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5 やきもち
入学式から早くも二か月が過ぎ、大学生活にもすっかり慣れてきた。新入生歓迎会の時期、先生はおれが上級生に飲酒を強要されることを心配し、勧められても絶対飲むなと口酸っぱく言ったが、実際酒を強要されることはなかった。そんなこんなで部活は弓道部に決め、その伝手で大学図書館のアルバイトを始め、毎日充実している。
六月というと、母校で文化祭がある。三年時のクラスメイトに誘われて、遊びに行くことになった。高校の最寄り駅まで先生に送ってもらって、そこでみんなと合流した。久々の再会は嬉しかったが、先生と一緒に住んでいるなんてとてもみんなには言えなくて、大学は実家から電車で通っているなんて嘘をついてしまった。
三か月前まで毎日通っていたはずの高校は、今では全く別のものに変わってしまったように思えた。完全なるお客様として足を踏み入れるのはもしかしたら初めてで、でもそんな一抹の寂しさも吹き飛ぶくらい文化祭は賑やかだった。手作りの入場門も、あの頃よりも随分立派に見える。
「今年もコーヒーカップを作ったクラスがあるらしいぜ」
「オレらが設計図残してったおかげだな」
「ジェットコースター作ったクラスもあるらしい」
「へー、すご。絶対見に行こ」
コーヒーカップは、昨年おれ達の作ったものよりも進化していた。内装は宇宙をイメージしていて、暗闇のせいでスリルが増していた。ジェットコースターも楽しかったが、二度目に行った時は故障のせいで営業がストップしていて、生徒は修理に終われており大変そうだった。他にも縁日やお化け屋敷、巨大迷路、科学実験教室なんてものもあった。特に縁日の射的は難しく、みんな目の色を変えて何度も挑戦していた。
「そろそろ腹減ったなぁ。何か食おうぜ」
そう誰かが言い出して、いくつか喫茶店を回った。まずは軽食の食べられる店で腹を満たし、それからデザートを出している店で甘いものを食べ、最後にお洒落ドリンクを売りにしている店に入った。おれはレインボーソーダなる飲み物を頼んだ。よく分からないが女子受けしそうな見た目のジュースで、味はただただ甘かった。
突然、教室の一角で歓声が上がった。何やら女子生徒が盛り上がっている。その中心には、おれのよく知る人物の影。青山先生が、上機嫌に笑っていた。今日はスーツでなくジャージを着ている。今朝見ていたから知っている。
「先生! ほんとに来てくれたんですね、嬉しいです!」
「ああ、約束したからな」
「先生、一番人気のタピオカミルクティーです! 飲んでください」
「あっ、ずるい。私のおすすめはトロピカルジュースです! こっちも飲んでください」
「そんなに出されても全部は飲めないぞ」
アメリカのダイナーを意識したような内装と、それに似合うレトロなデザインの衣装。そんな可愛い衣装に身を包んだウェイトレス役の女子高生に囲まれてへらへらしている先生。なんだかとても嫌な気分だ。むかむかしてくる。
「なぁ、あれ青山先生じゃね?」
同じテーブルの誰かが言い、皆一斉にそちらを向く。
「ほんとだ、超懐かしいかも」
「オレ挨拶してこよーっ」
「抜け駆けすんなよ、オレも行く」
「高月も行くだろ?」
本当は気乗りしないが、ここで断っても変な感じになるので、仕方なく頷いた。
先生も、おれ達がいるのには気付いていたらしい。後で挨拶に行くつもりだったが先を越されてしまった、と笑った。おれ以外のみんなは懐かしい気分に浸り、昨年の文化祭での思い出を話したりしていた。しかしおれはとにかく気まずい。みんなにバレたくないのもあるし、さっきのもやもやが尾を引いている。
「どうしたんだよ、高月。なんか大人しくね?」
「そ、そうかな」
「お前、青山先生のこと好きだったろ。久しぶりに会えて嬉しくねぇの?」
「別にそういうわけじゃ……」
「まぁまぁ、しばらく会わないと距離感が掴みにくくなったりするだろうからな。それより、みんな元気そうで安心したぞ」
困っていたら、先生が助け船を出してくれた。先生もみんなにはバレないようにしたいと思っているはずなのに、どうして余裕そうなんだろう。おればっかり振り回されて、なんかちょっとムカつく。
先生と別れた後は講堂に移動して、ちょうど軽音楽部がバンド演奏をやっていたのでそれを観て、その後の吹奏楽部の演奏も観た。高校生の頃は見に来たことがなかったが、有名なジャズナンバーやポップス、大ヒットアニメ映画の主題歌なんかを演奏していて、結構取っつき易いものだなと今更ながら知った。
「……そういやオレ、ミキちゃんと別れたわ」
「あー……まぁ、しょうがないよな。他にもそういう話聞いたわ」
「なー。やっぱ遠距離はキツいよなぁ」
ミキちゃんというのは元吹奏楽部の女子で、彼らは二年の終わり頃から付き合っていた。三年に上がるタイミングで付き合い始めるカップルは結構多かった。彼らも例外ではなく、受験は共に乗り越えたのだが、生憎進学先は別々になってしまって、自然消滅に近い形でお別れになったそうだ。
「なんで別れちゃったんだよ」
おれはつい口を挟んだ。せっかく付き合えた大好きな人の手をそう簡単に離してしまう理由が分からない。
「なんでったって、そんなもんだろ。お互い釣り合わなくなったんだ。あっちは今や都会人だし、オレはオレで楽しくやってるし、お互い忙しいしな」
「でも……好きだったんだろ」
「好きなだけじゃ恋愛は続かないんだよ。お子ちゃまにはまだ分かんないかもだけど」
「誰がお子ちゃまだって?」
「はは、悪ぃ悪ぃ。まぁとにかく、遠距離恋愛は難しいんだよ。お前にもそのうち分かる」
そうなのだろうか。意外とみんな、ドライな恋愛観を持っているらしい。おれは、もし先生が遠い海外へ行ってしまったとしても絶対に別れたくないし、しょうがないなんて言って諦められないと思うけど……。
さて、そろそろ文化祭も終わりだ。後夜祭は生徒だけで楽しむもの。寂しいけれど、外部の者は帰らなくてはならない。校門付近で誘導をしていた青山先生に再び出会い、皆別れを惜しみつつ帰路に就いた。先生はおれだけに分かるようにウインクしてくれたけど、昼間の喫茶店でのことを思い出すと素直になれず、おれはそっぽを向いてしまった。
駅前のラーメン屋で夕食にし、帰りは電車とバスで帰った。車なら早いけど電車は遠回りなので行きの倍くらい時間がかかった。独りでアパートに帰ってお風呂に入って、テレビを見ながらソファで溶けていたら、ようやく先生が帰ってきた。
「ただいま、暁」
「……おかえり」
時々名前で呼ばれるのにまだ慣れない。先生はさくっと風呂に入り、さくっと出てきた。冷蔵庫で冷やしていたビールをテーブルに置き、おれの足をどけて無理矢理ソファに座ってくる。
「もっとスペースを開けてくれ。俺の尻が入らない」
おれは無言のまま、どけられた両足を先生の膝の上に乗せる。
「うっ……ちょ、重いぞ」
おれはいっそふてぶてしい態度でソファに寝そべり、伸びをする。先生が邪魔がったって知らないふりだ。
「どうした、何をむくれてるんだ?」
「……」
「今日は本当に疲れてるんだ。もうちょっと優しくしてほしいぞ……」
「……ウソつき」
「嘘?」
「だって今日……」
こんなことを言うのは女々しいような気がして、一瞬逡巡した。
「嘘なんか言わないぞ。本当の本当に疲れたんだ。無事終わってほっとしてるし……」
「む……違くて」
「どうしたんだ。何でも言ってみなさい」
「……だから今日……昼間…………お、女の子達に、囲まれて……すっごく楽しそうにしてたじゃん……」
言っちゃった。女々しいような気がしつつ、どうしても言いたくて言っちゃった。先生、どう思っただろう。黙り込んでいるし、呆れられてたら嫌だな。
「――ちょっ、先生!?」
「おっ!? うわっ、何だっ?!」
「何だじゃないよ! 早くそれ机に戻して!」
先生は慌てて、飲みかけの缶ビールをテーブルに置く。口元が濡れて顎から液体が滴っているし、ちょっとダサい無地のスウェットもびっしょり濡れて、がっつり染みができてしまっている。ビールを飲みながらぼーっとして、うっかり零したのだ。
「あーあー、これ最近洗ったばっかりなのに」
「いいから早くそれ脱いで! あっソファ、ソファは無事なの!?」
急いで確認したが、とりあえず大丈夫みたいだ。染みらしいものはないし、零れたビールは先生のスウェットが全部吸ってくれたらしい。替えのスウェットに着替え、先生が戻ってくる。
「ど、どしたの、先生。急に変だよ。ビール零すなんて……」
「君のやきもちがあんまり可愛いから、取り乱した」
「……はっ……?」
完全に虚を衝かれた。目が点になる。
「ふふ、いいなその顔。傑作だ」
「なっ……へ、変なこと言わないでよ」
「変か? 暁は可愛いし、可愛いやきもちも可愛いぞ」
「い、意味分かんない! 可愛くないし、やきもちなんか焼いてない!」
「どう考えてもやきもちだろう。ほら、暴れないでこっちに来なさい」
犬猫を抱えるような感じでお腹に手を回され、ぎゅっと抱き寄せられた。
「実を言うと、俺も同じだ」
「どういうこと?」
「友達といる君が楽しそうで、ちょっとだけ妬いた」
「うそだぁ」
「嘘じゃない。俺は本当のことしか言わない」
「だって先生がやきもちなんて変だよ。先生よりいい男なんてこの世に存在しないのに」
おれが言うと先生は一瞬静かになり、軽く溜め息を吐く。かと思うと、強い力で抱きしめられた。ぐりぐりと頬擦りまでされて、ちょっと痛い。
「な、なに、ほんとにどうしたの、先生。やっぱりなんか変……」
「いや……暁は本当に可愛いと思って」
「だからその可愛いってのやめ――」
突然、唇に初めての感触。柔らかい。とにかく柔らかい。そして温かい。でも少しカサついてもいる。
「っ……ぅ……」
下唇を優しく食まれ、心臓が飛び出るくらいびっくりして、思わず仰け反った。唇は離れてしまったが、先生は愛しげな眼差しでおれを見つめる。それでさらに堪らなくなって、おれはソファの端に逃げた。手近なクッションを抱いて口元を隠す。
「そんなに赤くなるな。林檎みたいでますます可愛い」
最早声も出ない。顔が熱い。石焼きの鍋みたいに熱い。触ったら火傷すると思う。
「お、おれ……は、はじめて、で……」
「そうだろうな」
「い、いまの、って……」
「ファーストキスがビールの味になってしまったな」
先生が揶揄うように笑うので、むしゃくしゃするやら恥ずかしいやら。クッションを投げ付けたら缶ビールに当たってしまい、中身をぶち撒けてしまった。二人で床に這いつくばって雑巾を掛けたが、その隙にもう一回キスされた。
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