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2.月明かりの下で
相変わらずの日常の繰り返し。
そんな繰り返しの日々でも、たまに違う出来事が起きることもある。
今日は公爵家主催のパーティが行われる一大イベントの日だ。アデレード兄さんも朝から大勢の使用人を連れ回して身支度に精を費やしている。
遠目からでも分かる程に高価な服と豪奢な装飾品は、アデレード兄さんの美貌をこれでもかという程に引き立てており、悔しいけれど彼はやはり美しいと思った。
僕はといえば、相変わらず奴隷のような格好で床掃除に窓磨き。人目に触れる場所には行かないよう言いつけられているから、こそこそと広い邸内を掃除して回る。
本当は僕も参加したい。
けれど、父も義母も僕を人前に出す気はないようで、きっと一生このままここで奴隷として生きていくのだと思っている。
「相変わらず汚らしいこと」
たまたま通りがかかった義母が僕を見て顔を顰めた。隣にいたアデレード兄さんがそれを聞いて何がおかしいのかクスクスと笑っているのが見える。
「僕は今日機嫌がいいからこれでもあげるよ。まあ、何を着ても不細工は不細工なままだと思うけれどね」
そう言ってアデレード兄さんが手に持っていた服を僕に投げ渡してきた。
それを受け取ると、僕の服に着いていた汚れで、白い生地が微かに汚れてしまう。
それを見て、僕は悲しげに眉をひそめた。
アデレード兄さんはたまにこうやって要らなくなった服を僕に与えてくることがある。
大体が穴が空いていたり汚れているものだったりするけれど、どれもきちんと直してあげれば着れるものばかりだったから、一応用意されている地下室の自分の部屋の物置に、直し終わった物はしまってあるのだ。
使えばいいのかもしれない…。
けれど、使うのが勿体なくて…。
それに自分には似合わないと思ってしまうから、結局服は溜まっていく一方だ。
服を握りしめる僕を見て義母とアデレード兄さんが嘲笑って来るのを必死に耐える。
「まるで乞食ね。卑しいこと」
「母様ったら、ふふ、さあ、もう行かないと遅れてしまいます」
「あら、そうね」
ふふふって楽しそうな笑い声を響かせながら2人が通路を進んでいく。
広い屋敷内に響く楽しげな声は僕の心を暗くはさせても明るくはさせてくれない。
昔はいつかあの楽しげな輪の中に混ざれる日が来るのだと信じていた。
けれど、この歳になった今それはもう儚い夢物語に過ぎないことは理解していた。
僕は服を握りしめたまま、悲しさや悔しさの綯い交ぜになった感情に任せて自分の部屋へと一目散に駆け出した。
掃除の途中だとか、さぼったのがバレたら怒られるだとかそんなことは二の次で、この悲しみを何処に向ければいいのかも分からないままひたすらに部屋まで駆ける。
そうして、部屋の中に着くと、貰った服をベッドに投げ捨てて、物置の中を引っ掻き回すと、パーティーに着ていけそうな服を1着取り出して手に取った。
ボロきれのような服を脱ぎ捨てて、ずっと袖の通せなかったそれを身につける。
割れた姿見鏡で自分の姿を確認すると、僕はぺたりとその場に座り込んで涙を流した。
アデレード兄さんは僕よりも小柄で美しい装飾が良く似合う人だ。だから、この服が自分に似合わないことくらい分かっていた。
丈の合わない裾に、なんだか無理をしているようにも見える装飾品とフリル。真珠が縫われた真っ白なドレープ生地だけが眩しく光り輝き、まるで惨めな僕を嘲笑っているかのようにも感じられる。
馬鹿だ…。
自分だって着飾れば美しくなれるなんて期待して、悔しくて、やけを起こして着てみたけれど、結局は現実を突きつけられただけ。
アデレード兄さんは僕にこの服が似合わないことなんて百も承知で渡してきたに違いない。
彼は僕に嫌がらせをして、僕が悲しげに泣くのを見るのが好きなのだ。
暗い地下の部屋はロウソクの心許ない灯りしか無く、その火がまるで僕の命の灯火のようにも感じられる。
いつか僕は彼らに殺されるのかもしれない。
いや、その前に生きる気力が無くなり自ら命を捨てるのかもしれない。
そう思ったとき、僕はふと空が見たくなった。
あの広大な空間を目にすると、僕はまるで鳥にでもなったかのように自由を感じられるのだ。
服もそのままにこそこそと外に出る。
外はすっかり暗くなっており、空には満点の星空が広がっていた。
ふらふらと目的の場所もなく屋敷の中を歩いていく。今はパーティーの真っ最中で、屋敷の中には人影があまり見当たらない。
中庭に続く外通路を歩いていると丁度そこが月明かりに照らされていて、庭園と空が良く見えた。
立ち止まって、月に照らされながら、僕は夜空の星々を目に焼きつける。
「…僕も星になりたい」
無意識に出た言葉は確かに自分自身の願いでもあった。
「そんな所で何をしているのかな?」
夢中になって星を見つめていると、通路の奥の方から声をかけられて僕はゆっくりとそちらに顔を向けた。
ゆったりと暗がりからこちらへと歩いてくるその人の姿が月明かりに照らされて段々と浮かび上がってくる。
銀糸を溶かしたような美しい髪に金色の瞳、見たこともないほどに精巧に整った顔はなんの感情も映してはいなかった。
ただ、やけに感情のこもっていない作られた笑みだけが彼の顔に貼り付けられていて、美しい彼にそれは勿体ないと思ってしまう。
彼がもしきちんと笑みを浮かべたならば、どれ程に素敵なことだろうと、初対面の相手にそんなことを思うなんて、酷く自分が図に乗っているように感じて拳を握りしめた。
「星を見ていたのです」
みっともなく掠れた声が喉から出る。
それが恥ずかしくて、微かに俯いた。
「楽しいかい?」
「…えぇ…とても」
暗いやつだと思われただろうか。
この人が美しすぎるからだろうか…そんな風に思われることが嫌だと思う。
「星が好き?」
質問攻めしてくる彼に内心で首を傾げつつ、小さく頷いた。
彼の金色の瞳に見つめられると、なんだが落ち着かない気分にさせられる。
きっと彼は天人 だと、その時思った。
花人の匂いに惹き付けられる人のことを天人と呼ぶ。
天人は産まれながらに高い潜在能力を秘めていると言われており、高い地位にいる者はほとんどが天人だ。彼らは唯一、花人の開花期を抑えることの出来る人間であり、開花期に花人が天人に項を噛まれると契約関係の様なものが成立しその2人は永遠に離れられない存在になるのだそうだ。
また花人が天人の子を産むとほとんどの確率で天人が産まれることが分かっており、花人が重要視されるのはそういった面も関係している。
そんな花人と天人には狂花 と呼ばれる現象がごく稀に起きることがある。
狂花が起きた花人と天人は普通のそれよりも深くお互いを求め合う唯一無二の存在になれるらしいけれど、そんなものは夢物語だと笑う人がほとんどだろう。
僕は目の前のその人の足元を見つめながら、震える自分の体に手を添えた。
何故か酷くこの人が怖いんだ。
「僕は…星が好きです…。あんな風に僕も輝ける人間になりたい…」
「そう。けれど、そんなに震えていては折角の君の輝きも失われてしまう」
彼はそう言って僕の肩に優しく手を置いた。
それに反応して顔を上げると、先程とは何処か違う優しげな笑みが目に飛び込んでくる。
ドキリと何故か胸の鼓動が一際大きく波打った。
「名前を教えて欲しいな」
「…ぼ、僕は……」
何故そうしたのかは分からない。
けれどどうしてだか自分の名前を彼に知られることが酷く恥ずかしく思えたんだ。
こんな酷い格好で、震える僕の姿を彼に覚えられることが悲しく思えたんだ。
だから僕は嘘をついた。
「…アデレード……アデレード=ロペス…です」
「…君がロペス公爵家の一人息子?確か花人の…」
1人息子という言葉に胸が痛んだけれど、それに気付かないふりをして僕は頷いた。
「そうか君が…。私は今、この屋敷に来たばかりなのだけれど迷ってしまってね。今日は君に会いに来たんだよ」
「…僕に?」
それはつまりアデレード兄さんに会いに来たということだろう…。
彼は今婚約者を探し回っているから。
僕は今アデレード兄さんの服を着ているからみすぼらしくてもそこそこの家の人間に見えるのかもしれない。
「私はそろそろ帰らなければならない。君にも会えたことだし、従者が探しているかもしれないからね」
「…お気を、付けて」
「ありがとう」
彼はそう言ってまた僕に微笑んでくれた。
先程の作られた笑みではなくて、僕が見てみたいと思った本当の綺麗な笑顔だ。
それが嬉しくて彼に小さく笑顔を向けると、おもむろに彼は僕の片手を取って、目の前に片膝を着くと、僕の手の甲に1つキスを落とした。
まるでおとぎ話に出てくる王子様のように、月明かりに照らされた彼は美しくてかっこいい。
彼に触れられたところからじわじわと例えようもない熱が溢れてきて、なぜだか全身にその熱が伝染していくような感じがした。
僕は酷く火照った身体のせいか潤んでいるだろう瞳で、自分のことを見上げている彼の顔を見つめる。
「私の大輪の花に心からの祝福を」
聞き心地のいい柔らかな声が僕の全身に染み渡る。
そっと離された手から彼の熱が消えることが切なく感じて思わず自分の手をきつく握りしめた。
「また会おう」
「あっ、まって!」
小さな僕の声は彼に届かなくて、彼はどんどんと来た通路を戻って行ってしまう。
その後ろ姿を見つめながら、名前すら聞けなかったと後悔した。
初めてあったはずなのに、酷く心を揺さぶられる感覚。
あんな素敵な人には一生会うことは出来ないだろうこともわかっていた。
それに彼は、アデレード兄さんに会いに来たのだ…。
本当はアデレード兄さんが貰うはずだった祝福も何もかも、僕が奪ってしまった。
それに罪悪感を感じて僕は唇を噛み締めた。
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