「どこからの転移者集団?」 「地球だ」 「最悪だね」  並行異世界であるから、それは別の魔力膜の内側の、一つのグリモアーゼの姿であるとも言える。それを証明するのは、自然環境の類似だというが、地球には魔獣は存在しないと、ファルレとユーグは文献で見た記憶がある。魔獣は、魔力が溢れた世界にしか存在しない。地球には、通常の魔力は存在しないのだ。そして――魔力が存在しない世界からの転移者ほど、莫大な魔力を保持するようになる。 「日本という地域から来たそうだ。国名のようだな」 「ああ、味噌をもたらしたという聖人の出生地と同じ名前だね。実在したんだ」 「そのようだな」 「魔力量はどの程度?」 「魔力探索網を専用に構築中で、その指定鍵言葉に使用する単語を検討中だ。地球、日本、この二つは取り入れて問題ないだろうが、他にどうすれば検索出来るかは、まだ模索中だ」 「――数を二百三十五名とした場合、グリモアーゼの魔力膜を破壊するには十分だから、集団で来られたら、この世界は滅亡するね。転移者は一枚岩でまとまっているの?」 「まとまっている集落も存在する。数人で行動していたり、単独行動をしている者もいる。それもあって全体の正確な人数の把握が、今はまだ出来ていない」  ファルレは、ユーグの言葉を聞きながら指を組んだ。ユーグは普段こそ大らかに見えるが、実を言えば慎重派であり、冷徹な一面がある事を、ファルレは知っている。 「いつ来たの?」 「最古の記録としては、冒険者ギルドで、冒険者証を手に入れて身分証を確保した者がいる。それが半年前だ」 「半年? そんなにも前に……」 「まぁそう言うな。地上では、異世界から人が来るなんていうのは、御伽噺の一つなんだからな。それでも、『自分は異世界から来た』『地球から来た』『日本から来た』という証言をする者が重なっていき、冒険者ギルド連盟がその数の多さに驚いたり、各国でも噂になり始めた。そして少しずつ数が増して行き、本格的に異世界人が来ているらしいと判明したのは一ヶ月前といった所だ。そこから調査をして、異世界人のみの集落まで存在すると分かったのは、一昨日の事だ」  静かにユーグが語ると、ファルレが組んだ手を額に当てた。 「誰がそれを調査したの?」 「冒険者ギルド連盟の長老衆――大陸の五賢人の一人で、竜人族の賢者オルレ師だ」 「さすがに竜人族は、寿命が長いだけあって、異世界の記録も収集しているから敏感だったんだろうね」 「ああ。その上で、真っ先に黒塔へ連絡をくれた」 「だとしても調査速度が遅すぎる。これじゃあ、既に大陸全土に異世界人が散らばっていてもおかしくはないし、どこかの国に潜入していたり、逆に囲われていたり、兎に角こちらにとってもあちらにとっても不幸な結果が生まれていないとは限らない」  いつになく深刻そうな様子のファルレを見て、やはり自分より位が上であるなとユーグは思う。外見年齢こそ逆だが、ユーグは迷った時はいつでもファルレの判断を仰ぐ事が出来るから気楽だ。前代以降には決して逆らってはならないという決まりがある代わりのように、判断に迷ったら押し付ける事が許されている。 「それを知る各国は、どういう対策を検討しているの?」 「排除を唱えている国もあれば、共存を考えている国もある。異世界人側の対応にもよるんだろうが、念のためいずれの国も対策を練ってはいるようで、専門の情報収集機関を設置したり対応騎士団を招集したりしているようではある――が、こと異世界人に関しては黒塔の知識に並ぶ所は無い。よって、こちらに調査依頼が正確に来たわけだ」 「どこが依頼窓口?」 「大陸の八割の国家が参加している大陸平定連盟からだが、主導したのはマゼリア帝国だ。冒険者ギルド連盟からも同じ依頼があったが、こちらは大陸平定連盟の依頼に連名だったぞ」  ユーグが答えると、頷きながらファルレが続ける。 「異世界人の中に、攻撃的な存在は確認されているの?」 「まず異世界人側には、魔力膜の知識や、それを壊すと世界が滅亡するという知識がない。魔力を持ってはいても、魔術の使い方も知らない――誰かが教えない限りは、無力で非力な遭難者だ」 「半年は、学ぶに十分な期間だよね。ユーグ、とりあえず僕は、魔獣を片付けてくるから、もう少し仔細な情報の収集を頼むよ」 「分かった。気をつけろよ」  こうして、二人の暗黒魔導師の話し合いは終了した。

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