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12.選択の理由
まるで月のように美しくて優しい目の前の彼の暖かい手のひらに触れられると、すごく安心して、身を任せることができるような気がしてくる。
「ねえ、君の本当の名前を教えてくれないかい」
唇が届きそうな距離で尋ねてくる彼のことを直視出来なくて、彼を見ないように視線を逸らしながら、固定されて身体を引くことも出来ず、動かしたら当たりそうな距離感のままで僕は自分の名前を口にした。
「…リュカ…」
「リュカ…こっちを見て」
手で彼を見るように促されて、羞恥心に駆られながらも彼に視線を戻すと、その瞬間また呼吸を奪われて彼の薄くて柔らかいしっとりした唇が僕の唇を飲み込む。
「…まっ、て…」
とんとんと彼の胸に手を当てて抗議してみるも、全く抵抗にもならないのか、楽しげに目を細めた彼が僕の開いた口の中へと舌を滑り込ませてきた。
ダイレクトに耳に届く水音と僕の余裕のない息遣い。それとは逆に余裕たっぷりの彼。
こんな経験が初めての僕は、どんどんとなくなる酸素を求めて必死に口を動かすけれど、上手く取り込めずにクラりと目眩がした。逃げるように腰を引けば彼がしっかりと片手でそれを阻止して、優しく溶かすように下唇や上顎を舐められる。
酸欠のせいか脳が麻痺する感覚と少しずつ増す快感に僕は顔を赤くして、ただされるがまま力の抜けた手で彼のシワひとつない服を握りしめることしか出来ない。
「…可愛い…私のリュカ」
「も、やだっ…」
涙目で訴えれば、彼が小さく笑って僕から唇を離してくれた。くたりと体から力が抜けて目の前の彼の鍛えられた胸板に体を預ける。
恐れ多いだとかそんなことを考えてる余裕なんてなくて、ただ、この綺麗な男性 から与えられる未知の感覚に酔いしれることしか出来ない。
「アデルバードと呼んでくれ」
「…ア、デル…バード様?」
途切れ途切れに名前を呼べば、アデルバード様は感極まったように力の抜けた僕を力強く抱きしめてくれて、その少しの息苦しさにすら、無意識のうちに幸せだと感じた。
どうして彼が僕と結婚したいと思ったのかも分からないけれど、それでもあの日から忘れられなかった彼とこうしてまた再会出来たことに僕は喜びを感じていた。
此処に来る前は絶望しか感じなかった身代わりの花嫁役に、今は少しだけ希望を抱いている。
でも…少し怖くもあるんだ。
「…アデルバード様…」
彼の背中に腕を回して僕も出来る限り強く強く抱きしめた。
もしも……、
もしも彼がいつか僕に飽きてしまったらどうしよう…。
彼の今の気持ちがただの一過性の熱だとしたら、彼に触れられる喜びを知ってしまった自分はどうするのだろう。
そんな重い気持ちが溢れて止まらなくて、婚姻を結んでいない今のうちに彼から離れた方がいいのではないかとすら思ってしまう。
人との関わり方が分からない僕には、この距離感が正しいものなのかも分からず、歳だけを重ねた子供のように、人から与えられる物をただ嬉しいと喜ぶことしか出来ないのだ。
それが不安で仕方ない。
アデルバード様が僕にこの短い期間で与えてくれた沢山の物のように、僕も彼に何かを与えられればいいのに…。
そうしたらこの不安も少しは消えてくれるのだろうか。
……ダメだ、と思った。
こんな身勝手な気持ち…伝えられるはずないじゃないかって…。
だってまるで自分の不安を取り除くために彼になにかしてあげたいみたいじゃないか…。
そんなの違う。
自分で自問自答して、彼に顔を見られないように胸に顔を埋めて唇を噛み締める。
壊れ物を扱うみたいに髪を撫でられて、どうして彼はこんなにも優しいのだろうってふと疑問に思った。
一国の皇帝が、僕みたいな不細工でなんの取り柄もない、未だ開花期すら訪れていない出来損ないの花人なんかに、どうしてこんなにも色々なものを与えてくれるのだろう。
「…アデルバード様は…どうして僕のことを選んだんですか…」
つい出た疑問に彼の手がピタリと止まった。
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