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⑭
「ひーたん、ひーたん」
「りんちゃん、ごめんね。あ、可愛いワンピースだね。明けましておめでとうございます」
玄関まで迎えに出てきた凛子を抱き上げる。髪をポニーテールにしていてよく似合っている。今度幼稚園に行くとき、機嫌が良ければしてみようと思う。凛子はよほど機嫌が良くないと朝から髪を触らせてくれない。
陽向がいない間、凛子は元気に過ごしていたようでほっとする。
「めでとーございまっ。ひーたんお顔つめったい」
ピンクのワンピースに白タイツの凛子を抱いたまま室内に入ろうと、靴を脱ごうとして陽向はぴたりと動きを止めた。
見たことのない靴が二足ある。
どちらも新品のように見える。
綺麗に磨かれた革靴だ、東園が買ったものをシューズクロークにしまい忘れているのかな、と思いながら凛子が降りたそうに身動ぎしたので玄関へ下ろした。
「ひーたん」
手を差し出されたので、凛子の小さな手を握ると早く早くと引っ張られた。
駐車してすぐ来るはずの東園を待ちたかったが無理そうだ。
なんか、まずいかも。
リビングから物音がする。テレビと、聞き取れないが人の声。
お客さんがいるのかも。
今日は1月4日、世間の半数は正月休みだろう。
ならば東園は何も言わなかったが、ご家族がいる、のかも。
色んな可能性がよぎったが先を行く凛子はもうリビングへの扉を開き、「ひーたん」と声を上げていた。
廊下と比じゃない明るさのリビングに、陽向の手を離した凛子が「じいじ」と叫びながら駆ける。ソファへ向かって飛び跳ねたかと思ったら、小さな凛子はすっぽりと大柄な男性の胸に収まった。
やっぱりだ。
凛子を抱き止めた男性は立つと東園に負けないほど長身で顔が東園とよく似ていた。
皺と白髪の多い東園だ。
凛子がじいじと呼ぶからこの人が凛子の祖父で東園の父親だろうと思う。
「ひーた、きた」
「あ、こんにちは。初めまして、三田村と申します」
陽向が頭を下げると、ああ、とバリトンボイスが後頭部にふってきた。
「シッターさんですね、馨から聞いています。初めまして馨の父親、東園誠二郎です。よろしく」
凛子を片手で抱えたまま、「智さん」とキッチンに向かって声をかけた。
「は~い」
キッチンにもう一人いたのか。気が付かなかった。
エプロンで手を拭きながらこちらへやってきた人物は陽向より少し背が高い、華奢な美男子だった。
「馨の母の智紀です。よろしく」
「は、初めまして。三田村です。よろしくお願いします」
結構な衝撃だったが驚きを表していいのか分からず、頭を下げている間にぐっと飲み込む。
東園の母親なら四十代後半から、五十代だろう。しかし智紀は陽向達のちょっと先輩、二十代にも見える容姿だ。肌は艶やかで黒髪は輝いている。
この人がΩで馨と姉を産んだ人か、と思う。
「ねえ、三田村君って、馨の中学の同級生じゃない?」
「え、は、はい。そうですけど」
「やっぱり」
長い睫毛が縁取った大きな目を細め、微笑む智紀が美しく、おおと声を上げそうになる。
なんてΩらしいΩだろう。
女性なのか男性なのか、一見では分からない中性的な容姿と蠱惑的な美貌、体つきは細身だ。
さすが、富豪(だと思われる)を射止めただけのことはあるなと感心してしまう。
しかし陽向は智紀に見覚えはない。会ったことがあれば覚えていそうだけど。
「すみません、お会いしたことがありましたか、あの、覚えていなくて」
凛子が誠二郎の腕を抜け出し玄関へ「かおちゃ~ん」と飛び跳ねながら移動してゆく。
家の中の人口が増えて凛子は嬉しそうだ、随分興奮しているなと思いながら凛子の背中をほのぼのとした気持ちで眺める。
「いや、会ったことはないから、初めましてです。こちらが見かけただけなの」
「はあ、そうですか」
もう卒業して十年以上だ、見かけただけでよく覚えていたなあと思っていると「ほら、僕もだけど君もΩでしょう。あ、Ωの子がいるなって、やっぱり分かるから」と智紀に微笑まれた。
笑みを返しながら、陽向のようにΩらしくない、β寄りのごく普通の容姿でも分かるものなのかと感心する。
陽向は多分、智紀のように飛び抜けてΩらしい容姿か、発情していないとΩとも気がつかないかもしれない。
もっと周りを見て生きないとなと思う。
「ただいま」
凛子を抱き上げた東園がリビングに入ってくると誠二郎が凛子を受け取り、智紀はお茶入れるね、とキッチンに向かった。
東園が持ってきたボストンバッグをちょうだいと手を伸ばすと「陽向は座っていて。病み上がりだろ」と遮られた。
自分でも初めての事でつい病気に罹ったように錯覚してしまうが、発情期はΩの体質だ。
「でも荷ほどきしたいし」
「俺がするよ。洗濯物出してほかは部屋に置いとくから、休憩して仕舞えばいいだろ」
「いいよ、自分でする」
手を出す陽向を東園はにこやかに遮る。そしてボストンバッグを持ったまま浴室へ歩き始めた。
確かにさっき退院した身だけれど、自分の事は自分でしたいと思う。
東園の後を付いていく。
脱衣場でバッグを床におき、開こうとしている東園からバッグごと奪った陽向は「馨はリビングに行きなよ。だいたい、家族水入らずって知ってたらこっちに来なかった」とため息混じりに溢した。
「初めてきつい発情期だったんだろ、一人に出来るわけ無い」
「もう終わったから大丈夫だって。ていうか、今からマンションに帰るね。正月から他人が家にいるのおかしくない? さすがに邪魔だろ。海外から戻られたんだから家族でゆっくりするべきだよ」
「他人って、陽向ここに住んでるじゃないか」
「まあ……、住んでるといえば住んでるけど、それは仕事だろう。普通仕事は正月って休みじゃん」
陽向はちらりとリビングの方に顔を向けて、浴室の東園に顔を戻した。
「ご両親も驚いてたんじゃない? とりあえず日があるうちに帰るよ」
しゃがんでいた東園は立ち上がると陽向の方へ一歩近づいた。
「陽向が入院してすぐ両親が帰国したんだが、凛子がずっと陽向の話をするものだから、両親は今日陽向がここに帰ってくるの楽しみに待っていたんだ。彼らのためにもいてくれないかな」
「え、うーん、……でもさ」
すっと東園の手が伸びて、陽向の首をかすめ髪を触る。肩がビクッと震える。
「な、なに?」
東園は答えることなく顔をぐっと近づけてきた。
ああ、この匂い。近いとしっかり匂いが届く。
東園の匂いはなんだか癖になる。
陽向は目を閉じ、その匂いに集中した。感じれば感じるだけ、うっとりとする。
以前は好きになれない匂いだったのに。
「ん、ゴミが付いてた」
髪を優しく払って微笑んだ東園はぼんやりしている陽向からボストンバッグを取り返した。
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