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第12話

「――という事で、師匠。ファルレ様は四の客間にいるんだ」  トーマの部屋を出たそのままの足で、ファルレと遭遇後、キースはユーグの部屋へと向かった。すると魔法薬を調合していたユーグが、顔を上げて小さく頷く。 「珍しいな」 「何が?」 「ファルレから見て有益な魔術知識が、この世界に新たに存在したというのが、まず珍しい。それに結果が陳腐だったとしても、自ら倒しに行った魔獣の討伐報告をあいつが丸投げするというのも珍しい。なにより、怪我人の手当? あいつは怪我人を見たら置いてくる方だろう。そこまでの人生だった、として」  ユーグの言葉に、キースは首を傾げる。 「大怪我だったとか?」 「なら、なおさらだ。黒塔関係者以外は、大怪我をしたら死ぬだろう? そっとそのまま死ぬのを見守る事が、本来だ。ペットを飼わない規則と同じようなものだ。そうでなければ、黒塔は延命機関として名を馳せてしまう。数多の魔法薬や魔術医療技術があるからな」 「……実際、ちょっとだけ頭を怪我しているようにしか見えなかったから、大怪我とは言えない気はした。じゃあそんなに珍しい魔術知識なのか?」 「順当に考えらればそうなるな」  そう言うと、ユーグは魔法薬の瓶を置き、魔術で手を綺麗に洗った。それからキースを改めて見る。 「今夜は、トーマの部屋に行くように伝えていたと思うが、どうなった?」 「ああ、行ってきた。部屋の扉を出た所で、帰ってきたファルレ様と会ったんだ」 「――トーマは、お前に何を教えたんだ? ファルレの討伐時間が早いのはいつものことだが、トーマが事を成してこの短時間なら、それは早漏というしかないな」 「ソウロウ? え? いや、雄しべと雌しべと子作りについての座学だった」 「あいつ、真面目なんだな」  ユーグはどこか遠い目をして笑った。キースはその反応を見て、首を捻る。 「師匠。どうしてトーマに、俺に対して子作りの知識を教えるようになんて命令したんだ?」 「必要だろう? そろそろ」 「……そうなのか?」 「そうなんだ」  キースは、師匠がそういうのならば間違いはないのだろうと、未だによくわからないながらも、素直に頷いた。  そんなキースを見て、ユーグは変な所で純粋な弟子が不安にも思えたし、面白くもあった。ユーグから見ると、キースに足りないのは、残るは汚れた知識程度である。もっと人間らしい、腹芸などを覚えてくれたら良いとユーグは感じるのだが、純粋に育った弟子を見ると、自分からは教えたくはない。しかし黒塔にいては学ぶ機会もない。そこで、汚れているというよりも、足りていない知識の中において必須である、大人の知識をまずは覚えてもらおう――と、半分ほど楽しく笑いながらユーグは考えていた次第だ。 「けど俺には子供は出来ないと聞いたぞ?」 「ん? どういう事だ、キース」 「男同士では子供が出来ないそうだ。ホムンクルスは別として」 「……いや、ほ、ほら……何も生涯トーマただ一人と寄り添えというような話を俺はしていないからな?」 「? 子作りは複数の相手と行うのか?」 「それは人による。行ってもあえて作らない場合もある」 「難しいんだなぁ」  腑に落ちていない様子のキースを見て、ユーグは何とも言い難い気持ちになった。口元にだけ笑顔を浮かべ、弟子を見る。 「状況はある程度分かった。キース、お前は今日は、もう休め」 「ああ。おやすみ、師匠」  こうしてキースは、ユーグの部屋を出て行った。残ったユーグは、その場で右手の指を鳴らして施錠する。  そしてキースが訪れた時に偽装のために適当に手繰り寄せただけだった二つの魔法薬の瓶を定位置に戻した。それから作業台の上にかけていた隠蔽魔術を解除して、広げてある大きな紙を見る。 「……討伐が早いといってもな、さすがに本来なら事後調査を行ってから戻るだろうと思っていたから、あと三日は猶予があると踏んでいたんだが」  それまでに、異世界人についての報告を、ユーグは取りまとめるつもりでいたのだが、時間が無くなってしまった。ファルレの関心事は、魔獣の件が簡単に終わった事も含めて、今後は異世界関連になるはずだとユーグは考えていた。ユーグの調査が終わっていなかったらならば、ファルレは自分で調べ出す可能性が高い。  なお、それは――ユーグにとっては、嬉しくない事態である。  ユーグはこれまでに集積されている、今回集団で訪れた異世界人の記録を振り返りながら、現在共通点をまとめているのだが、その資料の中には、既に個人的に接触済みの、異世界人と思われる相手の情報もある。それをまだファルレには公開したくないと内心で考えているのだが、自分で調べ出したらファルレはすぐに疑念を抱くように思っていた。  公開したくない理由は、もう少し話を聞いてみたい――という、ただの質の悪い好奇心である。並行異世界のそれぞれとこのグリモアーゼの時間の流れは異なる。よって過去の並行異世界や未来の並行異世界から、同時期にグリモアーゼへと訪れる異世界人達もいた。しかし今回は、全員が同じ時代の同じ国、世界から訪れたらしい。 「しっかし、このタイミングで連れ帰ってきた客人? まさか異世界人を拾ってきたって事は無ぇだろうなぁ……」  腕を組みながら、ユーグはぼやいた。異世界人は、外見からのみでは、数多くの特徴を持つグリモアーゼの人間との差異がなく判別出来ない。今回訪れた人々に限ってみても、黒い髪と目という、さして珍しくない色彩であるし、肌の色も探せば見つかりそうなものである――一点挙げるとするならば、顔面造形が著しく良い異世界人が多いようではある。正確には、異世界人達が放っている魔力が、グリモアーゼの人間から見ると美しく思えるので、そう感じられるらしい。それは人が竜人族を見た時に抱く感覚と同じなので、その特性でさえ、特異的とは言えない。  この日、遅くまでユーグは資料整理に追われた。  翌朝。  キースは自室で腕を伸ばしてから起き上がった。そして身支度を整えてから、二階に降りた。するとそこには先にトーマの姿があった。 「あ」  トーマはキースの姿を見ると、目に見えて体を強ばらせた。雄しべと雌しべについての座学を行った記憶で一睡も出来なかった彼は、キースを見るだけで緊張していた。 「お! おはよ」  一方のキースは、何も考えていなかった。寧ろこれまでは、朝食は一人きりで食べる事が多かったため、自分以外の姿がそこにあって純粋に嬉しいと思っていた。 「……おはよう」 「何食べる? 俺、パンを焼こうと思うんだ」 「手伝うか?」  あんまりにも普通のキースを見て、トーマは意識しすぎた自分が恥ずかしくなった。 「いや、良い。座っていてくれ」  キースはそう言うと、腕の袖を捲くり、エプロンの紐を結んだ。それからトーマを改めて見る。 「四の客間に、昨日の夜から新しい客人が来ているんだ。怪我をしているみたいで――会う機会があるかもしれないから、伝えておく」 「客人? ……捕虜というわけではないんだな」 「捕虜? どういう意味だ?」 「……――いいや、何でもない。特に深い意味は無かったんだ」  トーマはそう言うと、顔を背けた。キースは深く追求するでもなくそれに対して頷き、厨房へと向かった。キースを見送ったトーマは、それから一人がけのソファの上で膝を組んだ。正面のテーブルには、コーヒーがある。カップを手に取り傾けながら、トーマはスっと目を細めた。  もっと殺伐とした場所――それが、関わる前の黒塔への印象だったトーマは、現在のほのぼのとした朝こそが、あまり現実感を伴っていないような、そんな気がしていた。 「大陸各国が警戒するのは、単純に力が無いからで、黒塔の人々は裏打ちされた自信があるから、危機感を抱く事は無いという事なのかもしれないな」  呟くようにそう口にしてから、トーマはコーヒーを飲み込んだ。

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