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第5章

「セシリオッ・・・さっき、」 「まだ、全部見せていないでしょう?」 「もう、ないよ・・・だから、あっ」 達したばかりの敏感な身体はすぐに昇り詰めていく。フラヴィオの視界に星が瞬き始めた。ソプラノがまた工房に響いて反響する。 「あるはずだ。貴方の美しさと淫らの奥にあるものが。例えば、あの秋の夜ーーーー」 フラヴィオの勿忘草の目が見開かれる。 「貴方がまだ何も知らぬ天使だった頃のこと」 毛布の下の肌が粟立つ。自分を組み伏せる月明かりを背にした黒い影、好きだと告げられた時の混乱、傍若無人な手の感触がありありと蘇る。 「やめろ!・・・っ不愉快だ」 セシリオの頬に添えられた手を振り払う。 「彼を、まだ憎んでいるのですか」 「もうどうでもいい、アイツも僕を食い散らかしていった奴らの1人でしかない」 「そうやって、ご自分を守ってこられたのですか」 その言葉はフラヴィオの胸に突き刺さった。じわじわと恐怖に似た感情が染み出していく。 「本当は辛かったのでしょう」 セシリオの顔は憐みをたたえ、優しくフラヴィオの頬を撫でる。しかし、それこそが、あわれみや憐憫の情を向けられることこそが、フラヴィオが最も忌避してきたことだ。 癇癪玉に火がつく。 「僕をそんな顔で見るな!僕から誘ってやったんだ!僕は惨めな人間なんかじゃない!」 「そうです。何も知らぬ貴方を弄んだ者が悪いのです。幼い貴方に邪な欲望をぶつけるとは。まるで獣だ」 「違う!もう黙れ、何も知らないくせに!」 「ええ、リコはとても誠実で優しい人間だったはずだ。そうでしょう?」 フラヴィオは息を飲む。あの使用人の名が、セシリオの口から飛び出すとは思わなかった。 あの忌まわしい夜が明けた後、誰もが使用人をなじり、蔑み、屋敷から追い出した。フラヴィオが何も語らぬうちに。 「リコは、私の従兄弟は、首を括らんとするところまで追い詰められていました。自業自得ですがね」 フラヴィオの身体から熱が引いていく。顔は蒼白になり、肌が粟立つ。 彼が屋敷を去った後は、彼がどうなったのか、フラヴィオは一切知らされていない。 「・・・そんな・・・」 フラヴィオは項垂れる。白い肩がカタカタと震え、自身を抱きすくめた。 「それじゃあ、まるで意味がないじゃあないか。僕が、せっかく・・・」 「やはり、貴方は彼を庇っておられたのですね」 フラヴィオは息を詰めた。そして、頷いた。 あの夜が来るまで、フラヴィオはリコを慕っていた。優しく細やかな気配りをする彼が好きだったのに、それを恋と自覚するにはまだフラヴィオは幼すぎたのである。 「本当は・・・愛していたのに」 しかし、唐突に想いを告げられ、どうしていいか分からなかった。咄嗟に断ってしまった。 「フラヴィオ様」 セシリオの手がフラヴィオを包む。湿った睫毛やしゃくりあげるのを堪えて結ばれた唇、冷たく強張った頬を撫でる。 「リコは、息災ですよ。貴方のおかげです」 フラヴィオは顔を上げる。 「貴方の奔放な振る舞いが、彼の一族の耳にも届きまして、リコへの態度も軟化してきたのですよ。親戚のところに身を寄せ、奉公先も決まったようです」 フラヴィオは目を瞬きさせる。 「私は貴方にお礼をしたくて参ったのです。私が捧げられるものは、作品だけですから」 フラヴィオの瞳の勿忘草色が滲む。頬に涙が伝い、「ああ・・・」と両の掌に顔を埋めた。 「フラヴィオ様、顔を上げて」 セシリオの逞しい手がフラヴィオの頬を挟む。指先が涙で濡れる顔を辿った。 「ようやく見せてくれましたね。貴方の美と淫らの奥にある真まことを」 俯いたままのフラヴィオは頭を殴られたような気がした。セシリオは、彫刻の為に自分の心を掻き乱したのかと。柔く清い部分を、強引に暴いたのかと。 この男もあの使用人と同じではないか。 あの時と同じように胸に去来したのは、怒りと、屈辱と、そして裏切られた悲しみであった。 しかし、顔を上げたフラヴィオを待っていたのは、冷徹な観察者ではなく、慈愛を金と緑に溶かしたセシリオの顔だった。 「貴方は美しい」 温かな手のひらの温度が、冷たくなった頬に染み渡り心地よい。逞しい腕がフラヴィオを抱きしめた。 「まだ、リコを愛していますか」 少し震えた声に驚きつつも、フラヴィオは首を横に振る。今となっては恋というより、兄弟や友人を慕う親愛の情に近い。 「では私の女神(ミューズ)になっていただけませんか。貴方といると、勇気と意欲が湧いてくるのです」 「・・・素直に恋人になりたいと言えぬのか」 「そんな。恐れ多い。身分も違いますでしょう」 「そんなもの、どうにでもなる」 「いけません」 「もう黙れ」 フラヴィオはセシリオの唇を奪う。初めて口付けるその場所は少し乾いていて、そして温かかった。 「今は、僕を慰めろ」 セシリオはフラヴィオを掻き抱いた。息が止まりそうなほど強く抱きしめられ、求められる悦びが溢れ出す。しかしセシリオはなおも拒んだ。 「いけません。自分を止められなくなる」 「好きにすればいい」 「駄目だ」 セシリオが腕を解く。 拒絶されたのかと微かに怯えを見せるフラヴィオの身体を、セシリオは抱き上げ立ち上がる。 「上へ行きましょう。ここでは抱けない」 フラヴィオは万感の思いでセシリオに抱きつく。セシリオは優しく目を細め、フラヴィオに口付けた。

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