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「キスしていい?」 「え」  キス、と聞いてかっと頬が熱くなる。  免疫のない陽向は単語を聞くだけで心臓がばくばくと五月蠅くなるが、鼻先にいる東園は目を細めほんのり笑みすら浮かべている。  経験の差を思い知る。  見目の良いαの東園と恋愛経験皆無な陽向とでは比べるまでもないが。  それでも、キスもだがその先も、本当なら恋人とすることだ。  陽向は自分の苦しさを回避するためだからまだいいけれど、東園は付き合ってくれているだけなのにそこまでさせるなんて、本当にいいのかなと罪悪感が頭をもたげる。  最低限でいいのではないだろうか、東園を貸していただくのは。 「あ、ええと、それも練習の一環なんだよね、その、練習なんだけど、しなくても大丈夫だと思う。多分発情期になったら勝手にしたくなる、から」  その時にしてもらえるだけで、いいんじゃないか。  大歓迎と言ってはくれたがこの間の発情期、Ωなのにαの東園に相手にしてもらえなかった実績がある。その期間にα用の抑制剤を控えてもらったりと東園にきっと手間をかけるだろう。  そうしたってやる気になってもらえないかもしれないけれど、そうなるとさらに東園側に負担を強いることになる。  練習の手間くらいは遠慮すべきじゃないだろうか。 「陽向、したことある?」 「したこと、ああ、うん、……ないけど」  あとで未経験だとばれるくらいなら、と思ったけれどないと言った瞬間東園がふっと笑ったので少し傷ついた。  大人と呼ばれる境界を越えて数年経つから当然経験していることなのかもしれないけれど、笑わなくたっていいじゃないかと思う。  顎から髪に戻った東園の手が何度も耳近くの生え際を撫でる。  やっぱりこそばゆい。しつこく触る手から逃げふいと顔を背ける。 「無神経なことを聞いた。許して欲しい。でも陽向、お互いを知らずに発情期を迎えるのは危険だと思う。たとえ陽向が慣れていたとしてもお互い訳が分からなくなる発情期に初めて触れるなんて怖いだろ。セックスはただ触れ合うだけじゃないしね、そんなに簡単なことじゃないと思うよ」  セックス、またセックスっていった。  心臓が落ち着くのを待って、そろっと東園を見る。目が合うと「ごめん」と呟いた。 「……発情期じゃないから出来ないと思う。だってΩのフェロモン出てないでしょ」 「それは陽向が出来ないって事? もし俺なら全く問題ないよ。αやβは発情期がないけれどパートナーがいる人間は毎日のようにやってるし」  毎日なのか。  にこっと微笑まれ陽向は何も言えず瞬きを繰り返す。 「陽向が出来そうにないと思うなら余計どんなもんか知っといた方がいいんじゃない? 発情期にやっぱりいやだって泣いても、いつも飲んでる抑制剤を止めた状態の俺だったらこないだみたいに救急車は呼んであげられないよ、多分。どうする? どうしてもいや?」  発情期のとき、したくて堪らなかったからいやだという自分が想像できないけれど、ただ触れ合うだけじゃないと聞かされるとちゃんと出来るのかちょっとだけ不安になる。  試してみた方がいいのだろうか。  本当に迷惑じゃないんだろうか。  首を傾げて陽向を眺める東園に陽向は顔を伏せて「いやじゃないです」と呟いた。  じゃあ部屋に行こうと囁かれたときなんとも言えない気分になった。  発情期の身体の疼きをまだ覚えているせいであのとき欲しかったものの実態を体験できる期待と、迷惑をかける罪悪感が体内をぐるぐる回る。  手を引かれて二階に上がり東園の部屋の前まで来ると今度は緊張で息がまともに吸えなくなった。  東園がドアを開き、陽向に先に入るよう促す。背中に手を当てられ押されるとなんだかエスコートされる女性になったようでむずがゆい。  部屋の明かりが一瞬点いたがすぐに薄暗くなった。  凛子の部屋も調光機能があったけれどここもなんだ。見上げると背後から絡みついてきた東園が「明るい方がいい?」と耳元で囁いた。びくびくと身体を揺らす陽向をからかうように耳の縁を舌でなぞる。 「……はぅう、耳、やめ、」 「気持ちよさそうだけど」 「や、」  体格が違うせいで陽向が身をよじっても東園はびくともしない。  舌の濡れた感触と吐息が首に掛かってぞくぞくする。  どうしてか下肢までむずむずして「ああ、」と声を上げてしまう。  自分でも聞いたことのない甘ったるい声であまりに恥ずかしく両手で口を塞ぐと「声、聞かせて」と手首を取られ腕ごと抱き締められた。  いちいち耳元で言うの反則じゃない、と思う。首元に東園の顔があるだけで他人の体温や掛かる息でぞくっとするのに、東園の声は低くて甘く囁かれると腰の奥に響く。

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