結局、そのまま部屋に戻った僕は何故か酷く疲れている身体をベッドに横たえて、着ている服がシワになるのも気にする暇もなく眠りについた。 ゆらゆらと睡眠の波に揺られる感覚を味わっていた僕は、突然聞こえてきたガシャンっという何かが割れる音にはね起きて部屋を見渡した。 光の入ってこない地下では今が朝なのか夜なのかも分からず、慌てて着ていた服をいつも着ている服に変えると急いで部屋から出て上へと上がる。 眩しい日差しが顔に当たって、今が朝なのだと理解した。 「なんで僕が隣国なんかに！！！」 食堂から聞こえてきた声に慌てて部屋に飛び込むと、床には無惨にも割れた食器と下に落ちた衝撃で潰れてしまった料理が散乱しており、それが音の原因だと分かった。 「アデレード、仕方ないだろう。隣国の皇帝からの申し出を断る訳には行かない」 父が優しくアデレード兄さんに話しかけるけれど、癇癪を起こした兄はそれを耳に入れようとせずただ睨みつけながらまた口を大きく開いた。 「隣国のシュヴェエトは野蛮な奴しかいないんだ！その代表が皇帝でしょ！！！そんな所に行けるわけが無いじゃない！」 「たしかにあの国は武に長けた者が多いとは聞くが、土地も豊かだしこのライヒトゥム国と肩を並べるほどに裕福な所なのだぞ。何が不満だと言うんだ。皇帝に嫁げばお前も贅沢な暮らしができるじゃないか」 「いやだいやだ！絶対僕は行かないからね！！」 頑なに良しとしないアデレード兄さんに父は焦れ始めたのか、こめかみに手を当てて悩み始める。 基本的にアデレード兄さんに甘い父はどうにかして兄さんのお願いを叶えてあげたいのかもしれないけれど、話を聞く限り断るのは無理そうだ。 僕はそろそろと落ちた食器の所に近づくと音を立てないようにそれ等を片付け始める。 「アデレード…まさかジュダ王子と恋仲だという噂は本当ではあるまいな」 父の小さく呟かれた言葉に、アデレード兄さんが大袈裟に肩を揺らしたことでそれが本当だと分かった。 「…ジュダ王子には婚約者がいるのだぞ…」 「そ、そんなもの関係ないでしょ！僕達はもう契りを交わす約束もしているんだ！！だから、絶対隣国なんかには行かないからねっ」 義母は言い合いをする父とアデレード兄さんを交互に見ながら狼狽えていて、僕はただ息を殺して手を動かし続ける。 その時、取ろうとした食器が大きくカチャっと音を立ててその音が部屋に大きく響いた。 ヒヤリと背中に汗が伝う。 今まで父を睨みつけていたアデレード兄さんが、ゆっくりと僕の方に視線を向けて何かいいことを閃いたとでも言うように楽しげに僕に向かって微笑んだ。 兄さんがそういう顔をする時には大抵僕にとっては良くない話なんだ。 「お父様、それなら、この出来損ないを僕の代わりに嫁がせては？」 「アデレード何を言っておる」 「それなりの見た目にして送ってやれば向こうだって気づきはしないよ。だって、こいつの存在は誰にも知られていないんだし。隣国なら尚更気づきはしないさ」 「…しかしだなあ…」 訳が分からず困惑していると、渋る父に義母がそうよっ！と言って声をかけた。 アデレード兄さんと義母の2人に強く推されて、父はちらりと僕の方に視線を向ける。 久しぶりにしっかりと見た父の顔は記憶よりも少しだけ老けているように思えた。 「……そうしよう」 何かを諦めるように父が2人に同意する。 僕は何かが足元から崩れるような感覚を味わないながら、それでも何か言わないとって立ち上がって父の足元に縋りついた。 「お父様！！僕を見捨てるのですか！！」 「…離しなさい」 「どうしてっ！母が亡くなって16年、お父様はどうして僕にそんなにも冷たくあたるのです！母への愛はっ、僕への親心はどこにあるのですかっ」 「離せと言っているだろう！」 おもいきりお腹を蹴られて、僕は後ろに背中から倒れ込んだ。 父の冷ややかな瞳を見て、これが僕の人生なのだと悟った。 誰からも愛されず、美しい兄の代わりに身代わりとして隣国へ嫁がされる。 もしかしたら、こういう日のために僕は今まで生かされていたのだろうか…。 だとしたらなんて残酷なのだろう。 「出発は1週間後だ。それまでに準備を整えろ」 「……はい…」 仮にも息子に向けるには冷たすぎる抑揚のない言葉に僕は小さく返事をすることしか出来なかった。