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 とても食べられる心境ではないので首を振ると東園はそうか、と呟いて陽向の手を引いた。 「あ、三田村くん、温まったかな?」 「はい、ありがとうございます」 「良かった。さあ、お腹すいたでしょ、ご飯食べよう」  キッチンにいた智紀はリビングに入ってきた陽向においでと手招きした。 「ありがとうございます。でも、……食欲なくて」 「そうか。じゃあちょっとでもいいからお腹に入れよう。でも三浦さんのあれなら、絶対食べちゃうから」  智紀が三浦に顔を向けると、三浦はゆっくりと頷いた。  ダイニングテーブルに着いた陽向に三浦が出したのは小さなカップに入ったオニオングラタンスープだった。  カップから立つ湯気とほんのり甘い、いい匂い。 「ほら、一口でも食べなさい」 「……ありがとうございます」  スプーンでほんのり焦げたチーズを割り中のパンと飴色のタマネギを掬う。  口に入れるとじゅわっとパンからスープが染みだし、口の中が温かくなる。チーズとたっぷりタマネギの旨味が本当に合う。温かくて美味しくて、涙が出てくる。  すんと鼻を鳴らした陽向に「それだけでもいいから、食べて下さいね」とキッチンから三浦が声をかけた。頷きながら陽向は自分だけこんなに美味しいものを食べて、と心が痛くなる。  三浦の計らいだろう、数口で食べ終えられる量で助かった。  とても美味しいのに、胸が痛くてこれ以上は入りそうもなかった。 「ごちそうさまでした」  手を合わせた陽向に三浦はお茶をつぎ足してくれる。普段ならもう三浦は帰宅している時間なのに申し訳なく思う。 「食べてすぐにごめんね、ちょっと見て欲しいんだ」  正面に座った智紀がすっと写真を出した。      智紀の隣に誠二郎も座る。受け取った写真は、髪の長い美しい女性が微笑んでいるものだった。  隣の東園も少しこちらに身体を寄せ陽向の手元を見た。  目鼻立ちのはっきりした美女だ、どうだろうか。  陽向は今日見た女性を思い出す。  凛子と話しているとき、髪に隠れて顔がよく見えなかった。逃げる際は女の横顔がちらっと見えた。鼻の高い整った顔だったがこの写真の女性か問われるとはっきりしなかった。雰囲気は似ているけれど。 「ごめんなさい。顔ははっきり見えなくて。ただ髪が肩くらいで、ベージュのコートにピンクのパンプスを履いていました。本当に、役立たずで、……すみません」 「大丈夫。ゆっくり顔を観察できるような状況じゃなかったって分かっているからね」  写真を握りうなだれた陽向の肩を、智紀は優しく撫でた。誠二郎は智紀の言葉を肯定するように頷くと、電話をかけ始めた。 「三田村くん、巻き込んでごめんね。まだ警察には連絡していないんだ。今現在絢子絢子(あやこ)と連絡が取れないから、探しているけど誘拐の可能性もある。僕達も探しに行くから休んでいてね」  顔を上げた陽向に微笑みかけて、智紀は立ち上がった。あやこ、とは東園の姉、凛子の母の名前のようだ。 「絢子の気持ちが落ち着くまで、凛子の話題は出さないようにしていたんだ。でもこのあいだ絢子のところでうっかりスマホを忘れて買い物に出ちゃって。凛子の写真かなにか見たんじゃないかって思うんだよ。帰ったら絢子、急に泣き出したり、イライラした様子でちょっとおかしかったから」  三浦からコートを受け取った誠二郎と智紀は玄関へ向かった。 「もし、連れ去ったのがお母さんだとして、どこか行き先に心あたりはあるんですか?」 「思い当たるところはすべて当たったけどいなかった。でも凛子が一緒だったら必ず分かるはず。さあうちの威信にかけて見つけ出すよ!」  靴を履き振り返った智紀は陽向に拳を突き出した。呆気にとられる陽向の横で「なにか分かったら連絡くれ、こっちもするから」と東園が智紀の拳に自分のをこつんと当てた。  息巻いている智紀をうんうんと頷く誠二郎が連れて出たあと、陽向は東園とともに外で見送った。 「智紀さんはお姉さんが連れて行ったと思っているみたいだけど、本当にそうなのかな。もし誘拐だったら、早く警察に相談した方がいいんじゃないかな」  心配で堪らない。ダイニングテーブルに着いた東園と陽向に三浦はコーヒーを淹れながら「だいじょうぶですよ」と力強く言った。 「誠二郎様が個人的に繋がりのある警察関係の方に内密でご相談されていますので」 「そうなんですね」 「顔が広いからな、あの人は」  陽向はほっと息をついた。  あらゆる方面から捜索してくれているんだ、早く見つけてあげて欲しい。  顔の前で指を組んだ陽向にどうぞと三浦がコーヒーを置いた。 「もうしばらくですよ、私も凛子ちゃんはすぐ見つかると信じています」  陽向は祈るように組んだ指に額をつけたまま小さくうなずいた。 「陽向寝ないのか」  三浦が帰宅し、陽向はリビングでぼうっとテレビを見ていた。見ていたと言うよりテレビの方を向いていた、が正しいのかもしれない。  そのテレビと陽向の間に割り込んだ東園はソファに座る陽向の視線に合わせ屈んだ。 「うん、もうちょっと。馨寝てて」  すぐそこにいる東園はふうと息をついて、陽向の額に手を当てた。  咳もしていないし鼻も垂れていないけれど、風邪引いたと思ったのだろうか。熱はないな、と呟いて東園は二階へ上がっていった。  もうそろそろ十時になる。  普段凛子はもう寝ている時間だが、今どうしているのだろうか。ちゃんと眠れているかな、ベッドはあるのだろうか。床に放置されていたらどうしよう。眠たいのに寝られるわけない。  ソファの上で膝を抱えながら凛子のことを考える。もうあれから八時間は経っている。  早く見つかって欲しい、早く帰ってきて欲しい。  いま自分はここで待っているだけしか出来ないのか。やっぱり探しに行った方がいいんじゃないか。  「陽向、寝てる?」  呼ばれて顔を上げると毛布を持った東園が正面に立っていた。

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