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 夕食後にクリスマスツリーの点灯式が行われた。  飾り付けのお手伝いをした凛子はすぐに点灯してもらえるとわくわくして待っていたのだが、東園に捕まり泣きながら風呂を終えて今、陽向の膝にいる。  右手はピンクの肌触りのよい生地のパジャマのお腹辺りを掴み、左手に猫のぬいぐるみを抱き、凛子は固唾を飲んで見守っている。  リビングを暗くしたあと、東園が電源を入れた。  赤、黄、緑、青、白の電球が代わる代わる点き、暗い部屋にツリーの輪郭が浮かぶ。     凛子はきゃあと叫び、陽向の膝から飛び降りツリーに近付き眺め始めた。  それを見ていた東園も嬉しそうにしていて勧めて良かったなぁと思う。  ほどなくリビングを明るくしたのだが、飾り付けを手伝った凛子はクリスマスツリーのそばを離れたくないらしく、今日の絵本はリビングで、ねずみの二人組の家にサンタクロースが訪ねてくる話にした。  ソファで寝てしまった凛子を東園が抱え寝室へ運ぶのを見送って、陽向はコーヒーを二杯分淹れ始めた。  そういえばショッピングモールで東園の欲しいものもリサーチしようと思っていたのだが、出来なかった。凛子が寝てしまい早めに帰宅することになったのでしょうがない。  この暮らしをみると、必要なものは揃っていそうだから実際なんでもいいのかもしれない。  カラフルなライトが点灯しているツリーをぼんやり見ながらクリスマスが終わったら正月が来るなと思う。  今まで冬休み保育と園の掃除、自宅の掃除など年末は忙しくしていて、帰省は大晦日の夜から一月二日までだったのだけど、今回はどうしようか。  もしかしたら、東園達は両親のいる外国……そういえば国名を聞いていなかった、いや聞いて覚えていないだけかもしれない……に帰省、というのか、会いに行くのかもしれない。  東園と凛子がいないのなら、陽向がここにいる必要はないので帰省を早めてもいいなと思う。その話もしないと、と考えていたらタイミング良く東園が降りてきた。 「ねえねえ、コーヒーでもどうぞ」  手招きすると東園は欠伸混じりに「ありがとう」と応え陽向の対面に座った。 「絵本の朗読聞いてると毎回ちゃんと眠くなるの、何でだろうな」  コーヒーカップを持ち上げた東園が微笑む。真正面から見ると整った顔をしているなと毎回きっちり思う。 「まだ寝ないで欲しいんだけど、ちょっと聞いておきたいことがあって」 「ん、何?」  眠たげな目が急に締まりじっと陽向を見つめる。  美形に間近で見られると心臓に悪い。しかも聞きにくいことを聞こうとしているのでなんとなく居心地が悪い。 「えーと、りんちゃんのお母さんのことなんだけど」  東園が微妙に首をかしげる。 「その、幼稚園ってお迎えにお母さんが来る事が多いから、りんちゃんに自分のお母さんの事を今後聞かれる可能性があるかなって思って。もし聞かれたらどんな風に答えたらいいのか、聞いていた方がいいかなって思って。立ち入ったことだとは思ったんだけど」  トレーナーの袖口をいじりながらもごもご言う陽向に、東園は「立ち入ってくれて構わないよ」と少し笑った。 「そうだな。姉の事から話そうか。姉は今、うちの別荘で療養中だ。絵に描いたような優等生だよ。小さな頃から学業優秀、容姿端麗、しかも優しい心根の持ち主だ。弟の俺とけんかになったこともなかったな。大学卒業と同時に結婚したけど」 「結婚相手がダメダメだったの?」  真剣に聞いたのに吹き出した東園を睨む。 「ダメダメか、そうだな、ダメダメなのかな。姉はαで、相手は大病院の跡取り、彼もαだ。結婚後、しばらく子が出来なかった。別に急がなくても、と俺は思うけれど相手サイドはそう思っていなかったみたいで、プレッシャーもあったんだろうと思う。俺に愚痴をこぼすようなことはなかったけど。凛子が出来て、それはもう両家でお祭り騒ぎだったよ。無事生まれて、姉も彼も本当に幸せそうだったんだ。凛子の性別がβと分かるまでは」 「りんちゃん、βなんだ」  東園は頷く。 「……一般的にαとαでβは出来にくいと言われているだろ」  え、と思う。それって、凛子が両親の子ではないということか。 「で、出来にくいって言っても確か絶対じゃないよね。それに赤ちゃんは性別がちゃんと出ないこともあるって聞くしっ」 「そうなんだ。冷静に考えたらβが産まれても可笑しくないし、検査自体も早期過ぎて正確さにかける。でも姉はまず、βと浮気したんじゃないのかと疑われたんだ」  浮気と聞いてぎょっとする。  現実に恋愛の経験がない陽向には浮気など物語上の話でしかなく、仲の良い友人からもそんな大それた事をした、されたなどの話題を振られた事もない。驚く事しか出来ない自分が少々情けないが陽向はしばらく口を開けたままただ東園を見ていた。 「そんな、そんな事……、そんな事ない、んでしょ? 無実なのに疑われたらお姉さん可哀想だよ」  ようやく喋りだした陽向に、東園がゆっくりと頷いてみせた。 「勿論。そういう人じゃない。ただ、今まで優秀で他人に疑われるような経験がそうない人間だったから、心が折れてしまったんだ。うちの母が手伝いに行っていたときだったのが幸いだったんだが、突然凛子を抱けなくなった。凛子の声を聞くと、姿を見ると、吐き気が止まらなくなって。とにかく二人を一緒にさせておけない状況だったから凛子はうちの母が一時的に引き取ったんだ。今、姉のケアには旦那が付き添っている。姉の心が落ち着いたら、今後のことを考えようと話してはいるんだ」 「そうか、そうなんだ」  心は身体の傷と違って可視出来ない。  陽向もΩなので子どもが出来る身体、なんて軽く言われたりするが、性的な事柄をかすめる話なので言われる方は恥ずかしく、いたたまれなくなる。  産前までにそんなプレッシャーを受け、産後不安定な時期に不倫を疑われ極度に消耗してしまったんだろうか。  会ったことがない人だけれどゆっくり穏やかに過ごして欲しいと思う。 「りんちゃんは、じゃあ、お母さんのことは全然覚えていないのかな」 「ああ」 「そうか、……もし聞かれたら、どうしようか。病気で今頑張って治療しているって言ってもいいの? 嘘じゃないから」 「そうだな。いや、俺に振ってくれ」  うんと頷いてふっと息をついた。  やっぱりα社会は大変そうだ。α社会と言うより結婚そのものか。凛子は自分の性別が選べるわけもなく、ひとかけらの罪もない。 「いずれ引きとろうと思っているんだ」 「え、そうなの? でも、……その、馨もいつか結婚するでしょ。その時のことも考えた方がいいんじゃない? そんなこと絶対しないと思うけど、途中でやっぱりいらないなんて許されない、と思うし」  確か以前、東園は運命のつがいがいるって言っていた。  どういう付き合いをしているのか知らないけれど結婚出来る状態になったとき、改めて考えると凛子の存在が邪魔に感じた、なんて事になったら、あまりに凛子が可哀想だ。 「そうだな。結婚は、まあ、予定はないけど、慎重に考えないといけないとは思っている」 「え、予定ないの? 運命のつがいがいるって言ってなかったっけ」 「いや、つがいというかまあ、つがいだけどこちらの片思いだから」 「……片思い」  運命のつがいなのに片思い。  そんなことがあるのか、それは相手に東園ではない好きな人がいるってことなのかな、すでに結婚している人、という可能性もある。  そもそも東園と出会う前にαが先にうなじを咬んでいれば、運命じゃなくともそちらとつがいになる、はずだが、確か上書き出来るって聞いたような。  主治医にΩの身体についていろいろとレクチャーを受けたのだが当時他人事だと話半分で聞いていたので良く覚えていない。今度詳しく聞いてみようと思う。  しかし、神にすべてを与えられたような男が片思いとは。  陽向は多分片思いをしたことがない、、片思いをした、している、という自覚が今までにない。  けれど漫画や映画、ドラマで疑似体験くらいはしたことがある。  大抵辛いものと表現されるものだから東園も辛いのかもしれない。  現在進行形で辛いとしたら、わざとではないにしろ話題にしてしまって申し訳なく思う。 「ええと、そうか。馨ならきっと大丈夫だよ。僕はちょっとそういう経験ないからなんのアドバイスも出来ないけど、うん」 「陽向はなにについて大丈夫だと思ったの?」  顔は微笑んでいるのに目が笑っていない。    陽向は頬杖をついたまま顔をそらした。地雷を踏んでしまったんじゃなかろうか。 「ええと、ほら、馨かっこいいし、優しいし、その、片思いの相手にもきっと好かれるっていうか……あー、ごめん。適当に言ったわけじゃないけど根拠のない大丈夫だった」 「いや、ありがとう。陽向のおかげで少し大丈夫な気がしてきたよ」  小さく笑ってコーヒーカップを持ち上げる東園を見て、陽向はほっと息をついた。地雷とまではいかなかったようだが、次からは気をつけて発言しようと心に誓った。 「あ、そういえば馨達は年末ご両親のところに行くの?」  「年末? 年末か、もうそうか、すぐだよな。うちの両親はこちらの家に帰ってくると思う」 「そうなんだ。賑やかでいいね。じゃあそのあいだ僕も実家に帰るね」    え、と東園は表情を固くした。 「……そうか、帰るのか」 「うん、ご両親が帰ってくるなら家族水入らずで過ごさないとね」 「それはそうだが」  何をそんなに考えることがあるのか、東園は黙りこんだ。  陽向がいなくても東園の両親は凛子の育ての親だ、一緒にいてくれるならなんの問題もないだろう。ご両親が発つ前に帰ってくるから、と伝えると東園は眉根を寄せてそう、と呟いた。 「いつから帰省希望?」 「いつって、僕が決めていいならうーん自宅の掃除もしたいから、30日掃除して帰ろうかな。だから、12月30日から休みってコトでいい? 戻るのはそちらの都合でいいよ」 「……分かった」  東園は肩肘を付いてじっと陽向を見る。 「今でも毎年、同窓会があるのか?」 「大きいのはないね。仲いいグループで集まったりはするみたいだけど」 「陽向は佐伯と会う?」 「会うよ、隣だもん。あ、子ども達にお年玉用意しないといけない」 姪や甥、康平の子達を思い出しながら物にしようか、お金にしようか考えていると前から強い視線を感じて顔を向ける。  東園は目が合うと口元を引き上げたが具合が悪そうだ、顔色が悪い。  日中、人混みにいたから風邪でも貰ったのかな、と思う。陽向は厚めのもこもこパーカーを着ているけれど東園はスウェットだけだ。 「この部屋寒い?」   首を傾げた陽向に、東園は頭を強く振って寒くはないよ、と微笑んだ。

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