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第10章
「お前を騎士団見習いにする」
唐突に父親の書斎で告げられ、フラヴィオは開いた口が塞がらなかった。
「デッケン子爵邸に行きなさい。そこで奉公するんだ。成人まで勤め上げれば騎士団に口を効いてもらえるだろう」
「デッケン子爵ですって?!」
酒場で聞いたことがある。国境沿いにある駐屯地の師団長で、隣国からの侵略を何度も食い止めたことで功績を上げ、爵位を賜った貴族だ。引退した今では身分を問わず後進の育成に力を入れていると言うが、騎士見習いや奉公に来た少年に手を出しているという黒い噂が付き纏っていた。
それを父親に進言するが
「噂でしかない。それに本当だとしても、お前なら上手くやれるだろう」
とため息をつく。フラヴィオは怒りと羞恥にカアッと顔が熱くなる。
「いい加減独り立ちしなさい。いつまでもお前の面倒は見ていられないんだ」
「それならば、家を出ましょう。僕はマルコムの工房に弟子入りします」
マルコムは絵描きの筆頭だ。職人を集めて貴族の肖像画や劇場の広告画の依頼を一手に引き受けている。
「慰み者になるより絵を描きながらのたれ死んだ方がましです」
本心であったし、今はもうセシリオ以外に抱かれる気はなかった。
「駄目だ。支度金を頂いているんだ」
「なら返せばいい」
「これ以上私の顔に泥を塗る気か!なぜ言う通りにしない!お前の為に道を用意してやっているというのに!」
父親は激昂し立ち上がる。見たこともない剣幕にフラヴィオは思わず口を噤んだ。
「もう決まったことだ。行きなさい」
フラヴィオの両隣に従者が並び、屋敷の外へ連れて行かれた。お仕着せを着た従者の手には大きなトランクが下がっている。もう一人は上着を掛けてきた。
玄関の扉を開ければ冷たい空気が肌を刺した。ひゅうひゅうと風が鳴き粉雪が舞い踊っている。馬車が玄関前につけられており、誘うように扉から温かな色の照明が漏れていた。
フラヴィオは迷わず寒風が吹きすさぶ森へ走った。フラヴィオの頭にあったのはセシリオのことだけだった。走ってたどり着けるとは思えない。だが今生の別れになるかもしれないと思うと心臓が引き絞られフラヴィオの足を動かした。
行手には森の木々が檻のように立ち並び、ふくらはぎまで積もる雪が、一歩進むたびに足を捕らえる。足が氷のように冷たい。冷たい空気に肺まで凍りそうだ。それでも引き返したくなかった。
しかし無情にも追いかけてきた従者にあっという間に捕らえられる。トランクとともに馬車の中に押し込められ、丸3日は地面を踏むことがなかった。
デッケン子爵は一見して剛健な紳士であった。皺が顔のあちこちに刻まれても、引き締まった表情に吊り上がった眉がかつての勇猛果敢ぶりを思わせる。
しかしよくよく見ればたるんでベルトに乗った腹や粘つく視線が、紳士の仮面に潜む俗っぽさや色欲を表していた。
フラヴィオは到着して早々にペイジの装束に着替えさせられ、デッケン子爵の私室に招かれたところだ。
頭の上から爪先まで視線が這い回るのを肌で感じており、フラヴィオは辟易していた。
「一年はペイジとして働いてもらおうか。次の年から従卒として勤めるのだよ」
騎士になるにはペイジとして貴族に奉公したあと、騎士について従卒として働くことになる。
フラヴィオの年齢からいくととっくに従卒になっていてもおかしくない。騎士叙勲んを賜わる者もいる。十を過ぎたか過ぎていないかという子どもたちとともに、下っ端として働くのかと思うと気が重い。
「着いたばかりで疲れただろう。湯を張ってさっぱりするといい。アレク、教えてやっておくれ」
アレクと呼ばれた少年はフラヴィオに年が近く、また美しい顔をしていた。その顔には表情はなく、フラヴィオを呼びかけるときに見せた目だけにちらりと憐憫が映った。
今夜の寝床は子爵のベッドになりそうだと察した。
沸かした湯で身体を拭き、秘所の清拭の仕方まで教わったがフラヴィオは心得ていたのでアレクは呆れたような目を向けた。フラヴィオの悪評はここにも行き渡っていたらしい。
しかし噂というものは口から出たが最後、尾や鰭が生えて猛烈な勢いで人の口から口へ泳ぎ回るものである。
フラヴィオは素知らぬ顔をして子爵の寝室へ向かった。レースの襟の寝巻きを着たフラヴィオは可憐で、子爵は褒めちぎりながらフラヴィオを膝に乗せた。
その太腿は緩んだ肉が纏わり付き座り心地がいいとは言い難い。セシリオならがっしりした身体がしっかり支えてくれるのに、と目に憂いが宿る。
子爵はフラヴィオを抱き寄せ愛の言葉を囁くが、心も意識もその声が届かぬほど遠くにあった。
セシリオに会う前なら、さして抵抗もせずその身を投げ出していただろう。
だが、もしセシリオに知られたらと思うとその気にはなれなかった。数えきれないほどの相手と一夜を共にしてきたというのに、セシリオ以外に触れられるのは穢らわしい行為に思えた。今すぐ身体に這う手を払いのけ膝から飛び退いて逃げ出したい。そうしたいのは山々だが、ただ力ずくで抵抗するのも得策ではない。
フラヴィオは操を立てる決意を固めた。要はこの男を満足させればいい。
「ねえ子爵さま」
フラヴィオは娼婦のように妖艶に微笑んでみせた。
そして子爵の鼠径部から股間の膨らみを撫で上げる。紳士の仮面が崩れにたりと男の口元が歪む。
フラヴィオは笑みを浮かべたままズボンと下着を寛げる。グロテスクなまでに赤黒い陰茎がまろび出る。
フラヴィオは子爵の足の間に跪いた。ふとセシリオの微笑みが脳裏に浮かび、胸に針が刺さったような痛みが走る。その痛みを無視してセシリオの笑みは記憶の中に押し込めた。
フラヴィオは子爵に気取られぬよう、しかし意を決して短く息を吸い、やがて可憐な唇を子爵自身に近づけていった。
翌日、フラヴィオは夜明け前に起こされた。
アレクに付いて目覚めのお茶を淹れたり朝食を運んだりとキッチンの往復をし、着替えをさせ、ほつれかけた衣服を女中に預け、午前中のお茶の時間に合わせて再び軽食を用意するなど目まぐるしく時間が過ぎていく。
あっという間に夜になり、アレクが子爵の寝室に入るのを見かけたが気にかけている余裕などなかった。
真夜中にペイジたちが雑魚寝するベッドに横たわれば、夜明け前まで泥のように眠った。
次の日からもそれの繰り返しで、数日おきに子爵に奉仕することも付け足される。
フラヴィオはそんな生活を一年近く送ることになる。
その間、セシリオからの便りはついぞなかった。
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