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第3話
「まったく……あれだけ吹けるなら、普段からやれよ」
スタッフルームに入るなり、晶に文句を言われた。
いつも手を抜いてるつもりは無いのだが、晶には真洋のポテンシャルに気付いていたらしい。
「そりゃあ、目の前に好みの人がいたら張り切るだろ?」
「ふーん」
ウキウキと楽器を片付ける真洋とは対照的に、晶は冷めた顔でこちらを見ている。
「何だよ?」
「いや、べっつにー?」
含みのある晶の声は、早々とスタッフルームを出ていった。何なんだ、と思いながら、真洋は晶にセットしてもらった髪をワシワシと崩し、元通りにする。
スタッフルームを出ると、お目当てのあのスーツの人を探す。
「誰かお探しですか?」
「うわぁ!」
思いもよらない方向から声を掛けられ、見るとスーツの人がそこに立っている。
向こうから来てくれるなんてラッキー、と思いながら、びっくりした心臓をなだめていると、向こうから話してくれる。
が、その言葉に真洋は固まった。
「昨日はありがとうございました」
「え?」
昨日? 昨日と言うと、昨日か? と思考を停止した頭で考える。
そしてお酒を飲んで記憶を失くした自分を呪った。
「あー……俺、酒飲むと記憶が飛ぶんだよね。昨日何かあったっけ?」
「これ……」
そう言うと、相手はスーツの内ポケットから封筒を出した。
「昨日のお釣りです。貰いすぎていたので」
それをわざわざ渡すために来たのか。律儀にも程がある。
「そんなの、もらっておけば良いだろ? 一夜限りの相手にそんな事する必要はねーよ」
「……」
真洋はつっけんどんに言うが、スーツの男は封筒を差し出したまま、動かない。
見た感じのままの真面目な奴だ、と真洋はため息をつく。
真洋はそれを受け取ると、スーツの男はホッとしたような顔をした。
「あの、昨日の事、本当に覚えていないんですか?」
くっきりした二重の瞳に顔を覗くようにされて、真洋は顔を逸らす。
何だか、自分の心を覗かれているようで居心地が悪い。
「……悪かったな。昨日は気付いたらあんたがシャワー浴びてるところだった」
「そうだったんですね……」
じゃあホテルに行く前、あなたが話しをしてくれた事も覚えていないんですね、と残念そうに眉を下げる。
真洋は弾かれたようにスーツの男を見た。嫌な予感がする。
「は? 俺、何喋った?」
真洋の反応に、男は「本当に覚えていないんだ」と目を丸くした。どうやらカマをかけたらしい。
男は真洋に耳打ちするように近付いた。
「知り合いに聞かれたくないから、とわざわざ店まで変えて、むしゃくしゃしていた理由を全部話してくれましたよ」
その瞬間、真洋の腰の辺りから、ゾワゾワと何かが這うような感覚が走る。
何が起きた、と男を見ると、彼は微笑んでこちらを見ていた。
しかし、目の前にいる男は誰だ、と真洋は思う。
真面目そうな男とは正反対のヤツがいる、と本能が感じている。
脳内で警告音が鳴った。
そして、再度記憶を失くした自分を呪う。
1番知られたくない、弱い自分を見せてしまった事を、失敗した、と後悔した。
「特定の相手とは付き合わないんでしたっけ? 昨日も取り付く島もなく振られてしまいました」
記憶を失くしても、そこだけはしっかり自分を保っていたらしい、我ながらグッジョブと思った。
「でも、あんな事があれば当然ですよね。大好きだった人にあんな事されたら……」
「黙れよ。何が目的だ?」
男が余計な事を話す前に、真洋は言葉を止める。
弱い所に付け込むような口調に、恐怖と興奮で全身に力が入る。
真洋の息が上がっていく。
スーツの男を押しのけると、力の限り睨んだ。
「特定の人になれないなら、セフレになりません? もちろん、特定の人の座を諦めるつもりはないですけど」
ニッコリと微笑んだ男は、第一印象の真面目そうな男だ。
真洋はその表の顔に、すっかり騙されたらしい。
しかしここで誘いを断れば、真洋の弱い所をもっとつつかれると思った。それは嫌だ。
身体の相性も良かったですし、と付け加えられて、真洋は渋々頷いた。
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