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第5話

 昼食には、第三代暗黒魔導師が黒塔に伝えたと言われるクリームシチューを作る事にした。正確には、バターやチーズといった乳製品を、第三代は広めたのである。今では大陸全土に広がっている。  キースはジャガイモの皮をむきながら、ピーラーを見る。これも第三代の開発物らしい。第三代暗黒魔導師は、魔力量もすごかったとされるが、生活密着魔術の祖と言われている。 「お掃除魔術か……」  そう考えると、トーマの開発した魔術は、第三代に通じる所があるのかもしれない。続いてブロッコリーの下茹でをしながら、キースは唸った。これまでの間、キースは主に、暗黒魔導師の日常的な仕事である魔獣討伐のための攻撃魔術を主として学んできたし、技術を磨いてきた。もう一つの大きな仕事である新たな魔術の研究開発は苦手分野である。  トーマは、開発も得意のようであるし、生活密着魔術というキースがこれまで必要を感じなかった魔術が使えるし、キースの苦手分野である透過魔術や転移魔術も巧みに扱えるような口ぶりだった。実際、そうでなければ客人とはなれないだろう。 「じっくり話してみたいな」  キースは一人微笑した。これまでの人生において、客人に会った事は一度もない。キースは、ユーグとファルレと過ごすほかは、二人について大陸に降りた時に、各国の王侯貴族と少し話した事があるだけだったから、じっくりと誰かと会話をした経験さえなかった。  クリームシチューが完成したのは十二時半を回った頃の事で、少しすると、ユーグとトーマが降りてきた。二人は四階のユーグの部屋にいたらしい。休むとは話していたが、別個では無かったようだ。 「掃除は出来ないが、キースの料理の腕前はそこそこだぞ」 「そこそこって何だよ」 「いただきます……」  トーマが手を合わせた。ユーグとキースはそれを見守りながら、顔を見合わせ言葉を重ねる。 「なかなか美味い」 「とっても美味しいだろ?」  不服そうにキースが言うと、楽しげにユーグが笑った。僅かに垂れ目のユーグの眼差しが、非常に優しい。ユーグがキースをからかうのは常であるし、キースも今では慣れている。それよりも、トーマの反応が気になり、キースはチラリと視線を向けた。 「……」  トーマは無言で食べている。表情も無表情だ。どう思っているのか、判断できない。顔を顰めているわけでもないし、スプーンを運ぶペースは一定だから、食べられない味というわけでもないと考えたい――と、キースは思いつつシチューを口に運んだ。 「皿洗いの生活密着魔術や、生ゴミ処理の生活密着魔術もあるそうだ」  ユーグの言葉に、キースは感動して目を見開く。トーマを見ると、静かに視線を上げて小さく頷いたが、それ以上の反応は無い。寡黙な人物なのか、あるいは緊張しているのか、キースはそんな風に考えた。  この日、昼食の席では、ユーグとキースが話しているだけで、トーマは一言も発しなかった。だが食後は、皿洗いの生活密着魔術を、呼吸するように披露してくれた。厨房に舞い散るように淡い緑の光が溢れていくと、洗い場ごと綺麗になった。 「じゃ、俺とトーマは、客人への知識提供という暗黒魔導師の義務を果たすために、夜まで四階にこもる。今日はお茶の時間は外す」  その後、ユーグはトーマを連れて、階段を上っていった。一人になったキースは、まだ魔術が使用されていないため、雑多なままの居間へ行き、改めて埃を見る。この部屋もすぐに綺麗になるだろうと確信していた。お気に入りのソファに座り、観葉植物の緑を見る。黒塔は、研究部屋以外のいずれの部屋にも植物が存在している。魔術師は草木に触れる事で、魔力を高める事が可能だからだ。そのまま午後の三時まで、キースはぼんやりと緑の葉を眺めていた。 「あれ? ユーグは?」  そこへファルレが顔を出した。視線を上げたキースは、立ち上がって一礼してから上を見る。そこにあるのは天井だが、心では四階を見ている気分だった。 「客人が来たから、その相手をしているんだ」 「――ああ。キースより強い魔力を持っているみたいだけど、どこの魔術師? てっきり僕への紹介に、お茶の時間には連れてくると思っていたんだけど」  その言葉に、キースは息を呑んだ。率直に、自分よりも魔力量が多いと言われ、嫌な胸騒ぎがした。 「人間の世界――地上では、それなりに高名な魔術師?」 「わからない、聞いてない。でも敬語じゃなかった」 「ふぅん」  ファルレは問いかけてはいるものの、さして興味が無さそうだった。ファルレも大概無表情であるが、こちらは無気力を体現しているように見える。トーマの場合は、どこか冷たく見える無表情だったのだが、ファルレの場合は気が抜けるような無表情だ。無表情にも様々な種類がある事を、キースはこの日学んだ。 「コーヒーでも飲もうかな」 「俺は今日はココアにする」  こうして、キースとファルレ、二人でのお茶会が始まった。甘いココアを飲みながら、キースは首を捻る。ファルレは地上の事に疎いのだが、キースはそれなりに知っているつもりだった。現在は、ユーグが黒塔と各国の窓口役をしているため、それを手伝う事がキースは多い。ユーグに押し付けられる場合も多々ある。なので高名な魔術師ならば、名前を一度くらいは聞いたことがあるはずだが、トーマという名前に心当たりは無い。 「……ん。興味が少しはあるかな」  その時ファルレが言った。 「やっぱり客人のことは気になるよな?」  キースが言うと、膝の上に羊皮紙を広げているファルレは、それを見たまま首を振った。 「ううん。こっちの紙の情報。大陸では未確認だった、新種の魔獣らしきものが、フェニキリア王国の辺境に出現したらしいんだ」 「……な、なるほど?」 「本当に新種ならば大発見だよ。ここの所、新種は見つかっていないからね。いずれにせよ、フェニキリアの単独討伐は困難だそうで、同盟国と協力しても難しいと考えられるからということで、黒塔に依頼が来たんだ。ユーグが昨日出かけていたから、僕が受け取ったんだけど」 「あれ? 俺は郵便受けで、手紙は見てないぞ?」 「緊急時暗黒魔導師宛王族連絡物転移魔法陣」 「ああ……四階にある、非常事態に送られてくる部屋の……ちゃんとファルレ様も毎日確認してるんだな」 「魔法陣の放つ魔力を関知した時だけ、確認くらいはするよ。ユーグが不在の場合ならね。ユーグがいる時は、僕のほうが向いていそうな場合は話が来るし、どちらでもよさそうな場合は話し合いとなるよ」  最近の応接間は、専ら、ユーグとファルレの話し合いで使用されていることを、キースは思い出した。そこで交わされる話題の多くは、梟獣人が運んでくる普通郵便では時間がかかりすぎるとして、転移魔法陣経由で送られてきた黒塔への依頼関連のやりとりだ。キースもそれは聞いていた。 「もう少し詳細に聞いたら、僕は現地に行ってみる」  ファルレはそう述べると、コーヒーを飲み干した。そして立ち上がり、自分の部屋がある四階へと戻っていく。残されたカップは、手でキースが洗った。  翌日から――目に見えて、黒塔の二階は綺麗になった。朝、キースが起きて、階段を下りていくと、まるで別の部屋であるかのように、ピカピカになっていたのである。磨き上げられた床もテーブルも、きちんと本棚やチェストの中に収納されて分類されている文献や魔法薬も、全てが輝いて見えた。 「お、おはよう」  キースが声をかけた時、トーマは、長椅子に座っていた。壁際にあり、ソファとは少し離れた位置にある。今まで本が積み上げられていた場所だ。 「見違えた。これ、どのくらいの時間で発動するんだ?」 「……数秒です。測った事が無くて」 「あ、俺には敬語じゃなくていいぞ?」 「そういうわけにはいかないです」 「昨日まで普通に喋ってただろ?」 「ですが、キース様」 「様って……今更……」 「……キース様。これは譲れない呼び方です」 「じゃあせめて、名前以外は元通りにしてくれ。お前は俺より強い魔力を持ってるんだしな!」  キースが無意識にそう言うと、トーマが心なしか驚いた顔をした。 「俺が?」 「ああ。ファルレ様が言ってたぞ」 「……だからといって」 「いいんだよ! なんか、お前に敬語使われるの、既に不自然なんだ」 「……分かった」 「それにしても、数秒?」  柱時計に視線を向けて、キースは秒針を見た。信じられない。 「何時に起きたんだ?」 「十五分前くらいだ」 「……いつここに降りてきたんだ?」 「五分前」 「すごいな!」  純粋にキースは感動した。 「朝食、お前も食べるか?」 「……ああ。キース様の料理は美味いからな」 「本当か? やっぱり結構、美味いよな?」 「ああ」  嬉しくなり、上機嫌でキースは続ける。 「師匠とは昨日何時まで修行してたんだ? 修行って言うのかは分からないけど」 「二時頃だ」 「師匠は朝食に起きてくると思うか?」 「――研究を少し進めるとおっしゃっていた」 「じゃ、いつも通り昼まで起きないな」  一人頷き、キースはトーマの分も含めて、二つの皿を用意する事に決めた。ソーセージを鍋で茹でながら、サラダとスープの用意をする。少し豪華にふわふわの卵も用意する事に決めた。これからもし二人で食べるようになるならば、なるべく満足してもらいたい。考えてみれば、料理においては手を使っていると、キースは考えた。  その後食卓で二人、向かい合って座った。五人がけの席で、いつも三人なので、今後は四人になる機会もあるのかと考えると、心が温かくなった。違う顔ぶれというのは新鮮で楽しいとキースは考える。 「なぁ、トーマ」 「なんだ?」 「俺、透過魔術とか転移魔術が苦手なんだ」 「……」 「今度、訓練に付き合ってくれないか?」 「……キース様」 「ダメか?」 「――苦手だとしても、俺のような一般人が、暗黒魔導師の訓練に付き合うなどというのは、烏滸がましい事だと、既に俺は学んだ」 「は?」 「昨夜のユーグ様からの知識のご指導は、主に黒塔在住の魔術師に対しての対応だったんだ」 「へ? 師匠はなんて言ったんだよ。俺、弟子だけど、何も言われた事がないぞ?」 「それはキース様が弟子だからだ。俺は違う」 「でも、俺より得意な魔術が三つもあって、魔力量が多いんだぞ? トーマは。師匠も切磋琢磨しろって言ってたし」 「……」  キースの言葉に、トーマは沈黙した。ソーセージを噛む音が響く。それから間をおいて、トーマが嘆息した。 「では、ユーグ様のお許しが出たら、検討する」 「ああ、頼む」  そんなやりとりをしながら、朝食を終えた。  ユーグが起きてきたのは、キースの予想通り昼過ぎの事だった。 「今日もお茶は良い。行くぞ、トーマ」  この日も、ユーグはトーマを連れて四階に向かった。トーマは素直についていくし、ユーグはいつになく上機嫌である。少し寂しい気持ちで、キースはそれを見送った。ただ、どうして寂しく思うのかは理解出来ない。自分の感情の動きについていけず、この日もぼんやりとキースはソファに座っていた。 「見違えた」  そこへファルレが降りてきて、居間を見渡した。キースが視線を向けると、魔法薬の瓶の位置を確認していたファルレが顔を上げて、空中にコーヒーカップを呼び出す。 「俺は今日は何飲もうかな。今日もココアでいいか」 「どうして落ち込んでるの?」 「え? ファルレ様、俺落ち込んでるか?」 「いつも君は、落ち込むとココアを飲むから」 「……そ、そうだっけ?」  キースは動揺しながら、曖昧に笑った。落ち込んでいるのかと聞かれた時、やっとその通りだと自覚した。そして寂しさの理由にも気づいた。師匠が取られてしまった気分だからだと分かる。これまで一人っ子だったのが、弟が生まれて、親を取られてしまったかのような、そんな思いがあるのではないかと、キースは自分の内心を考察した。 「まるで弟子みたいだもんね、トーマが」 「!」  すると、兄弟どころではなく、明確にファルレに現状を指摘されて、キースは胸を抉られた気持ちになった。そうなのだ。客人だからとなんとか押し殺そうとしているわけであるが、一番の不安は、ユーグがトーマを弟子候補として連れてきたのではないかという不安なのである。 「弟子は何人でも取れるからね」  ファルレが続けた。  弟子が複数いた場合、暗黒魔導師になるのは一人であるから争いとなるが、それが理由ではない。キースだけを弟子にしたいと思ったとユーグは述べていたから、それが嬉しかったキースには、少しばかり悲しく思えてしまったのだ。  俯いてしまったキースに、ファルレはそれ以上言葉をかける事もなく、昨日とはまた別の羊皮紙を読み始めたのだった。

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