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運命のつがいと初恋 第二章 ①
「凛子、いってきますは?」
「いっきましゅ」
「はい、いってらっしゃい。りんちゃんたっち」
凛子はブルーのスモックを握っていた手を、陽向に向けて開いた。
小さい手をにちょんとタッチすると、凛子はじっと陽向を見たあと東園と手を繋いだ。
今日も泣かないっ。
思わず声を出しそうになり東園を見ると、東園も目を瞬かせて凛子を見ていた。
東園と凛子が迎えの車に乗り込むと、陽向はふっと息をつく。
朝、二人の準備が終わり出て行ってしまうと、それまでの慌ただしさが嘘のように家はテレビからの音だけになる。
リビングに戻った陽向はもうすぐ家政婦の三浦百合 が来る時間だな、と思いながら小花柄の皿に残ったリンゴをひょいと摘まみかじった。
お行儀が悪い自覚はあるけど、凛子がいないうちだけだからと自分に言い訳をする。
三浦は東園家に長く務めている家政婦で、東園が小さい頃から世話になっていたという。東園の両親が海外へ長期滞在するタイミングで休暇を貰っていたそうだが、東園がこちらで暮らすというので、この家での家政婦業を買ってでたそうだ。
陽向がここに来るまでは早朝7時前には来ていたというから驚きだった。元は住み込みだったそうで、苦ではなかったらしい。
陽向の仕事は、朝、凛子と東園を起こし朝食を準備し、凛子の身支度を手伝い東園と凛子を送り出し、午後、凛子が帰ってきたら一緒に過ごすことだ。凛子が出掛けない日は常に一緒にいるようにしている。
東園家に入って一週間ほど経った頃、東園が凛子の幼稚園を決めたと言ってきた。
実際、次の四月から年少の年なので、そろそろ決めなくてはならない時期ではあるが全く相談がなかったので寝耳に水だった。だって、陽向はついこの間まで幼稚園で働いていたのだ、園の選び方とか相談されるものだとばかり思っていたから。
どんな幼稚園か聞いてみると、自分が通っていた幼稚園で職場から目と鼻の先だという。出身校が近くにあるのになぜ陽向のいた園を見学に来たんだ、冷やかしか、と睨んだら、色んな園を見て決めたかったと東園は苦笑いで言っていた。
今、凛子は慣らしで週二、登園しているのだが、東園の職場の近くなので行きは東園が、帰りは三浦が送迎している。
本当なら陽向が行くべきだが免許を持っていないので、迎えは三浦が担当し、その間の家事は陽向が担当している。
一人暮らしはしていたが家事を真剣にしたことがない陽向にとって、一から十まで丁寧に教えてくれる三浦はありがたい存在だ。
しかも、東園家に二台ある外車をどちらも運転出来るときている。
陽向は免許があったとしても怖くて運転できそうにないから三浦を心から尊敬している。しかし、免許は持っていた方がいいのかなと思う。自力で遠くまで行けるのはちょっと羨ましい。
食器を食洗機に入れて稼働させ、凛子の部屋の片付けに向かう。
二階には五部屋あり、凛子の部屋は東園の隣だ。
コーラルピンク地に刺繍のマーガレットが散ったカーテンをまとめ窓を開く。
十二月の風は冷たく、陽向はもこもこパーカーの前を閉めた。
ベッドは幼児用ではなくダブルベッド。枕もシーツ、ベッドカバーに至るまでコーラルピンク地に花柄で女の子が好みそうな可愛らしいベッドに仕上がっている。
最初見たとき、さすがに大きすぎないかなと思ったけれど、凛子が寝るとき必ず絵本を読んでほしがるので一緒に寝転んで読み聞かせるにはちょうどいい。きっと高価なベッドなのだろう、身体を横たえたときの沈み具合が絶妙だ。だからつい読んでいる間に一緒に寝てしまう、そこが唯一の欠点かもしれない。
掛け布団、枕を整えて、昨晩読んだ絵本を本棚に片付ける。
作り付けの本棚に絵本や児童書がずらっと並べてある。おもちゃもラックや子供用タンスの上のコンテナにぎっしり詰まっている。
凛子の部屋が終わると陽向が借りている部屋も整える。
東園の部屋は掃除しなくていいとのことなので通り過ぎ、凛子のパジャマを洗濯籠に入れる。洗濯は三浦の仕事だそうだ。そろそろかなと思ったら玄関チャイムが鳴り三浦が到着した。
「おはようございます」
「おはようございます。陽向さん、コーヒーでもいかがですか?」
「ありがとうございます、頂きます」
到着するなりキッチンに入った三浦はソファでニュースを見ていた陽向に声を掛ける。
「そうそう、昨日のパウンドケーキもありますよ」
「あ、朝しっかり食べちゃったからコーヒーだけで大丈夫です」
三浦は家政婦というより近い親戚のようで、来てまず陽向と一緒にコーヒーを飲む。
二人でニュースの話題や晩の凛子や東園の様子など他愛のない話をするのが日々のルーティンだ。陽向にとっては他愛ない話でも三浦には大切なことのようで、陽向の話で晩ご飯のメニューを決めることもあると言っていた。
「そういえば今日もりんちゃん泣かなかったんですよ」
「あらあ、すごいですね。だいぶ慣れてきたのかしら」
「昨日寝るときにみか先生がいるといいなって言ってました。みか先生って若い先生って言ってましたよね?」
「そうそう、陽向さん達より二、三歳下かしら。私をおばあちゃんと間違えた先生よ」
うふふと三浦が笑う。
慣らしも今日で五回目だ、最初泣いて行きたくないと玄関でぐずり陽向から離れなかった凛子だが前回から泣かず家を出られるようになった。
行きは東園担当だがあんまり泣くと大変だろうと思い陽向もついて行こうかと提案したのだが、玄関で泣く凛子は車から東園と幼稚園に入るときは泣かず、お利口にしているらしい。東園が陽向が行くと多分泣くだろう、と言うので心配だが陽向は玄関までだ。
三浦はお迎えの時、いろいろと園の情報を収集してきてくれるので陽向も凛子の話を理解しやすく本当にありがたい。
「みか先生、なかなかやりますね。どんな接し方されているか見てみたいです」
「このまま凛子ちゃんの担任になってくれるといいんですけど、そうしたら陽向さんも保護者会で会えるかもしれないですよね」
身内でもないのに保護者会に出席するのはどうだろうと苦笑いする。
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