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「あ、馨予約取れたから明後日行くよ」 「取れたの? 俺は伸びた感じも好きだけど」  ソファに座ってタブレットを見ている陽向の横に風呂上がりの東園が座る。久々に帰りの早かった東園はビール片手だ。 「店の詳細見てもいい?」 「いいよ」  ビールを受け取りタブレットを渡す。陽向がローテーブルにビールの缶を置いて振り向くと、東園はじっと手元を眺め片手で顎を触っていた。 「えーとΩのスタッフさん二人だけのとこだよ。ちなみに僕の髪を切ってくれる人はこの人ね。うちの母親と同じ年って言ってたよ、女の人」  横から覗き込んでスタッフ紹介の文章を指さす。スタッフの写真は防犯の為掲載されていない。 「一応言っておくけど、馨は入れないからね」  ちらっと陽向を見た東園は小さくうなずいた。 「それは残念」  にっと笑って東園はタブレットを陽向に返した。  日が隠れると途端に風が冷たく感じる。  とはいえ陽向は過保護の片鱗を見せはじめた東園の手配した車で移動したのでほんの数分しか風に当たっていないのだが。  住宅街の中にある小さなマンション。  一階は二店舗あり陽向の通うヘアサロンと隣は花屋だ。看板もなにもなく、あるのはプラントハンガーから垂れ下がるアイビーと出入りのドアと横にある小さなチャイムだけだ。  ガラスがないのも安心だし、基本カギが閉まっているのでチャイムを鳴らさないと入れないのもいい。  調べればここにΩが集まっているのも分かってしまうことだから。  チャイムのボタンを強く押して、中からの応答を待つ。  いつもはすぐ開けてくれるのだが、今日はなかなか返事が聞こえてこない。  まさか日にち違い、と思うが朝から確認のメールも来たので間違いはないはずだ。  陽向が店に入るのを見届けないと帰れないのだろう、背後で陽向を運んできた車が待機している。 「あ、ごめんね。三田村君、今開けるね」  焦った声が聞こえる。陽向の担当をしてくれている小高かなえの声だ。  ほっとしつつ陽向はかちゃりと聞こえたドアを開き、振り返ってまだ待機している車に頭を下げた。  ウッド調の店内は窓がないけれど明るい。  もう十年はここで営業しているらしいが掃除が行き届いているせいか古さを感じさせない。 「ごめんね、ほんと、今日ここちゃんが体調不良でお休みしてるのよ。ちょっと時間が掛かりそうだけど大丈夫かな?」 「大丈夫ですよ。ゆっくりさせて貰います」 「ごめんね、三田村君。そこにあるだけ雑誌置いたから、あ、あと飲み物もね」   小さな冷蔵庫を指した小高はじゃあ、と奥へ「お待たせしました、ごめんね」と入っていった。  なるべく客同士顔を合わせないようにカットスペースを区切っているのと以前今日は休みの北沢ここみが言っていた。  向こうから小高とご婦人の笑い声が聞こえる。多分カラー待ちでスマホを弄っている女性の後ろ姿が少しだけ見えるから今日は確かに時間が掛かりそうだ、と思う。  まあなにか予定があるわけじゃない。  三浦と東園に連絡だけ入れて陽向は山と積まれた雑誌の一番上のものを手に取った。    暇である。  先に知っていたらスマホの充電を満タンにしていたんだけど。  ファッション雑誌もほぼ読み、スマホでネットサーフィンも、充電の残量が心許なくてもう出来ない。  もうそろそろかな、と思って30分は経つ。  思っていた以上に時間が掛かりそうで、陽向は今まで手に取ったことのない写真週刊誌に手を伸ばした。  ペラペラとページをめくる。  ネットやテレビのニュースで見たことある情報ばかりだ、もしやと思い表紙を見ると三ヶ月前の発行だった。道理でと思う。  三冊あるがこの号が一番新しいようだ。  ちらりと中を窺うが楽しそうな声が聞こえるだけだ。終わりそうな気配はない。  しょうがないなと手元の雑誌を閉じ、まだ見ていない雑誌に手を伸ばす。  二、三ページ開いた後に陽向は「ん?」と思わず漏らした。  雑誌から目を離し、一度店内をくるりと見回す。  そしてもう一度雑誌に目を落とした。  陽向が思わず反応したのは人気女優の熱愛スクープで、半年ほど前だったか、世間を賑わし陽向も聞いたことがあった。しかし今はとんと聞かなくなった話だった。  ここ数年、よくCMで見る彼女のことは芸能界に疎い陽向でも知っていた。   陽向は無意識に手で口を覆い、その人気女優が並んで歩く熱愛相手をじっと見入る。 「間違いないな」  自分の呟きも耳に入ってこない。  それもそうだ、陽向は今自分史上三本の指に入る驚きに固まってしまっていた。  ぶれた写真、しかも目元に黒い線が入っているがそこに写っているのは間違いなく今一緒に暮らしている東園だったからだ。  財閥系の御曹司X氏にはなっているが、恵まれた体格の東園は立ち姿で分かる。隣に女優さんがいても見劣りしない。東園ってスタイルいいんだなと改めて思う。  さすが女優、というべきか、隠し撮りでも均整の取れた美しいスタイル、華やかな顔立ちで輝いている。並ぶ二人はとてもお似合いに見えた。  記事を読むとモデルから女優に転身した彼女は23歳、Ωという。 「……君、三田村君」  はっと顔を上げると小高がソファに座る陽向の目の前にいた。  ビクッと身体を揺らしてしまって陽向は雑誌を取り落とし、慌てて拾って小さく頭を下げる。 「ごめんね、お待たせして。案内するね」  ニコッと笑いかけ小高は「それ読み途中だったよね、椅子のほうに持って行ったら」と陽向が閉じた週刊誌を取り上げた。  もう読まなくていいのだが小高は陽向の持っていた雑誌と他も数冊抱え先に行ってしまった。 「いつも通りでいいかな」  陽向にクロスを着せながら小高が声を掛ける。 「あ、はい、お願いします」  今日はどう切って貰おうと、少し考えていたのだけどすべて吹っ飛んだ。  小高が切り始め陽向は話に相づちを打ちつつ、もう一度意を決して雑誌を開いた。  写真は並んで歩いているのと女性の腰に手を添えエスコートしている後ろ姿もある。  表紙を見るとやはり半年程前の発行だ。  半年前、ということは陽向と再会する少し前だ。  この記事は真実なのだろうか。  この時期だけ付き合っていたとか?   付き合っている人はいるの、なんて確認したこともなかった。  よく考えればあの容姿ださぞかしモテたことだろう。しかも財閥系の御曹司って。  陽向は勝手に血縁者に大金持ちがいて会社を任されているのかと思っていた、確か昔そういう話を聞いた。しかし実際はその中央にいる立場だったのか。  数ヶ月、陽向は東園と一緒に暮らしているがどうやら知らないことばかりだったようだ。  教えてと言っていないのだから、当然だ。  愛してると言われた気がするし、運命のつがいと言われた。  でも愛している人が複数存在する人もいるだろうし、運命のつがい以外とは付き合えないなんて決まりはない。  どうして東園が纏わり付く相手が自分だけだとなんの違和感もなく信じ込んでいたのだろうか。  知らないだけで、複数のΩと付き合っているんじゃないのだろうか。  陽向なんてその数にも入っていないかも。だって恋人になった記憶はない。  血の気が引く思いで雑誌を閉じ顔を上げる。  鏡には取り立てて特徴のない、平凡な男が写っていた。  東園に連絡するのをためらう自分がいる。  好きな人が出来たと学生みたいに浮かれていたせいかもしれない。  膨らんだ気持ちが急激にしおれていくのが分かる。  連絡先の名前を見ながらなんて迷惑なことだろうと思う。  勝手に好きになられて裏切られた気になられて。  東園は陽向の発情期の相手をしてはいるが、惚れたのは自分。  これは確かに迷惑な話じゃないかと思う。  店先に立ったまま東園と三浦に終わったことを連絡した。さあ切り替え切り替え、陽向は自分の頬をパンと叩いた。    陽向が家の前で車を降りたとき、まだ家に明かりが点いていて驚いた。 「ただいま。遅くなってすみません」  玄関を開くと煮物のいい匂いがした。  リビングに入るとエプロンを畳んでいる三浦が「お帰りなさい」と陽向に笑いかけた。 「さっぱりしましたね。短い髪もよく似合っていますよ」 「そ、そうですか。ありがとうございます」  切ってくれてる間ぼーっとしていたので、いつもより前髪が短くなっていた。  小高はずっとこの長さにしてみたかったらしく、上の空だった陽向が頷いたのでこれ幸いに好きなように切ってくれたのだが正直似合っているかは分からなかった。  三浦からも好評ならまあいいかと思う。  短時間でいろいろ考えすぎたので、どっと疲れてしまった。  しかし三浦の穏やかな笑顔を見ると力が抜けていく。お母さんみたいな雰囲気があるから自然とリラックス出来るのかもしれない。  三浦は陽向の帰りを待っていてくれたのだろう、陽向が帰宅するとすぐに帰って行った。  陽向が風呂から上がるとスマホに東園から遅くなるから先に寝ていて、とメッセージが来ていた。  ほっとすると同時にもしかしたらほか何軒か、ここのような住処があって、そこに帰っているのかもしれない。  陽向の知らない家を持っていても、東園が陽向に報告する義務はないしそこに誰かいてもそれは陽向がどうこう言うことではない。なのに考えると気持ちが悪くなってくる。  本当に気になるなら聞いてみればいい。そう思うのだけど肯定されたときの自分の気持ちがどうなるのか想像が出来なくて怖い。泣いてしまいそうだし、怒りだすかもしれない。自分の事なのに全く分からない。  それに陽向にも発情期の相手をして貰わなければならないという事情もあり、いろいろ突っ込んでもうしないと言われると実際困る。  まず、発情期を他人の力を借りず乗り切れなければならないのかも。  薬を変えて合うのを早急に探さないと。  陽向はもやもやを抱えたままソファの上で膝を抱え、ため息を零した。

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