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その後の話
「すみません、あの、この本ってありますか?」
「少々お待ちください、調べてみます。…………申し訳ありません、そちらの商品はうちでは取り扱ってなくて…」
「そうですか、ありがとうございました」
響はあからさまに肩を落として店を出る
手に持つスマホの画面にはとある書籍の作者名や売っている場所が載っているサイトが映っていた
響はもともと本を読む趣味はない
そんな響がなぜこの本を探しているのか
それは月に一度、美風から送られてくる手紙に
「この本を探して欲しい。いくらネット通販で探しても見つからないから、響さんに見つけて欲しい」
そう書いてあったのだ
「ここもダメだった…残るはあと」
響はサイトを下までスクロールする
最後の見出しに、目撃情報が1番古い本屋が載っていた
響の現在地から特に離れた場所
本一冊にこれほど苦労するとは思わなかった
もうすでに何十軒も回って、虫の息だが、たった1月に1度しか送られて来ない美風の手紙にそう書いてあったのだから、諦めるわけにはいかない
響はスマホをしまって歩き出した
自動ドアが開くと同時にいらっしゃいませ。というデジタル音が響く
がらんとした人の少ない本屋
本当にこんなところに目的の本があるのだろうか
訝しげに本屋に入る
受付には年老いたお婆さんが座っており、響を見ると嬉しそうに声をかけてきた
「おやまあ、いらっしゃい」
「こんにちは。お聞きしたいんですが、この本ってここにありますか?」
人当たりの良さそうなお婆さんは、響のスマホをまじまじ見やるが、老眼なのか近づけたり遠ざけたりした後、結局首を傾げた
「さあね、私も全部は分からなくてね…ああそうだわ、この奥にいる若い子、その子に聞けばきっと分かるわ」
「若い子?」
お婆さんが本屋の奥を指さす
背丈の高い本棚で奥の様子は見えないが、きっと響の他にも誰かがいるのだろう
お婆さんにお礼を言って奥に進む
本屋独特の紙の匂いが風と共に鼻を撫でる
ここはどこか懐かしくて、居心地がよかった
店内は広くなく、すぐに端まで辿り着く
最後の本棚につき奥を覗くと、こじんまりとした休憩スペースのような場所に座って、1人の少年が本を読んでいた
「こ、こんにちは」
「………」
響はおずおずとその少年に声をかける
だが少年は響を見ようとせず、黙ったまま持っている本をペラリ、と1枚めくった
人と話すのが苦手なのだろうか
イヤホンをしているわけでもないため、響の存在に気づいた上で無視をしているのだろう
諦めた方がいいだろうか
でも、もう頼りはこの本屋しかない
もう一度声をかけて無視されるようなら、自分で探すことにしよう
そう思い、響はまた口を開いた
「この本を探しているんだけど、どこにもなくてね…知らないかな」
「………」
響がスマホの画面を向けると、少年はむくりと顔を上げ、チラリと響を横に見やる
やはり何も言わない少年に引けをとった響は、苦笑いしながら申し訳なさそうに言った
「あ、はは、お婆さんに君に聞けって言われたんだけど…やっぱり自分で探すよ。邪魔してごめんね」
響はそう言ってその場を立ち去ろうと背を向けた時、突然少年はガタリと椅子から立ち上がり、響の方へ歩いてきた
「あっ、えっと…」
「…こっち」
困惑する響を他所に、少年はボソッと呟くように言うと、響を誘導するように前を歩いた
響は呆気に取られていたが、ハッとしたように少年の後を追った
右奥に休憩スペースがあったが、彼が向かうのはその反対、左奥の本棚だった
隅には埃が積もり誰も来ていないことが見てわかったが、少年はずんずんと奥に進んでいく
まるで迷いのない足取から、ここにある全ての本の場所をくまなく把握しているんじゃないかと、響は思った
カタン
少年は隅にあった足台をずらすとそこに乗る
どうやら本棚の1番上に目的の本があるらしい
背伸びし腕を伸ばす際、彼の異様に細い手首と、痣を見た
響は見ていることしかできなかった
「…これ」
「あ、…ありがとう、助かったよ」
少年が手に取ったのは埃まみれだが保存が効いた赤い表紙の本
響は自分のスマホに映る本の表紙と照らし合わせ、全く一緒なのを確認すると少年に礼を言う
少年は響を見ようとはせず、また先ほどの休憩スペースに戻って行った
響は少年の後ろ姿を目で追う
服を着ていてわかりにくいが、彼は極端に痩せていた
夏だというのに長袖を着ている彼の袖から、見えてしまったのだ
手首に何かで強く縛り付けられたような、輪っか状の痣を。
初めて出会った時の美風を思い出す
彼も傷だらけで、寒い冬に薄着で震えていたのに、響には一切助けを求めてこない
この少年も、美風と同じ
誰も信用しない、ずっと警戒して気を抜かない
誰にも懐かない野良猫のようだ
「ねぇ、何かお礼をさせてよ。甘いものは好きかな?」
「………」
響は慌てて少年の後を着いて歩いた
少年は変わらず響を無視してまた最初の椅子に戻る
先ほどは無視されて怖気付いていた響だったが、今度は少年の傍を離れようとしなかった
「何か飲み物を奢るよ」
「…邪魔…」
響はなんとか気を引きたくて、いろいろ言ってみたが、癪に触ったのか結局そう突っぱねられてしまった
美風の時もそうだった
あの子にも飲み物を奢ったが、結局は逃げられてしまった
馬鹿な俺、何も学ばない
物で釣るんじゃ意味がない、もっと童心に戻らなければ
彼らみたいな子供が、より心を開いてくれるような話をしなければ。
「…その本は、とても難しそうだね。どんなお話なのかな」
「………」
考え抜いた結果、響の口から出たのは、そんな言葉だった
でもやはり少年は響を見ない
囚われたように本に釘付けだった
響は全く手応えのない反応に焦るが、ここで慌ててはいけない
そっと、優しく語りかけるように
まずは自分のことから
「俺の恋人も、本が好きだったよ」
恋人なんて、でまかせだ
美風にとって響はセフレで、付き合ったことすらない
でも重要なのはそこじゃない
どれだけ少年の心を揺さぶれるかが、重要だった
「彼はライトノベルが好きなんだ、異世界転生?とか、そういうの」
「……彼?」
そこでやっと少年が反応した
今まで俯きがちで一切目が合わなかったが、ここで初めて、少年の丸い目が響を見た
「そ、そう。この本も彼のおつかいなんだ。俺は普段本を読まないから、君に教えてもらって本当に助かったよ」
「…ラノベなんて、幼稚だ。ヲタクが見る本だよ」
「そうなの?」
「普段ラノベを見ているなら、その本はつまらない。哲学を基礎にしてる本で、初心者向けじゃない。人気がないから早々に納品を打ち切られたんだ。面白くないから」
少年の口から出る言葉は棘こそあるが、口調は穏やかで、ゆっくりと紡がれるように話す
表情こそ変わらないが、どこか楽し気だった
「読んだことがあるの?」
「…まあね」
少年はぶっきらぼうに答えるが、最初よりもずっと態度がいい
響はとても嬉しく思った
「あんた、ゲイなんだ?」
「うん、うんそうだよ。恥ずかしいけどね…」
「いや別に…」
少年はそこまで言って口を紡ぐ
何か言いたそうにしていたが、結局少年は話を変えた
「名前、何」
「…え?あ、えっと、俺の名前は宮本 響。よかったら響ってよん…」
「宮本」
「あ、うん、どっちでもいいよ」
「…宮本、さん」
「…はい…」
響の言葉に被せるように名字を呼ばれ、あたふたしながらも頷いた
あからさまに落胆する響を見て少年は少し考えてから、もう一度響の名字を呼んだ
今度は敬称をつけられて呼ばれた響は、嬉しさのあまり少年を見て微笑みながら返事をした
その顔を見て、少年は目を見開くと、またスッと細められる
きっと、笑っているのだろう
まだ完全に警戒は解けたわけではない
でも確実に、少年と響の間には小さくとも繋がりができたような気がした
彼を助けたい
とある人は同情などいらないと罵るだろうが、響にとってそれはとても大事な感情だと思う
どちらにせよ、響は彼を知りたいと思っているのだから
今度こそ、自分にできることをしたい
罪滅ぼしに似た気持ちが、響を動かしたのだ
「次は、君の名前を教えて」
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