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$5.虎穴に入らずんば虎子を得ず③

 ドア近くに置いたままのまとまった荷物が虚しく存在感を放っている。その上を跨いで洗面台の蛇口を捻って、緊張や不安からかカラッカラに渇いた口の中を手で掬った水で潤した。  『バレたら、、アイツに殺されっかな。それか一生ここで奴隷扱いか……』  ジャージャーと蛇口から水を流れる音が響いて顔上げて目の前の鏡を見る。そこに映った自分の顔は数日前にここに来た時とは、別人のように自信を失った顔をしていた。  『いや大丈夫。時計だってまだ見つかるかもしれないし、いくらアイツだってそんな簡単にいなくなったことも気づかないばす。落ち着け、、まだイケる!』  "失敗"なんて言葉は初人の中では存在しない。父親を助ける為には今ここで弱気になっていたら道筋が途絶えてしまう。  そして流れる水をバシャバシャと顔に当てて気合を入れ直した。すると微かに水の音の隙間に部屋のドアをドンドンと叩くような音が混じって顔を上げた。  "誰?"と顔を鏡の自分と目を合わせた。このタイミング訪問者はかなり警戒するに決まっている。居留守を使うべきか、、だけど気になる。  水を止めてタオルを手にし洗面所を出ると音は次第に大きくなっていき、ゆっくりとドアスコープに目を当ててみる。  そこから見えた姿は郁の部屋清掃担当の日下。まっすぐ扉を見つめて広角レンズ越しに目が合ったかのよう。  『何でー…アイツが何の様だよ、、』  変に真面目だし賢そうな日下に少し警戒するも知らない部屋に訪ねてくるほどの何か大事な用事があるのかと、ドアを開けた初人。  「失礼します。突然すいません!」  『はい何か様ですか?』  「あっ、、もしや今朝の方!?食堂でー…」  『あー…はい。今朝はどうも』    どうやら初人の部屋とは知らないで来た様子。何だかとても焦って行き当たりバッタリで訪ねてきたような日下に敢えて冷静さで対応する。  「あの、、突然来て申し訳ないですが制服のスラックスを貸していただけないかとー…」  『制服のスラックス?』  「変なことお願いしてすいません!実は今日の就業中にお腹を壊して汚してしまったんです、、それから終わってー…」  日下は必死に経緯を説明する。どうやら部屋に戻って洗濯し明日の為に乾かしていた最中だそう。そこに突然の郁の帰宅で、使用人不足の為に呼ばれたらしい。  元はと言えばお腹を下した原因は自分にあるし、こんな時間に呼び出される可哀想な日下に同情もする。  『構いませんよ、ちょっと待ってて下さい』  そう言って奥へ行って掛けていたスラックスを持って再度ポケットの中を確認してから日下に渡した。事情を説明して断ればいいものを律儀に他人に借りてまで仕事をしようとするのはもうこの家の奴隷化してる証拠か。  『はい、これどうぞ』  「本当に申し訳ありません。他の部屋にだれもいなくて、、」  本来なら"着る事ないから返さなくていい"と言えるような状況になっているはずだったが、悲しくも明日もこの家からは出られなくなってしまった。  『そういえばなんか急に慌ただしくみんなでって言ったけど何かあったんですか?』  「それが泊まり予定だった郁さんが突然帰ってきたみたいでして」  『でも予定が急に変わる事くらいあるんじゃー…いつもこんな急にバタバタと?』  「それがー…行った先のホテルにマスコミがいたみたいで何だかもみ合いになったとかで、、」  『揉み合い?マスコミと?』  「カメラを取り上げようとして突き飛ばして倒れたのを暴行されたって騒ぎになったと……」

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