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⑮
「馨、これ次運んで」
「ああ」
リビングに、二階の空き部屋に立てかけてあった、こたつにもなるという180㎝はありそうなテーブルが運び込まれ、宴会の準備が始まった。
誠二郎は凛子とテレビの前でランブ-鑑賞会兼お遊戯会兼写生大会を一手に引き受け、東園と陽向は智紀の手伝いをしている。
大人が食べるオードブルは先ほど「なじみの料亭」から届いてもうテーブルに置いてあるが、智紀は鍋も食べたいと寄せ鍋も作るそうだ。
その他、刺身やら数の子やらどんどん冷蔵庫から出てくる。もしかしてまだお客さんが来るのかなと思うほどだ。
「陽向寒くないか? これ着たら」
盆に載せたイカの和え物の小鉢をテーブルに並べていたら、東園に後ろから毛糸のジップアップカーディガンをかけられた。
「あ、うん、ありがとう」
特別寒くはないけれど、気持ちはありがたいので受け取っておこうと思う。
盆を膝において肩に掛かったカーディガンに袖を通す。
東園の物であろうカーディガンは陽向には大きく、袖を一度折った。
「三田村くんこれ切ってくれる? 鍋でくたくたになるまで煮るから適当でいいよ」
「あ、はい」
キッチンに戻ると配膳待ちの小皿がダイニングテーブルにまだ残っていた。これだけの量、食べきれるのだろうか。
鼻歌混じりに智紀は「食べ物いっぱいあるから、少しだけ作ろ~」と小さめの土鍋を棚から出している。
陽向は智紀の隣でこれ、と渡された白菜を切り始めた。本当に少しのつもりなのだろう、用意してあったのも四分の一の白菜だ。
「切ってる途中に話しかけてごめんね。もし体調悪かったらいつでも休んでね」
「あ、本当に大丈夫です。すみません、ご心配頂きまして」
隣をみると、小首をかしげた智紀が陽向に微笑みかけた。
一つ一つの動作がなぜか艶かしく感じる、耐性のない陽向など危うく鼻血が出そうになる。
Ωの頂点、だなと思う。同じΩでもランクが違うんじゃないかと思うほど、人形めいた美しさだ。
東園の母親がΩの男性だから、同じ男とつがうにあたって葛藤は無かったのかな、や、どうやって出会ったのか、相手のどこが良かったのか、など色々と聞いてみたいと思っていたけど、智紀では参考になりそうもない。
智紀はきっと、最初から陽向の思う「同じ男」という土俵に上がった事などなさそうだ。
小さな頃、Ωとは遊べないと陽向を無視しようとした友達に「陽向はΩっぽくないからいいだろー」と康平が言い返すくらいには、所謂「普通」の陽向からすると生きようが違うと思えてしまう。
かといってうらやましいとは思えないのはΩの男だからなのかもしれない。
αはΩのフェロモンに惹きつけられると言うが、αもΩの発情を引き起こす事があるのだろうか。
発情は周期的に巡るものであって、そこにαフェロモンが干渉するとは聞いた覚えがない。もっとも陽向はつい最近まで他人事だったので、ただの勉強不足かもしれないが。
Ωより人口は多いがαだって、出会うのはそうそうない事なので、陽向のよく知っているαの他人は康平くらいだが、康平は産まれた頃から一緒にいるのでαっぽい匂いを感じたことはない。
康平に関してはあまりに身近で家族に近いから分からないのかもしれないが、再会した東園というαには、陽向は明らかに反応していると思う。さっきも洗面所で東園の匂いにぼんやりしてしまった。
やっぱりαと一緒に暮らすのはリスクが高いんじゃないかな。
もう二度と、あんな思いはしたくない。
ため息交じりに白菜を切り準備してくれていたざるに移しもう一度さっと水洗いする。
「ねえ、本当に大丈夫? ごめんね、聞いたんだけど初めての発情期だったんだよね」
「あ、はい。初めてっていうか、今まで薬できっちり抑えられていたので。Ωってすごく、大変なんですよね。今更身をもって知ったというか。あ、でも大丈夫です。次なに切りましょうか?」
じゃあこれ、と智紀から椎茸を受け取って切っている間にどんな薬を服用しているの、など体調を心配する質問に答えていく。
「ほんと、やっかいだよね。発情期」
「はい。今までこの経験をすることなく生きてこれたのが奇跡だったのかもしれないって思いました」
「参ってるね」
あちゃーと言いながら陽向の切った椎茸を土鍋に投入する。
「でも三田村君にもきっと運命のつがいがいるよ、待ってるんじゃないかな」
「いや、僕は……、あんまり考えたこと、ないです。僕じゃちょっと、相手も嫌じゃないかな」
肩をすくめた陽向に智紀が大きな目を更に大きくして一歩近づいた。
「え、可愛い顔してるのに? ……でもまあ大丈夫だよ、心配ないない。僕たちは強いからね」
「強い、ですか?」
お玉で鍋をかき混ぜながらちらっと智紀が陽向を見て、大きくうん、と頷いた。
「Ωは強いでしょ。うん、そのうち分かるよ。ねえねえ、三田村君って好きな人とか、付き合ってる人とかいないの?」
「いません。そういうのはちょっと、なんていうか、いないです」
頭をぶんぶん振りながら強いとは、どういうことだろうと思う。
Ωはあんな体調不良を抱えどの性別に比べても底辺だ。どうして強いなんて。
「そうかぁ。お! 凛子、どうした?」
東園が凛子を抱いてキッチンへやってきた。渋面の東園は「詮索しない」と智紀を睨み、言われた智紀は肩をすくめた。
「おーこわ、凛子おいで」
お玉を陽向に渡した智紀は東園から凛子を受け取るとぎゅっと抱きしめた。
美しい顔が破顔すると、今度は可愛らしい印象になる。
ああ、確かにこの人は強いかも、と思う。強いというか、無敵、かも。美が強烈だ。
「凛子が自分も手伝いたいって。あ、陽向、貼るカイロあるけど使ったら?」
「いや、いらないかな」
東園はポケットから手のひらサイズの貼るカイロを取り出し陽向に差し出した。
暖房の効いた室内で、先ほどカーディガンも足した陽向はちょっと暑いくらいだ。
「温かくしていた方がいいんじゃない? 病み上がりというか、身体が疲れているだろうし」
「え、……先生から温めてなんて言われなかったけど、でも、まあ、ありがとう、寒くなったら使おうかな」
取り合えず、受け取っておこうかと思う。東園から貼るカイロを受け取った陽向はカーディガンのポケットにしまう。
「心配なんだよねー。さ、凛子は自分のコップを持っていってくれるかな。そろそろご飯にしようね」
智紀が床に下ろした凛子にプラスチックのコップを渡しテーブルに置いてねと頭をなでる。
意気揚々とコップを運ぶ凛子の後を、智紀を一睨みした東園がついて行く。
「……三田村君、馨をよろしくね。がさつだけど悪い子じゃないから」
悪い子、子。あんなに大きく育っているけれど母親から見ればいつまで経っても「子」なんだなあと思う。
しかしなんで東園なのだろう、自分は凛子のシッターなんだけど、と思いながら頷く。お玉を渡すと智紀は鍋の出汁を小皿に取り味見をした。
智紀はうんと深く頷き「そろそろいいかも」と微笑んだ。
「いつまでこちらにいらっしゃるんですか?」
「行ったり来たりなんだけど、四月まではこっちが多いかな。凛子の入園式があるしね」
「そうなんですね」
よろしくね、と言われたからすぐ帰るのかと思った。
せっかくこっちにいる時間が長いのなら、凛子と過ごさなくていいのかな、と思う。凛子にとってはそうした方がいいと思うが。
「さあ、鍋も出来た。馨、運んで。ご飯食べよう」
智紀は顔の前でパンと手を合わせた。
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