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10.対面
彼の姿を目に焼き付けると、また僕は1つ頬に涙を流した。
「…どうして…」
どうして彼がここに居るのだろう。
思わずラナやラセットさんの顔を見るけど、誰も何も教えてくれる気配はなくて、直ぐに彼へと視線を戻した。
疑問は声にはならなくて、ただもう一度会いたいとずっと思っていた彼のことを見つめることしか出来ない。
確かに彼はあの月に照らされた夜にまた会おうと言ってくれたけれど、それはきっと叶わない口約束のようなものだと思っていた。
いざそれが現実になると、思考は追いつかず、会えた嬉しさと、彼が今この場所に立っていることへの疑問で頭の中は埋め尽くされてしまう。
「…泣いているのかい?」
優しい声だった。
ただひたすらに僕を気遣うような声に、涙は少しずつ止まって、彼の声を聞いて姿を見るだけで段々と心が落ち着いてくる気がした。
彼が居るからもう安心できるって何故か安堵して、ただじっと、それからは言葉も発せないまま彼を見つめ続ける。
「隣に座っても?」
彼の言葉に頷けば、彼は僕の隣の空いた椅子に足を組んで腰掛けて、それから当然のように僕の肩に腕を回してきた。
そんなことにすら何故だかドキドキしてしまって動悸がする気がする。
爽やかでいてとても甘く柔らかな香りが彼から漂ってきて、彼の美しさも相まってかとてもくらくらしてしまう。
「ど、どうして…ここにいるんですか…」
「それよりも先に、どうして泣いていたのか教えて欲しい」
未だ微かに頬を流れる涙を彼が人差し指で掬って、それにカーッと顔を赤くする。
「…ただ…不安で」
「なにが不安?」
「皆優しいから…嫌われたくないなって…」
彼の前だと何故かすらすらと思っていることを口にすることが出来て、とてもリラックス出来る。あのパーティーの夜も彼にはなんでも話せる気がしていた。
「嫌われるようなことでもしたのかい?」
前みたいにやっぱり彼は僕にずっと質問しながら、ただ僕の話に耳を傾けてくれる。心地よくて安心して、いい匂いに包まれながら、だらだらと思いの丈を声に出した。
「…とても許されないような嘘をついたから…皇帝陛下は僕のことを嫌って、この離れに僕を住まわせているんです」
「…そうなのか……皇帝陛下に会いたいとは思わない?」
「…会いたくない」
ぽつりと出た言葉は、皇帝陛下をただただ拒否する言葉だった。
僕の言葉を聞いた彼は微かに驚いた表情を浮かべると、またすぐに柔らかな笑みを浮かべ直して、どうして?と尋ねて来た。
僕はそれに対してどう答えるのが正しいのか迷ってしまう。
そもそも彼は誰なのだろう…。
城内にいるということは、関係者なのだろうか。だとすれば、この話が皇帝陛下の耳に届いてしまわないだろうか…。
「…あの…このことは…」
「誰にも言わない。ラナもラセットも何も聞こえていないと思うよ」
僕たちのことをただ心配そうに見つめている2人にはきっと話は丸聞こえのはずなのに、彼が2人に視線を向けると、2人は1度だけ頷いてくれて、それを見て僕はほっと息を吐き出した。
「ほら、大丈夫だから、皇帝陛下に会いたくない理由を話してみてよ」
彼に促されて、僕はゆっくりと心の声を吐露する。
「…自分のことを嫌っている人に好かれる努力をするのは…、随分昔に辞めてしまったから…」
そうだ…。
まだ10歳の時から、今までの6年間で僕は嫌という程にそれを実感していた。
自分のことを嫌っている人に好きになってもらうことの難しさと、そんな努力をすることの意味のなさ。それはあの広いようで狭い、監獄のような公爵家で学んだ唯一のことのようにも思えた。
僕の返答に彼は綺麗な形の眉を寄せて、何故だか悲しそうな、複雑な表情を浮かべた。
その表情を見て、やっぱり不味いことを言ってしまったと反省する。
「…ご、ごめんなさい…。皇帝陛下には言わないでください…どうせ、その内、ここから追い出されるから…それまでは」
「…え…ここを出ていく気なのか?」
「…僕はそんなこと自分では決められません…ただ、皇帝陛下が、僕のことをお嫌いならそうなるかなって」
無理に笑顔を作って言えば、彼はやっぱり複雑そうな顔をして僕のことを見つめていた。まるで、困り果ててどうしたらいいのか分からないって感じだ。
困らせてしまっただろうか…。
トパーズやアンバーを閉じ込めたかのように輝く彼の瞳を僕も見つめ返して、ただじっとお互いに見つめ合う。
互いが互いの思いを探り当てるように、ひたすらに視線を交換して、ただ僕達は黙ったまま数秒、いや数分にも感じる長い時間見つめ合っていた。
「仮に皇帝陛下が君のことを嫌っていたとして、君は皇帝陛下の事が嫌いなのかな」
先に沈黙を破ったのは彼だった。
視線はそのままに、また彼の口から紡がれた問に僕は緩く首を横に振った。
会ったこともない皇帝陛下のことを嫌いになれるはずもなく、ましてや好きかと言われればそうは思わない。
けれど、皇帝陛下は僕を見たくないと突っぱねはしても、出て行けと寒空の下に追いやることはしなかった。
暖かな食事と寝床を与えてくれたし、優しい使用人の人達と出会うことも出来た。
素敵な薔薇の庭園でお菓子を食べて、上等な服を着ることを許してくれている。
だから、嫌いかと問われれば嫌いではない。
好きかと問われればやっぱりそれも違うと思う。
ただ、感謝していた。
恩は一生かかっても返せないだろうと思う程には、本当にただひたすら感謝の念しかなかった。
「嫌いでも、好きでもないです…ただ、感謝の意を伝えたいとは思います。こんな僕を今生かしてくれていることに本当になんとお礼を言っていいかも分からない程に感謝しています」
「そうか」
彼は僕の言葉を聞いて、ただ微笑んだだけだった。
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