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9.地獄から天国へ
約束通りラナは僕を薔薇庭園に連れて行ってくれるみたいで、護衛騎士のラセットさんとラナと僕の3人で庭園まで来ていた。
少し歩くから今日はフリルは少なめの動きやすい服装に着替えさせられている。
メイドの子達は僕の着せ替えをするのが好きみたいで今日も着替えの時にどの服を着せるかで揉めていて結局僕が選ぶことになった。
今日も銀色に金刺繍の入った衣装を選んでしまってみんなに微笑ましい目で見られてしまった。
襟に細やかな蔓の様な刺繍の施された銀色のジャケットをシャツの上から羽織って下は歩きやすいようにショート丈の同色のパンツと膝下までのソックスとブーツを履いている。
ここに来てからずっと、美味しい食事に温かくて美しい衣装を与えてもらっていることに申し訳なさと自分なんかにっていう勿体なさを感じているけれど、それを口にするとラナに自信を持ってと怒られてしまうから言わないようにしていた。
「綺麗だねっ」
薔薇庭園の中はどこもかしこも色とりどりの大輪の薔薇が咲き誇っていてとても綺麗だ。
公爵家にも薔薇はあったけれど、ここまで見事な物は見たことがなくてとても驚いた。
「リュカ様こちらをどうぞ」
ラセットさんが何束か薔薇を摘んでくれて僕に手渡してくれる。
それを受け取ると、そっと花の香りを確かめてみた。
「いい香り…それに本当に綺麗だ」
定番の赤からピンク、白、薄い緑色の物まであって、こうして花束にするととても豪華で美しい。
「部屋に飾ってもいいかな?」
ラナに尋ねると、頷いてくれて花束をラナが優しく僕から受け取って他のメイドさんに生けるように指示してくれた。
「あちらにガゼボがありますから、そちらで休憩に致しましょう。甘いお茶菓子を用意しております」
「…いいの?」
「ええ、もちろですよ。リュカ様はまだ病み上がりなのですから休憩も取らなければ体が持ちませんよ」
「…うんっ」
ラナとラセットさんが僕をガゼボまで誘導してくれて、そこに設置された椅子に腰掛ける。
目の前のテーブルには既に美味しそうな香りのするお菓子が用意してあって、ラナが紅茶を入れてくれて僕の目の前に置いてくれた。
贅沢に砂糖でコーティングされた茶菓子は太陽の光を浴びてキラキラと輝いていて、食べるのが勿体ないくらい可愛くて綺麗だ。
まるで宝石みたいだなって思ってしまって中々手が出せない。
こんなに素敵なものを僕なんかが口に入れていいのかな…。
「…お気に召しませんでしたか?それともお加減でも悪いのですか?」
なかなか手を付けようとしない僕にラナが心配そうに聞いてきて、慌てて首を振って違うと答えた。
「では、どうされたのですか?」
「……僕なんかが食べていいのか分からなくて…」
つい本音を打ち明けると、ラナは大きく目を見開いて眉を寄せたまま黙り込んでしまった。
まるで僕に何と声をかけるか迷っているみたいにも見える。
「……こんなこと言ってごめんなさい…。あの、頂きます…」
そっと、ルビィのように美しい光沢のあるジャムが乗ったクッキーを手に取って口に入れた。
ゆっくりと味わうよう口を動かして、数秒後それを飲み込む。今まで味わう機会のなかった砂糖のたっぷりと使われたお菓子はとても美味しいはずなのに、何故だか甘すぎて僕には耐えられないと思ってしまう。
ぽろりと涙がこぼれて、昨日から泣いてばかりだと自分を叱責する。
こんなに泣き虫じゃ無かったはずなのに…。
甘く口の中でほろりと崩れるクッキーを泣きながら食べる僕の背中をラナが心配してさすってくれた。
「無理をして食べてはいけません…。食べたくなければ申し付けて頂いて構いません」
「ちがうっ…美味しくて…僕…っ…こんなに幸せを沢山もらっていいのかなって……こんなに甘やかされていいのかなって思って…だって僕は…嘘をついてここにいるのに…っ」
「…リュカ様…」
ラナがハンカチで僕の涙を拭いてくれるけどそれでも僕はただひたすら泣き続ける。
地獄から急に天国へと行ったような環境の変化に心が追いつけていないように感じた。
ずっと孤独だったと思う。
母親の顔さえ知らず、他の血の繋がった家族にすら虐げられていた僕は、きっと、ずっとこのまま孤独だと思っていた。
アデレード兄さんの身代わりとして公爵家を出る時に、シュヴェエトに行っても何も変わらないと期待すらしていなかった。
実際に皇帝陛下には嫌われてしまっているし、僕だって嘘をついてこの国に来たのだからそれが当たり前の反応だって納得していたんだ。
それなのに、ラナや他のメイドさん達、ラセットさんや料理長、たったほんの少しの間に沢山の人が僕を温かく迎え入れてくれたから、一人で生きていくと覚悟していた心が揺らいでしまった。
「…ラナっ…僕は…怖い…」
お菓子を持つ手が震えて、ラナがそっと僕の手からそれを受け取ると皿に置いてくれた。
「何が怖いのですか?」
「…っ、皆が優しくしてくれるから…もしも嫌われてしまったらどうしようって怖いんだ…」
「心配しなくても誰もリュカ様を嫌ったりなどしません」
「でもっ…皇帝陛下は僕のこと嫌ってる…だからそのうちここを出てどこか遠くに行かないと行けなくなるかもしれないでしょ…」
「それは…」
顔をぐちゃぐちゃにして半ば悲鳴のように言葉を吐き出せば、その言葉に自分自身が深く傷ついて苦しくなった。
ただ、誰かに愛して欲しいと願っていた。
夜空の星のようにキラキラと光り輝いて、誰かの一番星になれたならどんなに素敵なことだろうって思っていたんだ。
寝ていた期間も含めて4日と少しをこの離宮で過ごすうちに、皆にもっと好かれたいって欲が出た。
けれど、このぬるま湯のように心地のいい場所が与えてくれる全ては本当はアデレード兄さんが貰うはずだったもので、いつかそれら全て僕の手からこぼれ落ちてしまう。
それがこんなにも辛いと思ってしまう。
こんなことならやっぱり最初から何も要らないと突っぱねてしまえばよかったんだ。
「なんの騒ぎだ?」
苦しくて苦しくて窒息してしまいそうな僕の心の中にふと、甘くて柔らかな風が吹いた気がした。
聞き覚えのある声が耳に届いて、僕はゆっくりと濡れた瞳を声のした方へと向けたんだ。
風に揺れる、銀糸を溶かしたような美しい髪と金色の瞳が目に止まった。
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