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第3章
「あんた、高貴な身分のお方だったんだって?」
「それが夜な夜な俺たちみたいなのに脚開いてたってわけか。堪んねえな」
男達の顔には一様に下卑た笑いが張り付いている。
「僕に寄るな」
フラヴィオはぐっと胸をそらし毅然とした態度で構える。
「今更お高くまとってんじゃねえよ。誰とでも寝るって噂だぜ?」
「僕は娼婦じゃない。だから選り好みもする。僕は僕が気に入った相手としか寝ない」
チリッと火花が散るような緊張が走る。
「君たちは全員お断りだね」
男たちの顔は怒りに燃え始めた。
フラヴィオは野生の獣から逃れるように、ゆっくりと後退りを始める。充分距離を持ってから、野ウサギのようにパッと駆け出した。
怒号や何人もの足音が襲いくる。その時、短い悲鳴と打撃音が重なり合った。振り向けば倒れる男の後ろに、黒い杖を剣のように構えたセシリオが立っていた。男達は彼が盲人だと分かると群がった。セシリオは杖を振り回すもあっという間に取り上げられて、事もあろうか真っ二つに折られてしまった。
フラヴィオの頭に血が昇る。
「恥を知れ!」
男達を掻き分けセシリオの前に立つ。
「盲人の杖を折るとは何事だ。これはコイツの目も同然。お前達は目玉をくり抜いて往来を歩けるというのか」
しかし男達は聞く耳を持たず、フラヴィオにも向かってくる。男の拳がフラヴィオに届く前に、セシリオが華奢な身体を抱き込んだ。背後から肉を撃つ音が聞こえ、セシリオの身体はフラヴィオとともに蹲る。男達はセシリオに拳や蹴りで鬱憤をぶつけ、やがて去っていった。
セシリオは呻きながら起き上がる。フラヴィオは震える唇を開く。
「手は・・・」
芸術家にとってその手は財産である。手遊びに絵画を描くフラヴィオもその重要性は分かっていた。
「大丈夫ですよ」
セシリオは握ったり開いたりして見せた。フラヴィオはほっと息を吐く。
「・・・助けられたのは、二度目ですね」
セシリオの呟きにフラヴィオは顔を顰める。疑問が質問として構築される前に、セシリオはフラヴィオに問いかける。
「お怪我はありませんか」
「・・・ないよ」
セシリオはよかった、と溜息とともに言葉を落とす。
フラヴィオは気まずそうに俯く。自分がセシリオを巻き込んだことは自覚していた。
「フラヴィオ様、」
安堵の表情から一変、セシリオの表情は硬く、幼い頃両親がフラヴィオを叱り付ける前の表情を思い起こさせた。
「何故あのような場所に?労働者の中には身分の高い人間を疎んじる者もいるのですよ」
「わかっている」
「いい子で待っていると約束したでしょう?」
セシリオの声は悲しげに萎れた。
フラヴィオの心は波立つ。だが気丈に言い返した。
「あの場所での僕は僕ではない。ロレンツォと名乗り庶民と同じように振る舞っている。貴族だと暴露したのはお前だ、セシリオ」
危険な目に合わせたのはお前だと、責任転嫁も甚だしい言い訳だ。しかしそのせいで、とフラヴィオの心にちくりと針が刺さる。
セシリオは深く溜息を吐いた。
「わかりました、私も軽率でしたね。すみません」
しかし、と付け加え、二度とこのような場所に来ないよう言い含められる。何様のつもりだと言ってやろうとしたが、
「大事なお身体です。何かあってはいけません」
と心配そうに言われれば簡単に頷いてしまい、それを見たセシリオが満足そうに微笑むと何も言い返す気になれなくなってしまったのであった。
セシリオの身体は兵士のように頑丈にできているらしく、暴行を受けた後だというのに平気で歩いていた。フラヴィオの腕につかまりながら、だが。
杖が無ければどこにも行けない。フラヴィオは、馬車でセシリオを自宅まで送っていくことにした。御者はセシリオの顔を見てギョッとしていたが、フラヴィオがひと睨みすれば何も言わず彼を乗せた。
2人の間に会話はなく、車輪が石畳の上を転がる音だけが反響している。
罪悪感で胸が締め付けられる。喉が縮こまり、言葉が出てこない。そして、助けられたのは二度目だと言っていたことも頭の隅に引っかかる。前にも会った事があったのだろうか。しかし、こんな大柄で顔の半分を覆いつくす傷跡を持つ男など忘れようがない。
沈黙に包まれたまま、街の郊外にあるセシリオの工房にたどり着いた。小さな木造建の一軒家だ。
フラヴィオは自分が介助すると申し出たが、セシリオは使用人のようなことはさせられないと断る。しかし中を見たいと駄々をこねられ承知した。
鋲も門飾りもない無垢な木の扉を開ければ、籠った空気が流れてきた。
「12時の方向に6歩、2時の方向に5歩歩いてください。予備の杖がありますから」
「お前、そんなことまで覚えているのか?」
「決まった場所にものを置かないと生活できませんから」
「暗くて何も見えない」
「大丈夫です、私について来てください」
どちらが世話をされているのか、とフラヴィオは思いながらも家に入る。月の光も届かぬ室内は、濃い闇が漂っている。何度瞬きしても見えず、自分が目を閉じているのか開いているのか、何処にいるのかさえ分からない。ずっとこのままだったらと思うとフラヴィオの背がぞわりとする。
セシリオを見上げずにはいられなかった。
「ああ、ありました」
ことりと音がした。杖を手にしたらしい。
「お手数をおかけしました」
セシリオに手を引かれ、入り口まで連れて行かれた。
「そういえば、中を案内」
「いい。何も見えん」
「すみません、灯りがないものですから」
「今度は、明るいうちに来る。作品の進歩も見たい」
「わざわざ出向いて頂かなくても」
「次は来週だったな?屋敷に来ても待ちぼうけをくらうことになるぞ」
とうとうセシリオは折れた。フラヴィオはようやく優越を得る。それからセシリオに会いにいくまで、どことなく機嫌がよく、屋敷の使用人たちも目に留めるほどであった。
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