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$7.騙しの条件

 これまでどんな出来事があっても食事をしなければお腹は空くし、睡眠を取ってなければ眠くもなる。初人は珍しくこの日一睡もできないまま朝を迎え、食欲もわかず朝食を抜いていつもの持ち場へ行った。  もともと要領が良く飲み込みの早い初人は既に全ての仕事を先輩達に頼らず一人で出来るようになっていた。  ちょうど仕事が片付け終わる頃を見計らってなのか、部屋に戻ろうとした初人の前に現れたのは田ノ上。    「新見氏。一緒に郁さんの部屋へ」  『あー…そうだよな、、』  "来たか"を腹を括って素直に従い田ノ上の後ろを付いていく。お互い一言も話さず塵一つないピカピカに磨かれた廊下をカッカッと靴音を鳴らして歩いて行く。いつ見てもピンと真っ直ぐな伸びた田ノ上の背筋を見て背後から声をかける。  『あのさ……田ノ上さん』  「何でしょう」  『余計なお世話かもだけどー…俺のせいでアイツに怒られたり酷い事とかされてかな、、って』  「アイツとは郁さんの事でしょうか?そうだとしたらどうして、私が郁さんにお叱りを受ける事が有るのでしょう?」  『だって俺を面接して雇ったの田ノ上さんでしょ?だから責任取らされて……』    すれ違う使用人達は田ノ上に気付くと軽く会釈をし、それに対し同じ様に会釈を返す。そこにはギスギスした上下関係の雰囲気はなく、皆この人を敬っているだろうと分かる。 だからこそ田ノ上に申し訳なく思いつい出た言葉。  「心配には及びません。そのような事はありませんから」  『そっか。それならいいんだけどさ』  「私の事よりご自身の心配を。いろいろ深い事情がお有りの様なので。それから呼び方を改めて下さい、アイツではなく郁さんです。着きました中へどうぞ」  郁の部屋の前で立ち止まり一瞬だけ振り向き初人を見て扉を開けた田ノ上。その表情は堅苦しい秘書と言う肩書きの傍ら、訳あり少年を気遣うお兄さんのような顔に見えた。  「お連れしました」  あの日ぶりに入る郁の部屋。もう二度と来る事もないとあの瞬間までは思っていた。しかしまさか時計の借りを作ってしまった挙げ句、妙な取引に合意してまたここへ舞い戻って来てしまうことになろうとは。  「来たか、忽那初人。何だそんな場所に突っ立ってないで中まで入れ。緊張なんてしないだろう、この部屋に初めて来た訳じゃあるまいしな」  『チッっ、嫌味かよ』  郁が座るデスクまで進もうとせず入り口手前で立ち止まる初人。郁はここ数日間ほとんど外出する事はなく部屋での仕事をこなしていた。  「ああそうだ。先にお前が気になっている父親の件だが今日弁護士を向かわせ面会させた」  『それでっ!?お父さんは!!?』  「憔悴はしてたようだが大丈夫だ。お前の事を心配していたそうだ」  『で、お父さんはどうなる!?』  「そう焦るな、手続きにも順序がある。こっちも出来るだけの事はやって手を尽くしている。あと数日の動きで決まるだろう」  『、、信じていいんだよな?』    得意気に頷く郁を今は頼るしかなくて、結局は金がものを言う世の中なんだと改めて感じさせられた。  郁に言われるままその更に奥の部屋に入ると6人掛け程のダイニングテーブルが置かれその上に清潔感のある白いテーブルクロスが引かれ食器やカトラリーが二人分用意されていた。  記憶の中ではこんなテーブルは部屋には無かったはずだし、そもそも食事は一階の立派なダイニングでいつも豪華な料理が並んでいてそこで食べている。何故だろうと違和感で首を捻る初人。  『訓練って?』  「忘れたのか?毎日訓練すると言ったろ」  『いや、さすがに昨日の今日で言った事ぐらいは覚えてるよ!何をするかって意味だってば』  郁は近づき上半身を屈めて初人の高さに目線を合わせた。昨日のベッドの上に倒されたあの瞬間がフラッシュバックする。  「見てくれはメイクを多少手を施すだけで女に見えるしどうともなる。だか問題は内面。お前には不足しているものが多すぎる。今日から毎日教養、マナー、立ち振る舞いを身につけるんだ」  『めんどくさっ。どうせたった一回あんたの親父と会えばいいだけの話だろ、そこまでする必要があるのかよ』  「その一回が全てなんだ。もし失敗したら俺もお前も終わりだ。よく覚えとけ、失敗は絶対に許されない!!」  そう力強く言った郁も余裕などなかった。会社の為とは言え愛する人がいるにもかかわらず、親の決めた相手との結婚に二つ返事を安易に返す事なんて出来る筈はない。  「田ノ上、頼む」  「かしこまりました。お料理お持ちします」  『料理って、、訓練って料理食べる事?何だそんなの楽勝じゃんか』  「そうか。ではお手並み拝見だな」

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