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第13話

 ――翌朝。 「……ん」  短く呻いてカイはゆっくりと瞬きをした。視界に入った天井に見覚えはなかったが、弛緩していた体を起き上がらせるのも億劫で暫しの間、そのまま豪奢な寝台に沈んでいた。 「目が覚めたみたいだけど」  声がかかったのはそれからすぐのことで、パタンと本を閉じる音が続いて響いた。他者の気配に、息を呑んでからカイは漸く身を起こす。すると傍らの一人がけ用のソファに座っている青年――ファルレが視界に入った。  銀色の髪と緑の瞳のファルレを見た瞬間、カイは意識を失う直前の事を思い出した。 「怪我は!?」 「――怪我をしていたのは、君の方だよ。目が覚めて何よりだ」 「怪我……っ、痛」  その言葉に頭部にある包帯の存在を理解し、カイが手で触れながら目を細めた。その様を見ながら、ファルレは腕を組む。 「助けてくれた事にまず礼を言うよ」 「……あ、はい」 「それで?」 「え?」 「君はあそこで何をしていたの?」 「……えっと……」  カイが反射的に笑みを浮かべた。動揺すると笑顔を浮かべてしまうのは、彼の悪い癖である。幸いな事に、それをファルレはまだ知らなかったが。 「……記憶にないです」 「他の記憶もないの?」 「や。そ、そういうわけじゃ……」 「落下の前後の記憶が飛んでいるの?」 「さ、さぁ? ちょっとよく覚えてなくて」  曖昧に笑ったカイの言葉を耳にすると、ファルレが嘆息した。外傷は既に問題のない範囲まで回復済みなのを、治療した彼は正確に把握していた。まだ痛むのは、魔術医療で表面の傷を消した場合でも残る、体に残存している衝撃ゆえだ。しかし傷が消えても、頭部の場合は、記憶などに障害が出る場合がある。その場合には、さらに繊細な治療を施さなければならない。 「改めて聞くけど、名前は?」 「カイ」 「何歳?」 「二十六。えっと、何さん?」 「――僕は、第十一代暗黒魔導師だよ」 「変わったお名前ですね」 「……ファルレだよ」 「ファルレ、か。俺と同じくらいか?」 「外見年齢は二十七歳で止まっているから、同じくらなのは見た目だけかな」 「ほー!」  そこまでやり取りをして、ファルレは腕を組み直した。 「暗黒魔導師の知識が欠落している魔術師――一般常識部分にも記憶の欠乏が起きてるのかな」 「……」 「暗黒魔導師は名前が無いとされているから、普通は名前を聞こうとは思わないはずなんだけどね」 「……色々と俺の知識は欠落しているようです!」 「なるほど。じゃあ逆に聞くけど、記憶にある最後は何?」  ファルレの声に、カイが大きく首を捻った。 「お前が落ちそうになってたから、助けなきゃって思った」 「っ」 「このままじゃ怪我するって思って、それだけだな。ファルレが無事で良かったよ」  それを聞いた瞬間、ファルレの胸がドクンと脈打った。やはり助けてくれたのだと、そんな思いが強い。 「僕を助けたら自分が危ないとは思わなかったの? 実際に、君は怪我をしていると思うけど」 「そう言われてもなぁ、反射的なものだったからな。助けなきゃって思ってさ」 「……そう」  ファルレには、カイの感情は概念としては理解できたが、過去に誰からも向けられた事のない部類のものだった。何故なのか、カイの言葉を耳にしているだけで、ファルレの胸は温かくなっていく。このような感覚は、ずっと過去にはあったのかもしれないが、記憶の彼方であり、既に初体験といっても問題が無いものだった。 「後遺症があるといけないから、暫くの間はここに滞在すると良いよ」 「ここは?」 「黒塔だよ」 「黒塔?」 「――黒塔の知識も無いの? いよいよ記憶障害が疑わしいんだけれど」 「そ、その! 俺、ほ、ほら、あ、あれだ! 地頭があんまり良くないから、自分の興味がないことは忘れちゃって、それだけだ、それだけです!」  カイの言葉に、スっとファルレは目を細めた。 「君は、魔術師だよね?」 「え?」 「風の魔術を使用していたと思うけど」 「……ま、まぁ、そう、なるのか?」 「黒塔に興味がない魔術師なんて、この大陸に存在するとは思わなかったよ」  黒塔の暗黒魔導師であることは、ファルレの存在証明だった。己を保証してくれる、唯一といって良い事柄だ。これまでの人生において、それが全てであり、個として誰かに認識された記憶もない。黒塔内部では別であるが、少なくとも大陸の人間にとっては、自分は暗黒魔導師としての価値以外は無いはず、だった。 「そ、それにしても、ファルレって綺麗な顔をしてるな!」  その時、カイが話を変えた。ファルレは腕を組む。外見を褒められる事は世辞では多々あるが、率直にこのような場面で言われるとは思わなかった。 「だ、だからさ、なんというか――こんな綺麗な人が怪我をしたら大変だと俺は思ったんだよ」 「僕が、綺麗?」 「うん」  余程カイの顔立ちの方が端正だろうと考えつつ、ファルレはどこか噛み合っているようでそうではない会話を不思議に思う。話が通じないわけではないが、根本的な常識が異なる感覚だ。ファルレは暗黒魔導師にしては珍しい事に、大陸の常識的な感性も持ち合わせている。それは、学習した結果であり、あくまでも理解出来るというだけだったが。 「とにかく、暫くの間は体調のためにも滞在してもらうよ」 「――おう。俺、家なし宿無しの貧乏だから、逆に助かる」 「ちなみに、再度聞くけど、どうしてあそこにいたの?」 「き、記憶にないなぁ」  明らかに濁している様子のカイを見て、実際には記憶喪失などでは無いのだろうなとファルレは考察する。こうして、黒塔の客人にカイが加わった。

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