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第11話
――フェニキリア王国の北東、ミーキアの砦。
実際には、太古の昔に建造された砦の跡が残存するだけの荒地だ。
嘗て特異な魔力が溢れた事象により、この地の空はいつも白い雲が覆っているが、決して雨は降らない。大地もまた白く固い土のみで、時折石塊が落ちているだけだ。枯れ果てた木の根が伸びているのは、このような土地でも生息可能な魔力を帯びた植物の生命力の強さを感じさせる。少なくともファルレには、そう思えた。
歩くでもなく転移して、目的の座標に姿を現した彼は、緩慢に瞬きをする。枯れた木の隣、真後ろは崖、そんな場所で、眼前の魔獣を視界に捉えた。
「なんだ。ただの突発的な変異種か」
……出かけてきてみたものの、非常に退屈な結果だった。その場にいた魔獣は、『個性』として片付けて良い程度の、偶発的に目の数が他のものとは異なる為に、魔力量が少し多いだけの個体だった。そうと分かれば、倒すだけだ。
杖を喚びだしたファルレは、嘆息しながら利き手でそれを繰る。別段杖が無くとも魔術の行使に問題はないが、攻撃魔術を用いる時は、念には念を入れて、魔術の精度を上げる事が可能な杖を用いるようにしていた。
周囲に、杖を中心として、魔法陣が展開していく。縦横無尽に舞う光のそれぞれに、魔力が宿っている。白いその土地に、色彩が溢れたのは一瞬で、直後ファルレは何の感慨を抱くてもなく、躊躇いなく魔獣を倒した。
そこまでは――想定通りだった。だが、直後足場が崩れたのは想定外だった。
「っ」
崩落し、崖側にファルレの体が傾く。下には、巨石が並ぶ川がある。このままでは落下する。いくら不老不死に近い暗黒魔導師といえど、外傷には弱いのであり、落ちればこの高さならば命の保証はない。だが、大規模な魔術を放った直後であったため、その反動で体が動かない。あっさりと討伐こそ行ったが、一撃で仕留めるには難易度が高い魔獣であったのは間違いない。
「危ない!」
手首を掴まれたのは、その時の事だった。緩慢に視線を上げたファルレは、己の手首をきつく握っている青年を視界に捉えた。先程まで、人気はなかった。落下しそうになりながらも、ファルレはその事を奇妙に思っていた。
一方の青年は、焦るように手に力を込めている。しかし着実にファルレは落ちようとしていたし、それを助けようとしている青年も、それは同じだ。崖自体が崩れかけているため、このままでは二人とも落下するのは確実である。
――今、手を離せば青年は助かるだろう。
「くっ」
しかし青年は手を離さなかった。結果、ついに崖が崩れたので、そのままファルレと共に落下する。ファルレは驚いて目を見開いた。青年が、ファルレを庇うように抱き寄せる。ファルレは、これまでの間に、誰かにこのように守られた事は無かった。守る側は、いつだって暗黒魔導師だからだ。
「風!」
青年が声を上げる。すると下方に風の膜が出現した。
――魔術だ。
それは確実だったが、ファルレは息を呑んだ。
ファルレは、この世界において、最も魔術に詳しい。しかし展開されている風の魔術に心当たりが無かったのだ。
「っ」
青年が呻く。落下の衝撃を風の魔術は和らげたが、完全に止めたわけではなく、ファルレを庇った青年は、したたかに頭を岩に打ち付けた。庇われたファルレは無傷だ。
「だ……大丈夫か?」
「僕はね。君は?」
「……っ、ちょっと、切ったみたいだ」
「見れば分かるよ。血が出ているからね。違う、そうじゃない。名前は?」
「カイ」
それを聞いて、ファルレは逡巡した。魔術を独自開発できそうな、高名な魔術師の名前の中に、該当者はいない。
「聞いた事がない。今の魔術は何?」
「……悪い、俺、頭がクラクラして……」
そのまま頭部を強く打った衝撃で、カイは意識を喪失した。地に降り正面からカイの体を受け止めたファルレは、自分と背丈の変わらないカイを見て、ゆっくりと瞬きをする。そうしながら、現実認識に務めることにした。
――未知の魔術に出会った。
――怪我をしている。
――……助けられた。
「あ」
ファルレの手を血が濡らす。手当をしなければと考える。それは、助けてもらった礼ではなく、新しい魔術知識を得るために必要だからなのだ――と、内心でファルレは言い訳をした。実際には、守られた事実に胸が締め付けられていた。とんだ失態である。
カイの体を抱き上げると、ファルレは転移した。本来であれば魔獣討伐の報告をすべきなのだろうが、人命には変えられない――と、思ったわけでもなく、無意識に移動していた。
「あれ? ファルレ様? 帰っ……――!? 怪我人!?」
すると転移した先の黒塔の三階にいたキースが声を上げた。二の客間――トーマの部屋から出てきた所だったらしい。黒塔は既に夜のようだった。
「少しの間、四の客間に通すから、ユーグに伝えておいて」
「お、おう」
「今から手当をするから、しばらく近寄らないで」
「分かった」
「――黒塔に有益となる魔術知識を有しているのをこの目で見てきたから、後で具体的に伝えるともユーグには付け加えておいて」
「は、はい!」
「それと、フェニキリア王国には、討伐は成功したと伝えておいて。死骸を諸事情で放置してきたから、必要があれば自分達で検分するようにと連絡を。ただの変異だった」
「分かりました!」
キースが頷いたのを見てから、片手で四の客間の扉を開けて、ファルレは室内に入った。大きな寝台にゆっくりとカイの体を下ろしてから、一度扉へと戻り、施錠する。花の香りが溢れかえっている室内で、続いてカーテンを見た。月の角度を確認し、適切な魔法薬の分量と、加えるべき魔術医療を検討する。まずは止血しながら、カイを見た。
黒い髪をしている。記憶にある瞳の色も黒だ。純粋な黒ではなく、僅かに茶も指しているが、完全に漆黒の色彩の持ち主は、大陸の人間でも限られているから特異的ではない。僅かに日焼けしている肌の色は、しかし褐色には遠く、元が白と黄の中間といった肌の色なのだろうと推察出来る。固く閉じられた瞼を見れば、黒く長い睫毛が見える。あまり他者の造形に興味を抱かないファルレであるが、眠っているカイを見ると、純粋に美しいなと思った。
血の量は多かったがそれだけであり、酷い怪我というわけでも無かった。まずはその事実に安堵し、とはいえ強かに打ち付けていた事を考え、頭部に異常がない事を祈る。異常が出た時に備えて、何種類かの魔法薬を傷口に塗り、点滴の用意もする。
「……単語で発動させる魔術、か。僕の場合だと指を鳴らす行為が、彼の場合は言葉となっていた――として、その後の結果は、脳裏に描いた魔法陣に由来していたのか、完全なる創造魔術なのか……少なくとも、前者でも黒塔と同程度の技能、後者ならば完全に未知だ」
一段落した所で、ファルレは呟き、近くのソファに座った。四の客間の室内には、巨大な寝台の他には、応接用のテーブルとソファ、簡易な書物机があるだけだ。
ファルレは脳裏では冷静に魔術について考えていたが、感情面では守られてしまった事に動揺していた。
手首を握ってくれた力強い感触、抱き寄せられた時の温もり。
これまでには未経験の事柄である。この世界において、暗黒魔導師やその関係者を守ろうとする者はいないといえる。黒塔の人間は守る側であり、黒塔の人間が失敗するような自体に直面したならば、周囲の者はより失敗する可能性が高くなるので、皆逃げていくのだ。それがこの世界の理だ。
「だけど、僕に気配を気づかせず、一体いつからあの場に?」
呟いてみたファルレは、カイと名乗った青年を見て、非常に不思議な気分になっていた。
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