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③
たった数週間とはいえ、郵便は結構溜まっているだろうなと思う。
また、変な手紙が入っているかもしれない。
近づくにつれ気が重く足取りも重くなる。
放っておけるならそうしたいけれど、郵便受けがあふれていたら目立ってしまうし、公共の場が自分のせいで見目が悪くなるのは申し訳ない。
自宅マンション前は特に変わりなく、オートロックの操作盤に数字を入力し自動ドアを開く。
管理人室のガラス窓前にある、忘れ物ボックスも中身が変わっていない。
自動ドアそばの、部屋数分がずらっと並ぶ郵便受けの前に立ち、自分の部屋のボックスを見る。
良かった、上の隙間から少しチラシの角がはみ出しているが、溢れて散らかってはいない。
回転式のキーを回し開錠した陽向は慎重にシルバーに光る扉を開く。
スペースの上までチラシ等が溜まっていて、頻度としては今回くらい、だいたい三週間に一度は郵便の確認をした方が良さそうだなと思う。
不審なものはないかなとなぜか息を止めて確認したが、チラシとDMだけで危険物はなかった。
ほっとして肩の力が抜けていく。
以前もそう頻繁にコトが起きるわけではなかったが、ようやく犯人も自分の行いを振り返ったのかもしれない。もしくは陽向以外の攻撃対象を見つけたのか。前者だったらいいなと思いながら郵便を抱え部屋へ向かった。
最後に訪れたときと変わりのない部屋でまたほっとする。
なにかの位置が変わっていたりしたら怪談が苦手な陽向の心臓は飛び出していただろう。
すべての窓を開いて空気を入れ換える。
その間に郵便をチェックしたがやはりほとんどチラシだったのでゴミ袋に突っ込んだ。
冷蔵庫は東園家に行くとき一応すべて片付けたからビールの缶が二本入っているだけだ。
掃除機を掛け、水回りを確認し、ほかにやっとくことはないかなと思いながら窓を閉めベッドを背に座る。
「はー、我が家だ」
1LDKのコンパクトな空間。
ベッド、テレビラックとテーブル等、必要最低限で定員オーバーな部屋だがやっぱり自分の家はリラックスする。くるりと回転し今度はベッドに腕を伸ばした。羽毛布団に顔を埋めると「あーきもちー」と心の声が漏れる。
どうしてこんなに落ち着くんだろう、東園家との違いは狭さと無臭さかなと思う。東園の家は当然東園の匂いに溢れている。
最近は昔ほど嫌じゃなく却っていい匂いかもと思っている。
それは多分、東園、凛子との生活の中で東園の人となりがだいぶ見えてきたからだ。
浮ついたところのない穏やかな家庭人で、昔と違ってΩを差別など陽向の琴線をはじいてくるような発言もない。根本のところでΩを気持ち悪く思っている人は、小さな、本当に小さな言葉の選び方や声のかけ方でどうしても分かってしまうのだ。陽向がΩだと知らなくても。その陽向に分からないのだから東園の中でΩに対する考え方や感情が変わったのかもしれない。
当人がフラットだと分かれば警戒する必要がなくなり、匂いを吸い込んでもまあ大丈夫かと思えてくる。
東園のそばで日常的に過ごしていると匂いが深く体内に入ってきて、あのよく分からない恐ろしさは消え、独特の濃さがある甘苦い香りだな位の感想しか今はない。だけど、たまにはこの狭い部屋で過ごすのもいいかもしれない。
寒い部屋なのに顔を布団に埋もれさせているとゆっくり目蓋が落ちてくる。
寝ちゃ駄目、風邪引いちゃうと思いながら忍び寄る睡魔に身を任せていると、テーブルに置いたスマホが震え始めた。
腕を伸ばしてスマホを見ると東園からの着信だった。
「もしもし、どうしたの?」
「今どこにいるんだ? さっきメッセージしたんだけど全然見てくれないから」
慌ててスマホのメッセージを確認する。確かに三十分前に病院はどうだったとメッセージが入っていた。
「あ、ごめん。部屋の窓開けたりしてて。病院は特に問題なし。今まで通りの薬を貰ってきた」
「そうか、それは良かった。で、部屋って今、マンションにいるのか? とうとう片付ける気になったか」
とうとうって。東園の言う片付けは引っ越し作業のことだ。電話の向こうには見えてないけれど首を振りながら違う、空気の入れ換えだけ、と応えた。
「迎え行くからそこにいろよ」
「ん? 馨、まだ仕事だよね?」
馨と呼びかけるのにもすっかり慣れた。
東園と東園の姉の子である凛子は当然ながら名字が違う。凛子の今後についてはまだどうなるのか分からない状態なので、混乱を避けるため下の名前で呼んでくれないか、とお願いされた。
「今日は早く帰れたんだ。下で待っててくれ」
「え、……うん分かった。ありがとう」
迎えに来なくていいよ、と言っても東園は譲らない。この数週間でそういう性格だとよく分かったので、好意は受け取る事にしている。
うとうとしている場合じゃない。うーんと伸びをして陽向は立ち上がった。小さなクローゼットからダウンを引っ張り出し、もう一度戸締まりを確認した。
マンションの下で待っていると見慣れた黒いセダン車が目の前で停まった。運転席の東園が窓を開け「乗って」と言うので助手席に乗り込む。
今朝見た東園はスーツだったけれどグレーのセーターと黒いジャケットに着替えている。
車内のデジタル時計は一七時半。
随分早く帰ってこれたんだなと思う。今までで一番早い帰宅だ。
「ありがとう。今日早かったんだね」
「ああ、凛子も帰っているよ。検診次はいつ?」
「そうだよね、りんちゃんお家の時間だよね。お土産でも買って帰るかな。えーと検診ね、次はええと、」
確か三月の一週目の土曜日にしたはずだ。スマホに予定を書き込んだので間違いないか確認する。よし、記憶力大丈夫。
「三月四日の土曜日だよ。あ、りんちゃんは今、三浦さんと一緒?」
「ああ、俺たちが帰るまでいてくれるそうだ。次は三月な。で、検診結果は良好だったんだよな」
陽向をちらりと見たあと東園はまた前方へ視線を戻す。
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